オルタナティブ・スクール4
出典: Jinkawiki
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オランダの教育 多様性が一人ひとりの子供を育てる リヒテルズ直子 平凡社(2004) | オランダの教育 多様性が一人ひとりの子供を育てる リヒテルズ直子 平凡社(2004) | ||
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+ | オランダの共生教育 学校が「公共心」を育てる リヒテルズ直子 平凡社(2010) |
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目次 |
シュタイナー教育
概要
アントロポソフィ(人智学)の名で知られるドイツのルドルフ·シュタイナーが生み出した教育法は、現在世界でも50カ国に730校の学校を持つ有名なオルタナティブ教育の一つです。オランダにあるオルタナティブ教育の中でも日本でもっとも広く知られた教育だと思います。シュタイナーがドイツのシュトゥットガルトのタバコ工場で学校を開いたのは1919年のことですが、その噂はいち早くオランダにも伝わり、そのわずか三年後にハーグ市でもシュタイナーの教育理念に基づく学校を建てようとの動きが現れ、24年には、ドイツ国外ではじめてのシュタイナースクールがハーグ市で始まります。
現在ハーグ市内にあるシュタイナースクールの校舎は、二九年に建設されたもので、これもアントロポソフィの理念によって建設された独特の建築物です。オランダにあるシュタイナースクールはまた、他のオルタナティブスクールが、カトリックやプロテスタントの学校として、あるいは、公立学校として存在するのに対し、唯一、どの宗派立の学校とも立場を異にし、また、公立校としても存在していません。それは、アントロポソフィが他の宗教とは必ずしも完全には相容れない独自の人間観、世界観を持っているからでもあります。シュタイナー教育では、子供の発達は、単に頭を使った知的な成長に留まるものではないという考えで、子供が(心)で感じるものを引き出し、また、手を動かして物を作り出す能力を引き出すことを大変強調しています。ですから、シュタイナースクールでは、従来の学校がもっぱら指導してきた読み、書き、布、などを材料にして心と手を動かしてものを生み出す能力を育てることを重視しています。
そして、子供たち全員を参加させ、計算だけではなく、音楽や絵画などの心で感じる教育や、金属、木材、演劇による総合的な学習のために、身体表現運動などに多くの時間を割いて指導しています。そのほか、毎日複数の科目を小刻みに学ぶのではなく、一定期間・例えば四週間は、1つの科目の学習に集中する「期間学習」という時間割の取り方六歳から一三歳くらいまでの子供たちを1人の教師が一貫して担任として指導するやり方、など、従来の学校教育が行ってきた形式を根底から覆すいくつもの特徴を持っています。 シュタイナースクールは、1924年に最初の学校が設立されて以来、およそ5年問は全国に僅かでした。しかし、73年以降急速に学校数が増加し、現在では95校が全国に点在しています。初等教育から中等教育までを含め、およそ一万九千人の生徒がシュタイナースクールで学んでいる。
「フリースクール」として
元来、オランダのシュタイナー教育は、「フリースクール」の名で呼ばれてきました ここでいうフリー (自由)というのは、国家干渉からの自由、という意味です。国家の設定した学校制度そのものの限界を指摘して、独自の教育を行おうとするフリースクールは、そのために国からの補助金も得ず、保護者からの授業料や学校活動への協力によって学校を経営してきました。幼児教育から高校の教育を一貫教育としているシュタイナースクールでは、国の教育制度として定められている初等教育、中等教育の分割の仕方とは異なる周期の小中高一貫教育を行い す。さらに、国が定める科目や授業時間数、国家試験プログラムなどにも準じないため、子供たちが他の学校に転校したり、オランダ公認の卒業資格を取ろうとする場合に、いくらかの問題がありました。このように、フリースクールは、オルタナティブスクールのなかでも特に国家馨制度に対する批判精神が顕著で、そのために文部科学省との間にも一定の緊張関係がありました。 しかし、1990年代後半になって、このようなオランダ公教育制度のなかでのシュタイナー教育の位置が大きく変化します。その頃、オランダにあるいくつかのシュタイナースクールで、教材に人種差別と解することのできる内容のものがある、また、それを否定しない教師らの発言がある、といったスキャンダルが浮上します。実際に自分の子供をシュタイナースクールに通わせていた保護者が、新聞紙上で、シュタイナースクールの教材や教員の人種差別的な態度について訴え、論議は、ルドルフ·シュタイナー自身の差別性の有無を問うまでにエスカレートしました。そしてついには文部科学省の教育次官シュタイナー教育協会に説明を求めるに至り、シュタイナー教育協会側は、この件について国会のプレスセンターで記者会見を行い、シュタイナー教育の理念に人種差別はないと弁明せざるを得ませんでした。さらに、協会は、このスキャンダルでの汚名を自ら拭うべくその後、シュタイナー教育が決して差別教育をしているものではない、という大部の報告書を発表し、以後シュタイナースクールの教職員に対して適用される差別禁止規則をまとめて公表しました。
シュタイナースクールは、国の学校体系、中核目標、試験プログラムなどを受け入れる、という形で文部科学省と合意しました。この経緯とほぼ同時進行の形で、1997年にそれにより、シュタイナースクールは2000年より家教育制度の傘下に入っています。そのため、現在ではフリーという語は、国家干渉からの自由という意味ではなく、子供の精神の自由、というほどに解釈が縮小されています。
差別発言スキャンダルが起きた背景には、国家干渉を避けるために補助金を受けず保護者の授業料で経営していたことが関係しています。補助金を受けないために、シュタイナースクールに子供を通わせる保護者は、他の学校に比べてかなり高額の授業料を払い、さらにボランティアで学校活動に参加しなければなりませんでした。それは、言い換えれば、経済的に豊かな家庭の子供でなければフリースクールに通えない、つまり、シュタイナースクールに通う子供の社会階層を限定することでもありました。その結果、フリースクールは、「金持ちの白人の子供が通う、芸術瓜視の学校」というイメージを広めることになりました。それが人種差別発言のスキャンダルを生んだ背景だったのです。無論、もともと都市のタバコ工場の労働者の子供たちのために人間性を正視した教育を行おうとしたシュタイナーに、そのようなエリート意識があったとは考えにくいことです。けれども、オランダには、シュタイナースクール以外の種々のオルタナティブスクールが国家補助金を得て多くの子供に安価に独自の学校教育を提供しています。そういう環境のなかで、それらの学校とは一線を画して親の高い寄付金で経営されるシュタイナー教育は、確かに国家制度に相対する独善的なエリート教育と見られる傾向がありました。
現在、文部科学省の制度に妥協、同調することで、そうした部分はシュタイナー教育協会の側からも意識的に是正されてきています。しかし、シュタイナー教育が特徴としている芸術教育、工作などでは、普通の学校よりも優秀な教師を雇わねばならず、他校では使っていない特教材や設備も必要としています。そのため、国家からの補助金を他校と同様に受けている現在でも、他の学校に比べて多額の追加予算を必要としています。それが保護者に比較的多額の寄付金を要求せざるを得ない結果となり、現在でも、金持ちの白人の学校というイメージは完全には払拭されていません。
フレイネ教育
概要
フレイネ教育のもっとも大きな特色は、新聞作りです。子供たちの自主的な探究心や発見を育てるために、自由作文を重視した教育をしています。フレイネ教育でも、イエナプラン教育と同じように先生と一緒に子供たちが輪を作って話し合う時間を重視しています。しかし、フレイネ教育の場合は、その教材として、子供たちが書いた自由作文を中心においています。先生は、子供たちの観察や発見を出発点にして、学習のテーマを引き出していきます。このテーマにしたがって、子供たちはさらに、観察したり調査したりという学習活動を展開していきます。そして、再びその結果を話し合い、子供新聞として印刷し、ダルトン教育のように、文章に著わして、結果を皆で共有する、というやり方です。
実態
フレイネ教育でも、子供たちが自分で時間割を作るように指導しています。これも作文にはじまる探究学習のためのものです。自主的な発見や探究心を育てるために、フレイネスクールでは、学校の外に出て、実際に人々が仕事をしているところを見たり、自然環境に触れて観察することも強調しています。子供たちが自分で考え、身の回りの世界を批判的に見る心を養おうとしています。スクールは、フランス人の社会主義者、セレスティン·フレイネが開発したもので、現在校のフレイネスクールがあり、およそ2500人の生徒が学んでいます。オランダにあるデルフトの街のフレイネスクールは全生徒数が520人という、平均の小学校の2倍の規模を持つ大きな学校です。デルフト市は、70年代に一度に六校のフレイネスクールを建てたことがありました。しかし、オランダにはすでに、遅れて紹介されたフレイネ教育はあまり普及しなかったようです。それが現在の大規模のフレイネスクールになったものです。様々なオルタナティブスクールが定着していたこともあり、デルフトの学校も結局は併合されました。 フレイネ教育では、子供の自由作文を学習の出発点とするため、教員にはかなり臨機応変な指導力が要求されます。このような指導力を持つ教員を十分に確保するには、独自の養成施設が必要ですそうした養成施設を設置するためには、相当数の学校がなければ資金を生み出すことができません。今のところ、オランダでは、そうした活動を独立して組織するフレイネ教育協会の設置までには至っておらず、独自の教育を純粋な形で実施していく基盤を生み出せてはいないようです。
参考文献
オランダの教育 多様性が一人ひとりの子供を育てる リヒテルズ直子 平凡社(2004)
オランダの共生教育 学校が「公共心」を育てる リヒテルズ直子 平凡社(2010)