ノート:イスラム教

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「宗教と社会のフロンティア」勁草書房 「宗教と社会のフロンティア」勁草書房
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イスラム教

<イスラム教の基本的な事柄> 預言者ムハンマドに降ろされた啓示によって誕生した。 唯一神アッラー。現在世界中に約10億人以上の信者を持ち、世界三大宗教の一つとされている。しかし日本人にとっては馴染みが薄く、2001年の同時多発テロ以降は、・テロ・危険・女性抑圧というイメージが刷り込まれてしまったのが事実である。

六つの信仰箇条(六信) ・預言者ムハンマド・天使・神アッラー・啓典・来世・定命 五つの義務行動(五行) ・信仰告白・断食・巡礼・礼拝・喜捨

<日本とイスラーム> 日本とイスラーム諸国との関係が始まったのは明治以降である。ロシア革命後にはロシアから多くのムスリムが亡命した。1972年、聖典クルアーンの日本語訳が初めて出版された。1973年の石油危機では産油国でもあるイスラーム諸国に対する関心が一時的に高まったものの。いまだ日本人のイメージするイスラームは「砂漠のかなたの不思議な宗教」というものだった。  こうしたなか、日本におけるイスラームの状況が変化したのは1980年代半ばからのバブル期である。バブルの好景気を支えた製造業・建設業では労働力は不足し、アジア諸国から労働者が募られ、その中には南・東南アジアを中心とするイスラーム諸国も含まれていた。  1980年代、ビザがとりやすく国内の何十倍も稼げる日本への出稼ぎに人気が集中した。1988年にイラク・イラン戦争が終わるとイランからも大勢の労働者が来日した。また1993年には産業技術獲得のための技術実習制度が導入され、インドネシアやマレーシアからも若者が多く来日するようになった。しかし、あまりにも出稼ぎ労働者が増えたため、これらの国々との間でとられていた査証免除措置は1990年前後に次々に停止されてしまった。さらに1990年の改正入管法で日系人に合法的に単純労働も認める滞在資格が新設され、1991年にバブルが崩壊したことで、イスラーム諸国からの出稼ぎ労働者の多くが帰国を余儀なくされたのである。  日本に残った中には日本人の女性と結婚した人もいた。結婚により滞在資格が安定した彼の中には、親族や同郷者とのネットワークを活かしてビジネスを起こすものいた。

 ちなみに現在日本にいるムスリムは2000年の時点で、約6万3500人余りになる。 日本人も合わせると約7万にもなると見積もることができる。

<日本人のイスラム教信者と接してみて思ったこと> 私のアルバイト先に、パキスタン人の父親と日本人の母親をもったハーフの男の子がいる。彼は私と同い年で、フリーターをやっている。父親がイスラム教の信仰に大変熱心なために、彼もイスラム教の決まりを厳格にまもっている。7月半ばの猛暑の日も、日が落ちるまでは飲まず食わずで、何も口にしていなかった。 2001年のテロの影響でイスラム教に対してあまり良いイメージがなかったが、熱心に信仰している姿をみてとても感銘をうけた。 信仰心を大切にし、決まりごとに関しては妥協をしない面は、見習わなければならないことだなと思った。


参考文献 「宗教と社会のフロンティア」勁草書房


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