歴史認識
出典: Jinkawiki
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- | 日本の「歴史問題」は、主にアジア太平洋戦争での経験と敗北に根差している。アジア太平洋戦争の開戦から終戦まで、約15年にわたる多くの非人道的行為が見られ、日本と東アジア諸国の間、現在では中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国において、その戦争の「記憶」が火種となり、外交問題へと発展する場合があった。 | + | 日本の「歴史問題」は、主にアジア太平洋戦争での経験と敗北に根差している。アジア太平洋戦争の開戦から終戦まで、約15年にわたる多くの非人道的行為が見られ、日本と東アジア諸国の間、現在では中華人民共和国と大韓民国において、その戦争の「記憶」が火種となり、外交問題へと発展する場合があった。日本における歴史認識は、社会状況の変化と共にその議論の焦点が変化してきている。その中でも靖国神社は、戦前・戦後と時代を貫く存在であり、その存在理由は、日本の歴史認識の変化の影響を受けている。 |
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:終戦 | :終戦 | ||
- | = 国際関係論からみる「歴史認識」 = | + | = 靖国神社 = |
+ | 元来は「東亰招魂社(とうけいしょうこんしゃ)」という名称であったが、後に現社名「靖國神社」に改称された。招魂社であるので、氏子地域は存在しない(当社所在地周辺は築土神社や日枝神社の氏子地域にあたる)。創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が、後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括した。1946年(昭和21年)に、日本国政府の管理を離れて東京都知事の認証により、宗教法人法の単立宗教法人となった。国家神道の代表的施設であり、日本の内閣総理大臣や国務大臣の公式参拝が、しばしば中華人民共和国や大韓民国から非難され国際問題化となる。 | ||
+ | = 近隣国との関係 = | ||
+ | *日韓関係 | ||
+ | :2005年に小泉純一郎首相の靖国神社参拝をきっかけに韓国の廬武鉉(ノムヒョン)大統領との関係が悪化し、首相レベルの相互訪問を行う「日韓シャトル外交」が一時的な廃止(2008年に再開、2012年に停止、2017年に日韓首脳により再開)に追い込まれた。 | ||
+ | *日中関係 | ||
+ | :両国の異なる歴史認識をきっかけに両国間の緊張が高まり、尖閣諸島の領有権の問題が外交問題のみならず、2010年には海上保安船と漁船を巻き込んだ物理的な衝突にも間接的につながった。 | ||
- | = 歴史認識と靖国神社 = | + | = 国際関係論からみる「歴史認識」 = |
+ | 「歴史認識」の構築過程の要点をおさえるには、国際関係理論の「構成主義」のアプローチが役に立つ。構成主義によると、人間や国家といった主体から発せられるアイディアは社会に反映され、市民社会、国家、国際社会の価値基準、つまり、「規範」となる。その規範は、主体の行動基準として機能し、主体はその基準に従って判断を行っていくという。規範形成の基盤となるアイディアは、主体の経験に基づくアイデンティティから構築されるものが多く、社会から支持を得ることによって規範へと変化する。当然ながら、確立された価値基準はいつ変わるのか、といった疑問が残るが、多くの場合は、戦争といった危機に瀕した場合に変わることが多い。構成主義のアプローチは、このように規範形成のプロセスやその影響力の解明に用いられており、歴史認識が形成される過程、社会において様々な歴史認識が存在する理由などを理解するために役立つ。日本にまつわる歴史認識の問題は、靖国問題、南京事件、従軍慰安婦問題など多く、包括的に考える必要がある。 | ||
- | = まとめ = | ||
+ | = 認識すべきこと = | ||
+ | 「歴史認識」の概念、構成主義のアプローチを用いた分析枠組み、靖国神社を通した日本の国内における歴史認識の差異、それに伴う日本外交へ影響がある。多様な歴史認識が存在することを前提に、あらゆる歴史認識を手放しで認めていくことは、明らかに事実誤認を基礎とした論理や根拠の乏しい陰謀論までもがまかり通ってしまい、混乱を招くことになる。そのため、歴史認識において少なくとも3つの点を認識する必要がある。 | ||
+ | *政治的認識 | ||
+ | :社会規範は個人や市民社会が構築していくアプローチも存在するが、国家が憲法や法をもって養成していくトップ・ダウンのアプローチも存在する。国家の視点から、健全なナショナリズムを養成するために、教科書や博物館などを通して、一定の歴史観を社会に浸透させることは有効な手段であろう。しかし、それは政治的に利用されやすく、一部の政治家が歴史を政争の具にするのは、このためでもある。事実が取捨選択され、一定の解釈が付されていることにより、負の側面があるという認識をしておく必要がある。 | ||
+ | *国際的認識 | ||
+ | :現在の国際秩序は、第二次世界大戦後に欧米諸国を中心に構成されているため、歴史的に核兵器使用を含めた連合軍の行動が正当化されやすい。このような認識変化は、決して不可能ではないものの、極めて時間がかかるものとなっている。結果として、現在の「国際社会」からみた「歴史認識」は存在していることになる。これが普遍的な心理であるかと言えばそうとは考えにくいが、現在の国際社会の秩序維持のための規範を提供している。 | ||
+ | *社会的認識 | ||
+ | :歴史認識は、社会で構築されたものだとしても、個人や社会のアイデンティティにつながる。そのため、自らが正しいと思う根拠のみに依拠した解釈に個々が縛られがちであり、反証される可能性がある事実はノイズとして処理され、異なる解釈に対して感情的になる場合がある。しかし、議論を拒否することは、新たな事実や解釈の有意性を見落としかねず、個人や社会の間に存在している歴史認識のギャップを埋める機会を自ら潰してしまうことになる。歴史認識においてコンセンサスを得ることは困難であるが、共通の土台を構築するためには対話が継続が必要である、 | ||
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最新版
目次 |
はじめに
日本の「歴史問題」は、主にアジア太平洋戦争での経験と敗北に根差している。アジア太平洋戦争の開戦から終戦まで、約15年にわたる多くの非人道的行為が見られ、日本と東アジア諸国の間、現在では中華人民共和国と大韓民国において、その戦争の「記憶」が火種となり、外交問題へと発展する場合があった。日本における歴史認識は、社会状況の変化と共にその議論の焦点が変化してきている。その中でも靖国神社は、戦前・戦後と時代を貫く存在であり、その存在理由は、日本の歴史認識の変化の影響を受けている。
アジア太平洋戦争
- 1931
- 柳条湖事件(満州事変)
- 1941.12
- マレー作戦・真珠湾攻撃
- 1945.8.15
- ポツダム宣言受諾
- 1945.9.2
- 終戦
靖国神社
元来は「東亰招魂社(とうけいしょうこんしゃ)」という名称であったが、後に現社名「靖國神社」に改称された。招魂社であるので、氏子地域は存在しない(当社所在地周辺は築土神社や日枝神社の氏子地域にあたる)。創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が、後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括した。1946年(昭和21年)に、日本国政府の管理を離れて東京都知事の認証により、宗教法人法の単立宗教法人となった。国家神道の代表的施設であり、日本の内閣総理大臣や国務大臣の公式参拝が、しばしば中華人民共和国や大韓民国から非難され国際問題化となる。
近隣国との関係
- 日韓関係
- 2005年に小泉純一郎首相の靖国神社参拝をきっかけに韓国の廬武鉉(ノムヒョン)大統領との関係が悪化し、首相レベルの相互訪問を行う「日韓シャトル外交」が一時的な廃止(2008年に再開、2012年に停止、2017年に日韓首脳により再開)に追い込まれた。
- 日中関係
- 両国の異なる歴史認識をきっかけに両国間の緊張が高まり、尖閣諸島の領有権の問題が外交問題のみならず、2010年には海上保安船と漁船を巻き込んだ物理的な衝突にも間接的につながった。
国際関係論からみる「歴史認識」
「歴史認識」の構築過程の要点をおさえるには、国際関係理論の「構成主義」のアプローチが役に立つ。構成主義によると、人間や国家といった主体から発せられるアイディアは社会に反映され、市民社会、国家、国際社会の価値基準、つまり、「規範」となる。その規範は、主体の行動基準として機能し、主体はその基準に従って判断を行っていくという。規範形成の基盤となるアイディアは、主体の経験に基づくアイデンティティから構築されるものが多く、社会から支持を得ることによって規範へと変化する。当然ながら、確立された価値基準はいつ変わるのか、といった疑問が残るが、多くの場合は、戦争といった危機に瀕した場合に変わることが多い。構成主義のアプローチは、このように規範形成のプロセスやその影響力の解明に用いられており、歴史認識が形成される過程、社会において様々な歴史認識が存在する理由などを理解するために役立つ。日本にまつわる歴史認識の問題は、靖国問題、南京事件、従軍慰安婦問題など多く、包括的に考える必要がある。
認識すべきこと
「歴史認識」の概念、構成主義のアプローチを用いた分析枠組み、靖国神社を通した日本の国内における歴史認識の差異、それに伴う日本外交へ影響がある。多様な歴史認識が存在することを前提に、あらゆる歴史認識を手放しで認めていくことは、明らかに事実誤認を基礎とした論理や根拠の乏しい陰謀論までもがまかり通ってしまい、混乱を招くことになる。そのため、歴史認識において少なくとも3つの点を認識する必要がある。
- 政治的認識
- 社会規範は個人や市民社会が構築していくアプローチも存在するが、国家が憲法や法をもって養成していくトップ・ダウンのアプローチも存在する。国家の視点から、健全なナショナリズムを養成するために、教科書や博物館などを通して、一定の歴史観を社会に浸透させることは有効な手段であろう。しかし、それは政治的に利用されやすく、一部の政治家が歴史を政争の具にするのは、このためでもある。事実が取捨選択され、一定の解釈が付されていることにより、負の側面があるという認識をしておく必要がある。
- 国際的認識
- 現在の国際秩序は、第二次世界大戦後に欧米諸国を中心に構成されているため、歴史的に核兵器使用を含めた連合軍の行動が正当化されやすい。このような認識変化は、決して不可能ではないものの、極めて時間がかかるものとなっている。結果として、現在の「国際社会」からみた「歴史認識」は存在していることになる。これが普遍的な心理であるかと言えばそうとは考えにくいが、現在の国際社会の秩序維持のための規範を提供している。
- 社会的認識
- 歴史認識は、社会で構築されたものだとしても、個人や社会のアイデンティティにつながる。そのため、自らが正しいと思う根拠のみに依拠した解釈に個々が縛られがちであり、反証される可能性がある事実はノイズとして処理され、異なる解釈に対して感情的になる場合がある。しかし、議論を拒否することは、新たな事実や解釈の有意性を見落としかねず、個人や社会の間に存在している歴史認識のギャップを埋める機会を自ら潰してしまうことになる。歴史認識においてコンセンサスを得ることは困難であるが、共通の土台を構築するためには対話が継続が必要である、
参考文献
- 細谷雄一『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か -日露戦争からアジア太平洋戦争まで』新潮社
- 橋本伸也『記憶の政治ーヨーロッパの歴史認識紛争』岩波書店
- 日本国際政治学会編『国際政治(歴史認識と国際政治)』第187号