イェルサレム3
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+ | *西暦30年または33年にローマ人によって磔刑に処され、遺体は石灰岩の洞窟から切り出した「石墓」の上に安置された。しかし、キリストは3日後に復活し遺体に油を塗るために墓を訪れた女性たちは、遺体がなくなっているのを見つけたという。 | ||
+ | *西暦326年にローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが墓石を発見し、現在の聖墳墓教会を建てたとされている。 | ||
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+ | ==イスラーム教== | ||
+ | イスラーム教の聖地は「アルアクサ・モスク」<br> | ||
+ | *メッカと並び重要な聖地 | ||
+ | *ムハンマドが天使ガブリエルによってメッカから一夜にしてイェルサレムのモスク(神殿)にやってきて、そのモスクにある岩から天馬に乗って神の御前に至ったという一説がコーランにある。 | ||
+ | *ムハンマドの足跡については、十字軍がイェルサレムを占領していた11世紀には、「キリストの足跡」とされる。 | ||
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+ | ==参考文献== | ||
+ | 正木晃(2015)「世界の宗教がまるごとわかる本」 エイ出版社<br> | ||
+ | 高橋正男(1996)「イェルサレム」 文藝春秋 | ||
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イェルサレムとは
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教の聖地。各宗教の重要な場所が集まっている。
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ユダヤ教
ユダヤ教の聖地は「嘆きの壁」である。
嘆きの壁ができるまで
- ユダヤ教の祖父アブラハムと「イクサの犠牲」の舞台
- 紀元前1000年頃、イスラエルを統一し、イェルサレムを首都としたダビデ王が、神殿を建設。
- 古代イスラエル王国はバビロニア軍に侵攻されて滅亡し、ユダヤ人はバビロニアに進行される。滅亡から50年後にユダヤ人たちは帰還を許され、再び同じ場所に神殿を再建
- 再びローマ帝国により神殿破壊→その後神殿は再建されず。
- 廃墟のまま残されていた壁に向かって立ち、神殿が失われたことを「嘆き」つつ祈りを捧げる「嘆きの壁」
- 世界中のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)はイェルサレムの方角を向いている。
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キリスト教
キリスト教の聖地は「聖墳墓教会」である。
- イエス・キリストの「墓」=復活の地
- 西暦30年または33年にローマ人によって磔刑に処され、遺体は石灰岩の洞窟から切り出した「石墓」の上に安置された。しかし、キリストは3日後に復活し遺体に油を塗るために墓を訪れた女性たちは、遺体がなくなっているのを見つけたという。
- 西暦326年にローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが墓石を発見し、現在の聖墳墓教会を建てたとされている。
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イスラーム教
イスラーム教の聖地は「アルアクサ・モスク」
- メッカと並び重要な聖地
- ムハンマドが天使ガブリエルによってメッカから一夜にしてイェルサレムのモスク(神殿)にやってきて、そのモスクにある岩から天馬に乗って神の御前に至ったという一説がコーランにある。
- ムハンマドの足跡については、十字軍がイェルサレムを占領していた11世紀には、「キリストの足跡」とされる。
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参考文献
正木晃(2015)「世界の宗教がまるごとわかる本」 エイ出版社
高橋正男(1996)「イェルサレム」 文藝春秋
ハンドル名Dish