冷戦

出典: Jinkawiki

(版間での差分)
2008年8月2日 (土) 14:13の版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

← 前の差分へ
最新版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

15 行 15 行
     
-  +  ・アジア・オセアニア[日本、大韓民国、南ベトナム、フィリピン、タイ、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド]
- ・アジア・オセアニア[日本、大韓民国、南ベトナム、フィリピン、タイ、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド]+
  ・中東・アフリカ[イスラエル、南アフリカ]   ・中東・アフリカ[イスラエル、南アフリカ]
28 行 27 行
  ・アメリカ大陸[キューバ]   ・アメリカ大陸[キューバ]
-  +   
-  + 
  ・アジア[中華人民共和国、北朝鮮、北ベトナム、カンボジア、モンゴル、ラオス]   ・アジア[中華人民共和国、北朝鮮、北ベトナム、カンボジア、モンゴル、ラオス]
- 
  ・中東・アフリカ[南イエメン、タンザニア、エチオピア、ベナン、シリア]   ・中東・アフリカ[南イエメン、タンザニア、エチオピア、ベナン、シリア]
39 行 37 行
  ・スイス(永世中立国)、オーストリア、スウェーデン(以上西側寄り)、フィンランド(ソ連寄り)、ユーゴスラビア、アルバニア(以上共産主義圏)   ・スイス(永世中立国)、オーストリア、スウェーデン(以上西側寄り)、フィンランド(ソ連寄り)、ユーゴスラビア、アルバニア(以上共産主義圏)
- + 
-・ミャンマー+ ・ミャンマー

最新版

  1、冷戦とは

 冷戦とは、第二次世界大戦後の世界を分けたソビエト連邦が盟主である共産主義陣営とアメリカ合衆国が盟主である資本主義陣営との対立である。1945年から1989年まで続き、直接武力衝突を行わなかったため、冷たい戦争=cold warと呼ばれている。また、共産主義国わ東欧に集まっていたことから東側、資本主義陣営は西側と呼ばれ対立していた。このどちらの陣営にも属さない開発途上国は「第三世界」と呼ばれ、それぞれの陣営の思惑に左右されることになる。しかしこうした両陣営の思惑をさかてにとり、援助外交もたくさん行われた。インドでは、第三世界の連帯を図る動きもあった。    


   2、両陣営の主な国  

 資本主義陣営

  ・アメリカ大陸[アメリカ合衆国、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン]   

  ・ヨーロッパ[イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル、オランダ、ギリシャ、デンマーク、ノルウェー、トルコ]                

  ・アジア・オセアニア[日本、大韓民国、南ベトナム、フィリピン、タイ、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド]

  ・中東・アフリカ[イスラエル、南アフリカ]


 共産主義陣営

  ・ヨーロッパ[ソビエト連邦、ポーランド、東ドイツ、ルーマニア、ブルガリア、チェコスロバキア、ハンガリー]      

  ・アメリカ大陸[キューバ]    

  ・アジア[中華人民共和国、北朝鮮、北ベトナム、カンボジア、モンゴル、ラオス]

  ・中東・アフリカ[南イエメン、タンザニア、エチオピア、ベナン、シリア]


 非同盟・中立

  ・スイス(永世中立国)、オーストリア、スウェーデン(以上西側寄り)、フィンランド(ソ連寄り)、ユーゴスラビア、アルバニア(以上共産主義圏)    ・ミャンマー


 資本主義陣営→共産主義陣営


 ・イラク  ・キューバ  ・エチオピア  ・ラオス  ・カンボジア  ・ベトナム(旧南ベトナム)



 共産主義陣営→資本主義陣営


 ・インドネシア   ・エジプト



 3、対立構造    

  ・軍事的対立[西側=北大西洋条約機構(NATO)  東側=ワルシャワ条約機構(WTO)]


  ・経済的対立[西側=対共産圏輸出統制委員会(COCOM)  東側=経済相互援助会議(COMECON)]


   4、冷戦の起源

 1945年のルーズベルト、スターリン、チャーチルによるヤルタ会談会談が戦後の行方を決定する。戦争によって、大きな損害をうけていた西欧諸国にとって、、共産主義の勢力が拡大することが恐れられていた。イギリスは、戦勝国ではあるが、ソ連に対抗できる戦力はもう残っておらず、アメリカの役割が重要になってきたのであった。そこで、アメリカは「トルーマン・ドクトリン」という、イギリスにかわって、ギリシャ、及びトルコの防衛を引き受けることにした。全体主義と自由主義の二つの生活様式を確立したかったのだと思う。こうして、戦後アメリカはヨーロッパ大国に継続的に関与していくのである。また、共産主義諸国では反ファシズムをかかげて、法務、内務といった主要ポストを共産党が握っていった。そこでは、ソ連型の社会主義政策が画一的に採用されていった。  


   5、冷戦諸国の影響  

 互いに「仮想敵国」であると想定し、戦争になった場合に勝利を得ようと勢力の拡大を競い合い、軍備拡張が続いていった。その代表として核兵器開発と宇宙開発競争があげられる。その一方で第三世界の諸国では、核陣営の支援の元で実際に争いが起こっていった。軍事政権による汚職と軍事勢力同士によるクーデターが横行し民衆は貧困にあえぐことになる。 代表的な事件をあげてみたい。  


 ①ベルリン危機   

  当時、東ドイツでは、過酷な社会主義化政策によって、市民から反発が高まり、その多くの人が、西ドイツへと逃亡した。その中の社会主義建設の中心になる階層の流失におそれを抱いた、ウリブリヒトはドイツの問題を訴え、西側陣営に挫折した際には、人口流失を物理的に阻止するために、西ベルリンを囲む形でのちに壁が築かれたのである。そして、国土と同様に首都のベルリンは、四国分割された。冷戦対立が強まる中、ソ連は西ベルリンへとつながる鉄道と道路を封鎖した。(ベルリン封鎖)  


 ②ベトナム戦争

  東南アジアにおける共産主義の拡大を阻止することが、アメリカの安全に結びつくと考える「ドミノ理論」にもとずき、アメリカはフランスを支援するのである。アメリカの作戦は「サーチ・アンド・デストロイ(索敵撃滅)」というアメリカにとっての敵であるベトコン(解放戦線)NVA(北ベトナム軍)の兵士とその根拠を探索し、壊滅させるものであっ た。しかし、近代兵器の威力を信じすぎたことと、アメリカの援助に支えられた民間人の支持を得られなかったことと、又、外国支配にたいする民族独立の精神の底力を見抜けなかったことがアメリカの失敗につながった。兵力を増大し、作戦を拡大すればするほど、南ベトナムの人々の支持をうしなっていったのであった。

  

  6、終結過程

 1985年、ソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは改革(ペレストロイカ)および軍縮提案を行い、西側との関係改善にのりだした。そして1989年中距離核戦力撤廃条約を調印した。また、東ドイツがベルリンの壁の解放宣言をし、冷戦の象徴ともいうべきベルリンの壁が崩壊したのである。そしてマルタ島でゴルバチョフとジョージ・H・W・ブッシュが会談し、冷戦の終結を宣言した。冷戦の終結をうけ、反共産主義を撤退することを条件にアメリカの援助をうけていた国々は次々と独立していった。また、ソ連から多大な支援をうけていたキューバは、援助がなくなり経済危機に陥ることとなった。  



  7、新冷戦について  

     共産主義政権を支えるために、1979年にソ連がアフガニスタンを侵攻した。このために西側は反発をおこして1980年のオリンピックをボイコットした。またアメリカはアフガニスタンの反共勢力である「ムジャヒデン」を援助したため、ソ連は完全にアフガニスタンを抑圧できなかった。ところが、この騒乱のために世界には東西の陣営とは別に、もうひとつのイスラム原理主義という勢力があることにきずいた。アメリカはソ連を倒すためにこの勢力を支援したが、1979年イラン革命のさいには国際法を無視してアメリカ大使館員が人質になるなど、逆に新たなる敵となったのである。


  

  8、新世紀の展開   

 アメリカによる中東介入に反感をもったイスラム原理主義過激派は、アメリカ同時多発テロ事件を引き起こし、アフガニスタン戦争やイラク戦争となった。西欧における冷戦は終結したが、東アジアでは、モンゴルの民主化、中華人民共和国と中華民国の対立、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の対立が現在でも続いている。また日本共産党と朝鮮総連は公安当局に監視されているなどこちらは解決の見とうしは立っておらず、今後は問題の解決が課題となっている。



    私は国際社会論の授業でベトナム戦争に興味をもち、調べていくうちにベトナム戦争は資本主義陣営と共産主義陣営による冷戦に起源があることがわかった。また、冷戦による政治的な問題に直結する戦争は意味をなすものではなく、つまり無意味だった戦争も数多くあることがわかった。日本においてもアメリカの特殊部隊の訓練所があったり、ベトナム戦争のときにはフランス人に加担し、ベトナム人を大量に殺害した事件だってある。私たちだって他国の出来事であるのだと勘違いし、無視することはできないはずだ。また実際に自分の目で見ないと感じとることのできない状況・思いがたくさんあったはずだと思う。メディアの情報をそのままうのみにせずに私たち自身で調べ、適切な情報を選んでいかなければならないと思う。国際社会において大切なことは互いに国同士の情勢を知り、平和な解決策を考えるなど、思いやることが一番必要だと思う。国境には違いがあったとしても、同じ人間として通じあえることは不可能ではないはずだ。  

                                              11099 


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成