マジャルの故郷

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2018年1月27日 (土) 13:34の版
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マジャルとは マジャルとは
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ハンガリー人の「自称」である。マジャルという呼称がどのようにして生まれたかは、未だに明確にはなっていない。 ハンガリー人の「自称」である。マジャルという呼称がどのようにして生まれたかは、未だに明確にはなっていない。
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マジャル人 マジャル人
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発祥の地は、ロシアのウラル山脈の南部に広がる平原にあると言われている。彼らは、フィン・ウゴル語族に属しており、その中のウゴル語族に属する言葉を話す民のことを指す。 発祥の地は、ロシアのウラル山脈の南部に広がる平原にあると言われている。彼らは、フィン・ウゴル語族に属しており、その中のウゴル語族に属する言葉を話す民のことを指す。
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マジャルの歴史 マジャルの歴史
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フィン・ウゴル語族は、紀元前二〇〇〇年頃にフィン人が西へ移動したために、分裂した。それに次いで、紀元前一〇〇〇年頃に、ウゴル人も分裂した。オビ・ウゴル人が北へ、マジャル人が南のカスピ海の北岸、ウラル川の東岸へ移動したため。このときから、マジャル人は独自の「族」をなし、また遊牧生活をするようになった。九世紀のはじめ、ドニエストル川とドニエプル川のあいだのエテルケズと呼ばれる場所に移動した。この間に彼らは、トルコ系、イラン系、スラヴ系、ギリシア系の諸族と関係を持ち、言語的、文化的に大きな影響を受けた。 フィン・ウゴル語族は、紀元前二〇〇〇年頃にフィン人が西へ移動したために、分裂した。それに次いで、紀元前一〇〇〇年頃に、ウゴル人も分裂した。オビ・ウゴル人が北へ、マジャル人が南のカスピ海の北岸、ウラル川の東岸へ移動したため。このときから、マジャル人は独自の「族」をなし、また遊牧生活をするようになった。九世紀のはじめ、ドニエストル川とドニエプル川のあいだのエテルケズと呼ばれる場所に移動した。この間に彼らは、トルコ系、イラン系、スラヴ系、ギリシア系の諸族と関係を持ち、言語的、文化的に大きな影響を受けた。
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参考資料 参考資料
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ハンガリーの歴史 南塚信吾 河出書房新社 ハンガリーの歴史 南塚信吾 河出書房新社

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マジャルの故郷

マジャルとは

ハンガリー人の「自称」である。マジャルという呼称がどのようにして生まれたかは、未だに明確にはなっていない。


マジャル人

発祥の地は、ロシアのウラル山脈の南部に広がる平原にあると言われている。彼らは、フィン・ウゴル語族に属しており、その中のウゴル語族に属する言葉を話す民のことを指す。


マジャルの歴史

フィン・ウゴル語族は、紀元前二〇〇〇年頃にフィン人が西へ移動したために、分裂した。それに次いで、紀元前一〇〇〇年頃に、ウゴル人も分裂した。オビ・ウゴル人が北へ、マジャル人が南のカスピ海の北岸、ウラル川の東岸へ移動したため。このときから、マジャル人は独自の「族」をなし、また遊牧生活をするようになった。九世紀のはじめ、ドニエストル川とドニエプル川のあいだのエテルケズと呼ばれる場所に移動した。この間に彼らは、トルコ系、イラン系、スラヴ系、ギリシア系の諸族と関係を持ち、言語的、文化的に大きな影響を受けた。


参考資料

ハンガリーの歴史 南塚信吾 河出書房新社


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