ベトナム戦争54
出典: Jinkawiki
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ベトナム戦争とは | ベトナム戦争とは | ||
- | この戦争は、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義陣営と、ソビエト社会主義共和国連邦を盟主とする共産主義陣営との間に起こった南北分立の戦争である。 | + | |
- | またこれは、第二次世界大戦後に生じた対立を背景とした代理戦争でもあった。 | + | まず、第二次世界大戦以前のベトナムはフランス領インドシナ連邦としてフランスの植民地となっていた。しかし、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発するとドイツの快進撃もあり1940年6月にはフランスは降伏。日本軍がフランス領インドシナ連邦に進駐することとなった。その後、その日本が最終的には敗北。その日本の敗北をうけ1945年9月、北部にホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟がベトナム民主共和国を樹立し独立することを宣言した。この独立を認めたくない勝戦国のフランスは南部に傀儡政権を建国。そして、ホーチミンの北ベトナムと争うことになる。これが世にいう第一次インドシナ戦争である。 |
- | ベトナム人による南北ベトナム統一独立国家の建国を求めるナショナリズムに基づく植民地解放戦争であるとした | + | この戦いは8年続いたがフランスの敗北で幕を閉じた。。そして、1954年7月にジュネーブ協定により北緯17度線を境にしてベトナムは分断されることとなる。南ベトナムにはアメリカを後ろ盾としたゴ・ディン・ディエムという人物が大統領となり国名をベトナム共和国とした。 |
- | 第一次インドシナ戦争終結後も、北ベトナムが支援する南ベトナム解放民族戦線が南ベトナムで武力を用いた反政府活動を続けたため、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー政権は少数のアメリカ軍人からなる「軍事顧問団」を南ベトナムに派遣した。その後ジョン・F・ケネディ大統領は軍事顧問団の規模を増大させることで事実上の正規軍の派兵を進めた。リンドン・ジョンソン大統領は大規模な正規軍を送ってベトナム戦争に積極的に介入した。 | + | しかし、北ベトナムは、武力による統一を試み南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)を結成し内戦が始まった。 |
- | アメリカ、韓国、タイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドが南ベトナムに派兵した。ソビエト連邦や中華人民共和国は、北ベトナムに対して軍事物資支援を行うとともに多数の軍事顧問団を派遣したが、アメリカやSEATO諸国のように前面に出る形での参戦は行わなかった。北朝鮮は飛行大隊を派遣し、ハノイの防空を支援した。 | + | 1961年、当時ソ連とアメリカを中心とした共産主義と資本主義との間で冷戦の最中であり、ソ連が支援する北ベトナムには勝ってほしくなかったアメリカは、大統領ジョン・F・ケネディが南ベトナムに4000名の特殊部隊を派遣することを決意。北ベトナムにはソ連が後ろ盾となっており、その北ベトナムが勝利してしまうとベトナムどころかドミノ倒しのように東南アジアが次々と共産化してしまう恐れていたのだ。 |
- | ベトナム戦争をめぐって世界各国で大規模な反戦運動が発生し、社会に大きな影響を与えた。1973年のパリ協定を経てリチャード・ニクソン大統領は派遣したアメリカ軍を撤退させた。その後も北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線と南ベトナムとの戦闘は続き、1975年4月30日のサイゴン陥落によってベトナム戦争は終戦した。 | + | まだこの時点では、アメリカは南ベトナムを支援をするという程度であり、アメリカ軍が本格的に戦争に参加はしていなかった。しかし、1964年のアメリカの軍艦が北ベトナムの警備搬に攻撃を受けたトンキン湾事件を機に、アメリカは直接介入していったのだ。 |
+ | 結局、このベトナム戦争はソ連などの社会主義陣営がベトナムを支援し続けたことやアメリカ軍は最大時には54万もの兵力を投入するが、ジャングル内では物資や食料の供給が困難であった為、実際に最前線で戦ったのは3割ほどだったということ。また、アメリカ本国にてベトナム反戦運動が起きたことなどが原因となり北ベトナムは大国アメリカに勝利した。このとき、アメリカが戦争で負けたのは初めてだった。 | ||
+ | ベトナムからアメリカが兵を引き上げてからは南ベトナムは抵抗のしようもなく1975年4月30日。南ベトナムの大統領官邸は南ベトナム開放民族戦線によって占領され10年続いたベトナム戦争は終わりを告げたのである。 | ||
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+ | 引用・参考文献http://www12.plala.or.jp/rekisi/betonamusennsou.html |
2018年1月27日 (土) 22:12の版
ベトナム戦争とは
まず、第二次世界大戦以前のベトナムはフランス領インドシナ連邦としてフランスの植民地となっていた。しかし、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発するとドイツの快進撃もあり1940年6月にはフランスは降伏。日本軍がフランス領インドシナ連邦に進駐することとなった。その後、その日本が最終的には敗北。その日本の敗北をうけ1945年9月、北部にホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟がベトナム民主共和国を樹立し独立することを宣言した。この独立を認めたくない勝戦国のフランスは南部に傀儡政権を建国。そして、ホーチミンの北ベトナムと争うことになる。これが世にいう第一次インドシナ戦争である。
この戦いは8年続いたがフランスの敗北で幕を閉じた。。そして、1954年7月にジュネーブ協定により北緯17度線を境にしてベトナムは分断されることとなる。南ベトナムにはアメリカを後ろ盾としたゴ・ディン・ディエムという人物が大統領となり国名をベトナム共和国とした。
しかし、北ベトナムは、武力による統一を試み南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)を結成し内戦が始まった。
1961年、当時ソ連とアメリカを中心とした共産主義と資本主義との間で冷戦の最中であり、ソ連が支援する北ベトナムには勝ってほしくなかったアメリカは、大統領ジョン・F・ケネディが南ベトナムに4000名の特殊部隊を派遣することを決意。北ベトナムにはソ連が後ろ盾となっており、その北ベトナムが勝利してしまうとベトナムどころかドミノ倒しのように東南アジアが次々と共産化してしまう恐れていたのだ。
まだこの時点では、アメリカは南ベトナムを支援をするという程度であり、アメリカ軍が本格的に戦争に参加はしていなかった。しかし、1964年のアメリカの軍艦が北ベトナムの警備搬に攻撃を受けたトンキン湾事件を機に、アメリカは直接介入していったのだ。
結局、このベトナム戦争はソ連などの社会主義陣営がベトナムを支援し続けたことやアメリカ軍は最大時には54万もの兵力を投入するが、ジャングル内では物資や食料の供給が困難であった為、実際に最前線で戦ったのは3割ほどだったということ。また、アメリカ本国にてベトナム反戦運動が起きたことなどが原因となり北ベトナムは大国アメリカに勝利した。このとき、アメリカが戦争で負けたのは初めてだった。
ベトナムからアメリカが兵を引き上げてからは南ベトナムは抵抗のしようもなく1975年4月30日。南ベトナムの大統領官邸は南ベトナム開放民族戦線によって占領され10年続いたベトナム戦争は終わりを告げたのである。