ショック・ドクトリン

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 ショック・ドクトリンとは、いっさいの規制や介入を排して自由市場のメカニズムに任せればおのずから均衡状態が生まれるという考えに基づく、参事便乗型資本主義、つまり大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革のことである。ショック・ドクトリンは、1970年代チリの軍事クーデター後の独裁政権のもとで押し付けられた「改革」をモデルとし、その後、ポーランド、ソ連崩壊後のロシア、アパルトヘイト政策廃止後の南アフリカ、さらにイラク戦争や、アジアの津波災害、ハリケーン・カトリーナなど、暴力的な衝撃で世の中を変えた事件とその後の「復興」や、IMFや世界銀行が介入する「構造調整」という名の暴力的改変に共通している。  ショック・ドクトリンとは、いっさいの規制や介入を排して自由市場のメカニズムに任せればおのずから均衡状態が生まれるという考えに基づく、参事便乗型資本主義、つまり大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革のことである。ショック・ドクトリンは、1970年代チリの軍事クーデター後の独裁政権のもとで押し付けられた「改革」をモデルとし、その後、ポーランド、ソ連崩壊後のロシア、アパルトヘイト政策廃止後の南アフリカ、さらにイラク戦争や、アジアの津波災害、ハリケーン・カトリーナなど、暴力的な衝撃で世の中を変えた事件とその後の「復興」や、IMFや世界銀行が介入する「構造調整」という名の暴力的改変に共通している。
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 ショック・ドクトリンの源は、ケインズ主義に反対して徹底的な市場至上主義、規制撤廃、民営化を主張したシカゴ大学の経済学者ミルトン・フリードマンであり、過激な荒療治の発想には、個人の精神を破壊して言いなりにさせるショック療法(アメリカCIAによる拷問手法)が重なる。フリードマンと彼の率いたシカゴ学派の経済学者たちは、ある社会が政変や自然災害などの危機に見舞われ、人々がショック状態に陥ってなんの抵抗もできなくなったときこそが、自分たちの信じる市場原理主義に基づく経済政策を導入するチャンスだと捉え、それを世界各地で実践した。その原点ともいうべき、おぞましい人体実験が、ショック・ドクトリンが最初に導入される20年ほど前、米ソ冷戦下の1950年代にカナダのマギル大学でひそかに行われた。洗脳や拷問のノウハウを得るためにCIAの資金援助を得て行われたこの一連の実験は、被害者に電気ショックや感覚遮断、薬物投与などの身体的ショックを過剰なまでに与えることによって、その人の脳を白紙状態に戻すことを目的としていた。実験は無残な失敗に終わるが、ショックを与えてすべてを消去し、白紙に戻したところに新しいシステムを植え付けようという試みは、個人と社会全体という違いはあるものの、あらゆるショック・ドクトリンが発動したところで見られる共通の図式である。  ショック・ドクトリンの源は、ケインズ主義に反対して徹底的な市場至上主義、規制撤廃、民営化を主張したシカゴ大学の経済学者ミルトン・フリードマンであり、過激な荒療治の発想には、個人の精神を破壊して言いなりにさせるショック療法(アメリカCIAによる拷問手法)が重なる。フリードマンと彼の率いたシカゴ学派の経済学者たちは、ある社会が政変や自然災害などの危機に見舞われ、人々がショック状態に陥ってなんの抵抗もできなくなったときこそが、自分たちの信じる市場原理主義に基づく経済政策を導入するチャンスだと捉え、それを世界各地で実践した。その原点ともいうべき、おぞましい人体実験が、ショック・ドクトリンが最初に導入される20年ほど前、米ソ冷戦下の1950年代にカナダのマギル大学でひそかに行われた。洗脳や拷問のノウハウを得るためにCIAの資金援助を得て行われたこの一連の実験は、被害者に電気ショックや感覚遮断、薬物投与などの身体的ショックを過剰なまでに与えることによって、その人の脳を白紙状態に戻すことを目的としていた。実験は無残な失敗に終わるが、ショックを与えてすべてを消去し、白紙に戻したところに新しいシステムを植え付けようという試みは、個人と社会全体という違いはあるものの、あらゆるショック・ドクトリンが発動したところで見られる共通の図式である。
- またショック・ドクトリンという名は、カナダ生まれのジャーナリストであり作家、活動家のナオミ・クラインによってつけられた。フリードマンが提唱した過激なまでの自由市場経済は市場原理主義、新自由主義などとも呼ばれ、徹底した民営化と規制撤廃、自由貿易、福祉や医療などの社会支出の削減を柱とする。こうした経済政策は大企業や多国籍企業、投資家の利害と密接に結びつくものであり、貧富の格差拡大や、テロ攻撃を含む社会的緊張の増大につながる悪しきイデオロギーだと、クラインは主張する。+ 
 + また、ショック・ドクトリンという名は、カナダ生まれのジャーナリストであり作家、活動家のナオミ・クラインによってつけられた。フリードマンが提唱した過激なまでの自由市場経済は市場原理主義、新自由主義などとも呼ばれ、徹底した民営化と規制撤廃、自由貿易、福祉や医療などの社会支出の削減を柱とする。こうした経済政策は大企業や多国籍企業、投資家の利害と密接に結びつくものであり、貧富の格差拡大や、テロ攻撃を含む社会的緊張の増大につながる悪しきイデオロギーだと、クラインは主張する。
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参考文献 参考文献
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ナオミ・クライン(2011)『ショック・ドクトリン 上・下』(幾島幸子・村上由見子訳)岩波書店 ナオミ・クライン(2011)『ショック・ドクトリン 上・下』(幾島幸子・村上由見子訳)岩波書店

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 ショック・ドクトリンとは、いっさいの規制や介入を排して自由市場のメカニズムに任せればおのずから均衡状態が生まれるという考えに基づく、参事便乗型資本主義、つまり大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革のことである。ショック・ドクトリンは、1970年代チリの軍事クーデター後の独裁政権のもとで押し付けられた「改革」をモデルとし、その後、ポーランド、ソ連崩壊後のロシア、アパルトヘイト政策廃止後の南アフリカ、さらにイラク戦争や、アジアの津波災害、ハリケーン・カトリーナなど、暴力的な衝撃で世の中を変えた事件とその後の「復興」や、IMFや世界銀行が介入する「構造調整」という名の暴力的改変に共通している。

 ショック・ドクトリンの源は、ケインズ主義に反対して徹底的な市場至上主義、規制撤廃、民営化を主張したシカゴ大学の経済学者ミルトン・フリードマンであり、過激な荒療治の発想には、個人の精神を破壊して言いなりにさせるショック療法(アメリカCIAによる拷問手法)が重なる。フリードマンと彼の率いたシカゴ学派の経済学者たちは、ある社会が政変や自然災害などの危機に見舞われ、人々がショック状態に陥ってなんの抵抗もできなくなったときこそが、自分たちの信じる市場原理主義に基づく経済政策を導入するチャンスだと捉え、それを世界各地で実践した。その原点ともいうべき、おぞましい人体実験が、ショック・ドクトリンが最初に導入される20年ほど前、米ソ冷戦下の1950年代にカナダのマギル大学でひそかに行われた。洗脳や拷問のノウハウを得るためにCIAの資金援助を得て行われたこの一連の実験は、被害者に電気ショックや感覚遮断、薬物投与などの身体的ショックを過剰なまでに与えることによって、その人の脳を白紙状態に戻すことを目的としていた。実験は無残な失敗に終わるが、ショックを与えてすべてを消去し、白紙に戻したところに新しいシステムを植え付けようという試みは、個人と社会全体という違いはあるものの、あらゆるショック・ドクトリンが発動したところで見られる共通の図式である。

 また、ショック・ドクトリンという名は、カナダ生まれのジャーナリストであり作家、活動家のナオミ・クラインによってつけられた。フリードマンが提唱した過激なまでの自由市場経済は市場原理主義、新自由主義などとも呼ばれ、徹底した民営化と規制撤廃、自由貿易、福祉や医療などの社会支出の削減を柱とする。こうした経済政策は大企業や多国籍企業、投資家の利害と密接に結びつくものであり、貧富の格差拡大や、テロ攻撃を含む社会的緊張の増大につながる悪しきイデオロギーだと、クラインは主張する。


参考文献

ナオミ・クライン(2011)『ショック・ドクトリン 上・下』(幾島幸子・村上由見子訳)岩波書店


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