カトリックとロシア正教会
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カトリックとロシア正教会が和解に向けて対話をはじめた。 背景 それにはイスラム国の勢力拡大の危機感が背景にある。2016年2月にキリスト教のうち、カトリックとロシア正教会の対話が始まった。キリスト教にはいくつものグループがある。このうちカトリックとロシア正教会のそれぞれトップが会談。和解に向けて対話を始めることになった。
教徒の迫害を受けてカトリックとロシア正教会が対話を開始 世界に21億人以上いるキリスト教徒はいくつものグループに分かれている。カトリックやプロテスタントという名前。これらは考えの違いから分かれてきたのだが、このうちの二つのグループが「対立をやめて仲良くしよう」と話し合いを始めた。いまから2020年ほど前に中東のパレスチナ地方で生まれたとされるイエスはユダヤ教徒だった。ユダヤ教の改革運動をしたことが恨みを買い、十字架にかけられて殺された。イエスの死後、イエスこそ救世主(キリスト)ではないかと考えた人たちがキリスト教徒と呼ばれるようになる。イエスを殺害したのはパレスチナを支配していたローマ帝国であったが、やがてキリスト教がローマ帝国内に広まり、ついにキリスト教がローマ帝国の国教になる。国教とは「国の宗教」。国民が信じなければいけない宗教だ。ところが、やがてローマ帝国が東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれた。これに伴い、1054年キリスト教も東西に分裂した。考え方の違いが次第に大きくなって互いに相手を非難しあうようになる。西ローマ帝国のキリスト教はカトリック(普遍的)、東ローマ帝国のキリスト教は東方正教会と呼ばれる。カトリックの最高指導者はローマ法王である。
カトリックが分裂 その後16世紀になってヨーロッパで宗教改革が始まる。それまでのカトリックのやり方に反対する人たちが新しい教会を作ったこの人たちはカトリックのやり方に「抗議する人」という意味のプロテスタントと呼ばれた。一方、東方正教会は東ヨーロッパからロシアに教え広がり各地に正教会が誕生する。東方正教会にはローマ法王のような最高指導者は存在せず、それぞれの教会が対等な立場だ。その結果、ギリシャ正教やロシア正教、セルビア正教など各地に独自の教会がうまれた。カトリックも東方正教会もそれぞれ自分たちが正統なキリスト教徒だと主張し対立が続いてきた。
イスラム過激派に危機感
しかし、そんな対立をしている場合ではなくなってきた。中東のシリアやイラクでイスラム過激派「イスラム国」(IS)が勢力を伸ばし、キリスト教徒が迫害されたり殺害されるようになったからである。2016年2月12日、中米キューバの首都ハバナでカトリックのフランシスコ法王と、ロシア正教会のキリル総主教が会談。1000年近くたって、ようやく「仲良くしよう」と語り合ったのだ。
参考文献 池上彰(2017) 『一気にわかる!池上彰の世界情勢2017』毎日新聞出版 投稿者ほわすー