福島第一原発事故5
出典: Jinkawiki
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原子力は、開発草創期に「第三の火」と呼ばれていた。人類が火を使うようになったのは数十万年前とされ、枯れ木などを燃やして食物を加熱したり暖房に使ったりすることで文明を発達させてきた。これを第一の火とし、18世紀に本格化した石炭利用や19世紀以降の石油利用など化石燃料を燃やすことが第二の火にあたる。これら第一と第二の火は燃焼と呼ばれる化学反応でエネルギーを得ている。これに対し、「原子力エネルギー」を代表する「核分裂現象」は燃焼とは根本的に性質を異にする反応だ。それまで不変と思われていた原子核そのものが姿を変えることにより、原子核の中に閉じ込められていた膨大なエネルギーを解き放つ。このように原子核を壊すことによってエネルギーを取り出すのが「第三の火」の特徴だ。原子力発電の源流となったウランの「核分裂反応」は1938年12月にドイツのオットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンがウランに中性子に照射する実験中に発見した。そして原子力発電は少ない燃料から大量の電気を発電することが出来るため資源の少ない日本には必要不可欠なものだった。また二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーとして注目を集めていった。 | 原子力は、開発草創期に「第三の火」と呼ばれていた。人類が火を使うようになったのは数十万年前とされ、枯れ木などを燃やして食物を加熱したり暖房に使ったりすることで文明を発達させてきた。これを第一の火とし、18世紀に本格化した石炭利用や19世紀以降の石油利用など化石燃料を燃やすことが第二の火にあたる。これら第一と第二の火は燃焼と呼ばれる化学反応でエネルギーを得ている。これに対し、「原子力エネルギー」を代表する「核分裂現象」は燃焼とは根本的に性質を異にする反応だ。それまで不変と思われていた原子核そのものが姿を変えることにより、原子核の中に閉じ込められていた膨大なエネルギーを解き放つ。このように原子核を壊すことによってエネルギーを取り出すのが「第三の火」の特徴だ。原子力発電の源流となったウランの「核分裂反応」は1938年12月にドイツのオットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンがウランに中性子に照射する実験中に発見した。そして原子力発電は少ない燃料から大量の電気を発電することが出来るため資源の少ない日本には必要不可欠なものだった。また二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーとして注目を集めていった。 |
2020年1月30日 (木) 12:03の版
1、原子力発電とは
原子力は、開発草創期に「第三の火」と呼ばれていた。人類が火を使うようになったのは数十万年前とされ、枯れ木などを燃やして食物を加熱したり暖房に使ったりすることで文明を発達させてきた。これを第一の火とし、18世紀に本格化した石炭利用や19世紀以降の石油利用など化石燃料を燃やすことが第二の火にあたる。これら第一と第二の火は燃焼と呼ばれる化学反応でエネルギーを得ている。これに対し、「原子力エネルギー」を代表する「核分裂現象」は燃焼とは根本的に性質を異にする反応だ。それまで不変と思われていた原子核そのものが姿を変えることにより、原子核の中に閉じ込められていた膨大なエネルギーを解き放つ。このように原子核を壊すことによってエネルギーを取り出すのが「第三の火」の特徴だ。原子力発電の源流となったウランの「核分裂反応」は1938年12月にドイツのオットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンがウランに中性子に照射する実験中に発見した。そして原子力発電は少ない燃料から大量の電気を発電することが出来るため資源の少ない日本には必要不可欠なものだった。また二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーとして注目を集めていった。
2、福島原発事故
2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波で全電源を喪失した東京電力福島第一原子力発電所では翌12日、一号機で水素爆発が起きた。次いで14日には三号機が、15日には二号機が爆発した。それに伴い原発周辺の住民には避難勧告が出された。11日午後9時ごろは福島第一原発から半径3キロメートル圏内を避難区域に指定していたが、12日早朝には半径10キロメートル圏内に、夜には半径20キロメートル圏内とした。相次ぐ水素爆発を受けた15日には、屋内退避区域を20~30キロメートル圏内の範囲に拡大した。その後の放射線モリタリングの結果、福島第一原発から北西方向に濃い放射線の雲が流れたと見られ、屋内退避区域より外側の地域でも高線量の環境放射線が観測された。このため政府は4月22日になって、事故後1年間の積算放射線量が20ミリシーベルトに達する恐れのある地域を「計画的避難区域」として住民に避難を求めた。また、それまでの屋内退避区域を「緊急時避難準備区域」に改め、必ずしも屋内退避の必要性はないとした。一時、避難住民の総計は10万人をはるかに超える規模となり、放射性物質は人間以外にも農作物や水産物に被害を与え原子力災害の恐ろしさを見せつけられた。
3、今後の課題
日本が原子力開発に取り組み始めたのは、欧米諸国に比べて必ずしも早くはなかった。エネルギー資源に恵まれない国情もあって、日本ではそれほどの反対もなく比較的着実に新規の原発建設が続いてきた。その結果、発電規模では米国、フランスに次いで世界三位になっていた。しかし福島第一原発事故の発生により、原発の安全性とその安全性を守るべき組織、人に対して国民が疑いを抱き始め、原発の着実な歩みに急ブレーキがかけられた。この先原発を引き続き運用していくべきか、運用していくならそのための技術や知識、安全対策が求められている。
4、参考文献
「日本の原子力施設全データ」(北村行孝、三島勇)2012年講談社 https://xn--9ckaldc9ld2ee6o9157as0tai90g7wvectb.jp/archives/1228.html ハンドルネーム:キヨ