金正恩2
出典: Jinkawiki
2020年1月30日 (木) 19:04の版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
最新版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) |
||
15 行 | 15 行 | ||
正恩氏は北朝鮮に帰国後、兄、正哲氏とともに金日成軍事総合大学へ入学。2007年頃、父親の軍事訓練視察に兄弟で同行し始めたとの報道もある。 | 正恩氏は北朝鮮に帰国後、兄、正哲氏とともに金日成軍事総合大学へ入学。2007年頃、父親の軍事訓練視察に兄弟で同行し始めたとの報道もある。 | ||
父・金正日氏が死に向かう間、正恩氏はほとんどその経験がないにもかかわらず、政治的、軍事的指導者への道を急速にのぼり詰めた。正恩氏は朝鮮人民軍の大将に昇進、労働党中央軍事委員会の副委員長、労働党中央委員に選出された。 | 父・金正日氏が死に向かう間、正恩氏はほとんどその経験がないにもかかわらず、政治的、軍事的指導者への道を急速にのぼり詰めた。正恩氏は朝鮮人民軍の大将に昇進、労働党中央軍事委員会の副委員長、労働党中央委員に選出された。 | ||
+ | =='''父の死後'''== | ||
+ | 父親の死後、正恩氏はすぐに「最高指導者」を宣言。2011年12月17日、金正日氏が心臓発作で死去すると、正恩氏は世界で4番目に大きい軍隊、核兵器、そして北朝鮮を統べる絶対的支配権を継承した。正恩氏は三男だが、父の金正日が「女々しく」弱いと評した兄、正哲氏に先だってその後を継いだ。異母兄弟で長男の正男(ジョンナム)氏は、体制に対し否定的な見解を述べていたようだ。正恩氏が政権を握ったのは30歳前後、世界最年少の国家元首となった。 | ||
+ | =='''参考文献'''== | ||
+ | https://www.businessinsider.jp/post-100790 |
最新版
目次 |
金正恩とは
朝鮮民主主義人民共和国の政治家、軍人。同国の第2代最高指導者金正日総書記の三男で後継者。父の死により実質的に最高指導者の地位を継承した。また2019年4月の憲法改正により国務委員会委員長は国を代表すると規定され、名実ともに元首に位置付けられた。
両親・生年月日
正恩氏は、後の北朝鮮独裁者、金正日(キム・ジョンイル)氏とその妻、高英姫(コ・ヨンヒ)氏の間に生まれた。正恩氏には兄、金正哲(キム・ジョンチョル)氏と、妹、金与正(キム・ヨジョン)氏がいる。 正恩氏は公式には1982年生まれだが、金日成(キム・イルソン)生誕70年、金正日生誕40年といった象徴的な理由により、生まれ年が変えられたとの複数の報道がある。アメリカ財務省による最近の制裁措置では、正恩氏の公式出生日は1984年1月8日とされている。
幼少時代
幼少期は、普通の子どものように自宅で暮らしていた。この時期、北朝鮮は「偉大なる指導者」金日成氏によって支配されていた。金正日氏はその後継者と目されていたが、正恩氏の継承は極めて不確実なものだった。
インターナショナル時代
北朝鮮の大使館職員の息子「パク・ウン」として、正恩氏はスイス・ベルン近郊の町、ギュムリゲンのインターナショナルスクールに通っていたと考えられている。 元同級生によると、正恩氏は大半の時間を自宅で過ごす物静かな学生だったようだが、ユーモアのセンスもあった。「彼は面白かった。いつも人を笑わせていた」「彼にはユーモアのセンスがあり、みんなと、北朝鮮の敵対国から来た生徒たちとも、うまくやっていた」と元同級生は語っている。 しかし「学校では政治の話題はタブーだった…… 私たちは政治ではなく、サッカーについて議論したものだ」とも語られている。 正恩氏は、バスケットボールとその神様、マイケル・ジョーダンが大好きだった。若き日の正恩氏は、スイスでの寮生活の間、ジョーダンのポスターを部屋中に貼っていたという。正恩氏は太りすぎで、身長もわずか約168センチメートルだったが、バスケットボールプレーヤーとしてはそこそこの腕前を持っていた。 「競争心がとても強く、カッとなりやすいタイプだった」、「彼はゲームメーカーだった。負けず嫌いで、彼にとって勝利は極めて重要だった」と元同級生は話している。 正恩氏は、ナイキのスニーカーの「素晴らしい」コレクションも持っていたという。
軍事学校時代
正恩氏は北朝鮮に帰国後、兄、正哲氏とともに金日成軍事総合大学へ入学。2007年頃、父親の軍事訓練視察に兄弟で同行し始めたとの報道もある。 父・金正日氏が死に向かう間、正恩氏はほとんどその経験がないにもかかわらず、政治的、軍事的指導者への道を急速にのぼり詰めた。正恩氏は朝鮮人民軍の大将に昇進、労働党中央軍事委員会の副委員長、労働党中央委員に選出された。
父の死後
父親の死後、正恩氏はすぐに「最高指導者」を宣言。2011年12月17日、金正日氏が心臓発作で死去すると、正恩氏は世界で4番目に大きい軍隊、核兵器、そして北朝鮮を統べる絶対的支配権を継承した。正恩氏は三男だが、父の金正日が「女々しく」弱いと評した兄、正哲氏に先だってその後を継いだ。異母兄弟で長男の正男(ジョンナム)氏は、体制に対し否定的な見解を述べていたようだ。正恩氏が政権を握ったのは30歳前後、世界最年少の国家元首となった。