コメコン

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-== 概要 == +== 概要 ==
-コメコンは、ソ連と東欧諸国を中心とした社会主義圏の貿易体制であり、1949年にソ連の主導で設立された。ソ連がコメコンの創設を決意するに至った直接の動機は、アメリカが西欧諸国の復興を図るために1948年にマーシャル・プランを設立したので、これに対抗することにあったと考えられる。そしてその後、ソ連を中心に東欧諸国では国家間の分業体制が徐々に形成された。また,1964年から域内各国間の取引に「振替ルーブル制」が導入されることになった。しかし、コメコン域内の貿易は次のような特殊な非市場的な要素を強くもっていたため、結局は西側との競争に負けることとなり、初期の目的は十分果たせなかった。すなわち、(1)計画経済国の間における国家間貿易であったこと、(2)価格の決定が合理的に行われず、また国際価格と大きく乖離していたこと、(3)決済通貨としての振替ルーブルは、その「振替性」が実際にはほとんど機能せず、計算上の単位としての意味しかもたなかったこと、である。こうした特殊な事情が重なっていたためにコメコン域内における貿易の拡大は阻害され、むしろ停滞することとなった。+ 
 +コメコンは、ソ連と東欧諸国を中心とした社会主義圏の貿易体制であり、1949年にソ連の主導で設立された。ソ連がコメコンの創設を決意するに至った直接の動機は、アメリカが西欧諸国の復興を図るために1948年にマーシャル・プランを設立したので、これに対抗することにあったと考えられる。
 +そしてその後、ソ連を中心に東欧諸国では国家間の分業体制が徐々に形成された。また,1964年から域内各国間の取引に「振替ルーブル制」が導入されることになった。しかし、コメコン域内の貿易は次のような特殊な非市場的な要素を強くもっていたため、結局は西側との競争に負けることとなり、初期の目的は十分果たせなかった。すなわち、(1)計画経済国の間における国家間貿易であったこと、(2)価格の決定が合理的に行われず、また国際価格と大きく乖離していたこと、(3)決済通貨としての振替ルーブルは、その「振替性」が実際にはほとんど機能せず、計算上の単位としての意味しかもたなかったこと、である。こうした特殊な事情が重なっていたためにコメコン域内における貿易の拡大は阻害され、むしろ停滞することとなった。
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 +各国間の利害の相違があり、かつ75年以降のソ連の対東欧エネルギー資源供給価格引上げにより東欧諸国の対ソ交易条件が悪化した。さらに85年から86年にかけての原油価格暴落後はソ連経済の衰退が加速したため、同盟国間の経済関係が弛緩し、89年以降はコメコンは事実上その意義を失っていた。
== 影響 == == 影響 ==
1991年6月にはコメコンは正式に解散されたが、この影響は、東欧諸国にとってはソ連以上に深刻であると考えられる。まず1つには、石油等の価格が国際価格に移行した場合、東欧諸国の輸入価格が大幅に上昇し、交易条件が悪化する。また、コメコンに対する貿易依存度が、東欧諸国ではソ連よりも高いため、対コメコン輸出の縮小が国内経済に及ぼす影響がより大きくなるからである。チェコ・スロバキア等、コメコン貿易への依存度の高かった国では、特に影響が深刻となっている。また、各国ともコメコン向け輸出の減少を西側向け輸出によって補おうとしているが、品質等の問題からその工業製品の競争力は低い。このため、全体として東欧の輸出は大幅な減少となっている。これに対し、ソ連の主たる輸出品は石油や天然ガス等の一次産品であるために、品質面で輸出競争力が問われるという要素は、東欧諸国に比べて相対的に少ないといえる。 1991年6月にはコメコンは正式に解散されたが、この影響は、東欧諸国にとってはソ連以上に深刻であると考えられる。まず1つには、石油等の価格が国際価格に移行した場合、東欧諸国の輸入価格が大幅に上昇し、交易条件が悪化する。また、コメコンに対する貿易依存度が、東欧諸国ではソ連よりも高いため、対コメコン輸出の縮小が国内経済に及ぼす影響がより大きくなるからである。チェコ・スロバキア等、コメコン貿易への依存度の高かった国では、特に影響が深刻となっている。また、各国ともコメコン向け輸出の減少を西側向け輸出によって補おうとしているが、品質等の問題からその工業製品の競争力は低い。このため、全体として東欧の輸出は大幅な減少となっている。これに対し、ソ連の主たる輸出品は石油や天然ガス等の一次産品であるために、品質面で輸出競争力が問われるという要素は、東欧諸国に比べて相対的に少ないといえる。
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参考文献 参考文献
「コメコンの経済統合 現状と1980年代の課題」1984 世界経済情報サービス 「コメコンの経済統合 現状と1980年代の課題」1984 世界経済情報サービス
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松戸清裕(2011)「ソ連史」ちくま新書 松戸清裕(2011)「ソ連史」ちくま新書

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概要

コメコンは、ソ連と東欧諸国を中心とした社会主義圏の貿易体制であり、1949年にソ連の主導で設立された。ソ連がコメコンの創設を決意するに至った直接の動機は、アメリカが西欧諸国の復興を図るために1948年にマーシャル・プランを設立したので、これに対抗することにあったと考えられる。 そしてその後、ソ連を中心に東欧諸国では国家間の分業体制が徐々に形成された。また,1964年から域内各国間の取引に「振替ルーブル制」が導入されることになった。しかし、コメコン域内の貿易は次のような特殊な非市場的な要素を強くもっていたため、結局は西側との競争に負けることとなり、初期の目的は十分果たせなかった。すなわち、(1)計画経済国の間における国家間貿易であったこと、(2)価格の決定が合理的に行われず、また国際価格と大きく乖離していたこと、(3)決済通貨としての振替ルーブルは、その「振替性」が実際にはほとんど機能せず、計算上の単位としての意味しかもたなかったこと、である。こうした特殊な事情が重なっていたためにコメコン域内における貿易の拡大は阻害され、むしろ停滞することとなった。

各国間の利害の相違があり、かつ75年以降のソ連の対東欧エネルギー資源供給価格引上げにより東欧諸国の対ソ交易条件が悪化した。さらに85年から86年にかけての原油価格暴落後はソ連経済の衰退が加速したため、同盟国間の経済関係が弛緩し、89年以降はコメコンは事実上その意義を失っていた。

影響

1991年6月にはコメコンは正式に解散されたが、この影響は、東欧諸国にとってはソ連以上に深刻であると考えられる。まず1つには、石油等の価格が国際価格に移行した場合、東欧諸国の輸入価格が大幅に上昇し、交易条件が悪化する。また、コメコンに対する貿易依存度が、東欧諸国ではソ連よりも高いため、対コメコン輸出の縮小が国内経済に及ぼす影響がより大きくなるからである。チェコ・スロバキア等、コメコン貿易への依存度の高かった国では、特に影響が深刻となっている。また、各国ともコメコン向け輸出の減少を西側向け輸出によって補おうとしているが、品質等の問題からその工業製品の競争力は低い。このため、全体として東欧の輸出は大幅な減少となっている。これに対し、ソ連の主たる輸出品は石油や天然ガス等の一次産品であるために、品質面で輸出競争力が問われるという要素は、東欧諸国に比べて相対的に少ないといえる。


参考文献 「コメコンの経済統合 現状と1980年代の課題」1984 世界経済情報サービス

松戸清裕(2011)「ソ連史」ちくま新書


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