ピアノ2

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==ピアノの種類== ==ピアノの種類==
-音が出るしくみによって楽器を分類すると、弦楽器、管楽器、打楽器の3つに分けられる。+グラウンドピアノ、弦が水平に張られているピアノ。コンサートホール等での演奏会に使われる。アップライトピアノ、奥行きを小さくすることで一般家庭など場所の狭い場所にも設置できるよう、弦が垂直に張られているピアノ。スピネットピアノ、アップライトピアノのうち、高さの低いもの。
-ピアノの先祖といわれる楽器には、クラヴィコード 、チェンバロ 、ダルシマーなどがあるが、さらにその祖先をたどると、すべて1本弦の弦楽器に突き当たる。つまりピアノの祖先は弦楽器だった。+ 
 +==ピアノの歴史==
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 +17世紀後半に、イタリアのバルトロメオ・クリストフォリ(Bartolomeo Cristofori) が発明したとされる。1709年に発明されたという説が語られる事もあるが、これは確定的なものではない。
 +時代ごとの作曲家に照らし合わせると、J.S.バッハは最晩年の1747年5月7日にフリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際、大王より与えられた主題により即興演奏を行なった(のちに『音楽の捧げもの』としてまとめられることになる)。この時演奏に用いたのはジルバーマン製作のピアノであったが、バッハはピアノには否定的で、この時以外演奏の記録は無く、ピアノ用の曲は1曲も書かなかった。その次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、チェンバロとピアノを各1台ずつ独奏楽器に指定した二重協奏曲を残している。また、末子のヨハン・クリスティアン・バッハはロンドンに在住中、演奏旅行で訪ねて来た少年時代のモーツァルトをひざの上に乗せて、二人の連弾でピアノを弾いたという。またモーツァルト本人は3歳の頃からピアノを弾き始め、6歳でマリア・テレジアの御前で演奏した(その際7歳のマリー・アントワネットに求婚した逸話がある)。この頃がピアノの普及期であったと言える。
 +ハイドン、モーツァルトの頃のピアノはペダルが無くダンパーは膝で操作し、又、ハンマーが木造なので音色はダルシマー、ツィンバロンに似たものとなる。演劇のアマデウスにも使われた。シューベルト、ショパン、リストの頃にはハンマーがフェルト製となる現代ピアノ(モダン・ピアノ)の構造が概ね確立する。
 +日本には、シーボルトによって初めて輸入された。山口県萩市の熊谷美術館(くまやびじゅつかん)にはシーボルトより贈られた日本最古のピアノが現存する。
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==ピアノの構造== ==ピアノの構造==
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生まれた弦の振動は「駒」という部品を通して、スピーカーのような役割を持った「響板」という板に伝わる。 この板が振動を増幅し、これによりはじめて「ピアノの音」として私たちの耳に聴こえてくる。 生まれた弦の振動は「駒」という部品を通して、スピーカーのような役割を持った「響板」という板に伝わる。 この板が振動を増幅し、これによりはじめて「ピアノの音」として私たちの耳に聴こえてくる。
 +==代表的なメーカー==
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 +・スタインウェイ
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 +・ベーゼンドルファー
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 +・ベヒシュタイン
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 +・ブリュートナー
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 +・メイソン・アンド・ハムリン
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 +・ヤマハ
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 +・カワイ(ボストンも生産)
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 +・グロトリアン  など
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(参考文献) (参考文献)
-[https://www.yamaha.com/ja/musical_instrument_guide/piano/structure/] ヤマハ株式会社+ 
 +[http://www.piano-academy.com/cgi-bin/takagi-klavier/siteup.cgi?category=3&page=0] タカギクラヴィアピアノアカデミー
[https://www.miyajimusic.com/piano/known/known1_1.php] 宮地楽器 [https://www.miyajimusic.com/piano/known/known1_1.php] 宮地楽器
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目次

ピアノの種類

グラウンドピアノ、弦が水平に張られているピアノ。コンサートホール等での演奏会に使われる。アップライトピアノ、奥行きを小さくすることで一般家庭など場所の狭い場所にも設置できるよう、弦が垂直に張られているピアノ。スピネットピアノ、アップライトピアノのうち、高さの低いもの。

ピアノの歴史

17世紀後半に、イタリアのバルトロメオ・クリストフォリ(Bartolomeo Cristofori) が発明したとされる。1709年に発明されたという説が語られる事もあるが、これは確定的なものではない。 時代ごとの作曲家に照らし合わせると、J.S.バッハは最晩年の1747年5月7日にフリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際、大王より与えられた主題により即興演奏を行なった(のちに『音楽の捧げもの』としてまとめられることになる)。この時演奏に用いたのはジルバーマン製作のピアノであったが、バッハはピアノには否定的で、この時以外演奏の記録は無く、ピアノ用の曲は1曲も書かなかった。その次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、チェンバロとピアノを各1台ずつ独奏楽器に指定した二重協奏曲を残している。また、末子のヨハン・クリスティアン・バッハはロンドンに在住中、演奏旅行で訪ねて来た少年時代のモーツァルトをひざの上に乗せて、二人の連弾でピアノを弾いたという。またモーツァルト本人は3歳の頃からピアノを弾き始め、6歳でマリア・テレジアの御前で演奏した(その際7歳のマリー・アントワネットに求婚した逸話がある)。この頃がピアノの普及期であったと言える。 ハイドン、モーツァルトの頃のピアノはペダルが無くダンパーは膝で操作し、又、ハンマーが木造なので音色はダルシマー、ツィンバロンに似たものとなる。演劇のアマデウスにも使われた。シューベルト、ショパン、リストの頃にはハンマーがフェルト製となる現代ピアノ(モダン・ピアノ)の構造が概ね確立する。 日本には、シーボルトによって初めて輸入された。山口県萩市の熊谷美術館(くまやびじゅつかん)にはシーボルトより贈られた日本最古のピアノが現存する。

ピアノの構造

ピアノには約230本の弦が張られ、全体の張力は約20トンにもなる。 奏者が鍵盤に伝えた力は、テコの運動を組み合わせた「アクション」という機構を通し、ハンマーに伝わる。 そしてハンマー(羊毛を強い圧力で固めたフェルトで出来ています)が弦を叩くことで、音(振動)が発生する。 しかし、この時発生した音はとても小さく、私たちの耳に充分には届かない。 生まれた弦の振動は「駒」という部品を通して、スピーカーのような役割を持った「響板」という板に伝わる。 この板が振動を増幅し、これによりはじめて「ピアノの音」として私たちの耳に聴こえてくる。

代表的なメーカー

・スタインウェイ

・ベーゼンドルファー

・ベヒシュタイン

・ブリュートナー

・メイソン・アンド・ハムリン

・ヤマハ

・カワイ(ボストンも生産)

・グロトリアン  など     

(参考文献)


[1] タカギクラヴィアピアノアカデミー

[2] 宮地楽器


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