藩校

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2008年11月25日 (火) 22:24の版
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-○藩校(はんこう)<br>+'''○藩校(はんこう)<br>''' 
- 江戸時代に、諸藩が藩士の子弟を教育する為に設立した学校である。藩学(はんがく)ともいう。主として漢字の教養を施そうとした機関である。ただ生徒を士族に限定しきっていたわけではなく、また同じ士族の子どもにむかっても、入学を「強制」する藩、「奨励」する藩、「許容」にとどめる藩、とまちまちであった。しかし、士族の子弟には入学を「強制」した藩が大多数を占め、「奨励」ないし「許容」の範囲にとどめた藩は僅少であった。藩校は武士が真の「藩士」となるための義務教育機関であった。<br>+ 藩校とは、江戸時代に諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校のことである。藩学(はんがく)ともいう。主として漢字の教養を施そうとした機関である。ただ生徒を士族に限定しきっていたわけではない。また同じ士族の子どもにむかっても、入学を「強制」する藩、「奨励」する藩、「許容」にとどめる藩、とまちまちであった。しかし、士族の子弟には入学を「強制」した藩が大多数を占め、「奨励」ないし「許容」の範囲にとどめた藩はわずかであった。藩校は武士が真の「藩士」となるための義務教育機関であった。<br>
-○概要<br>+'''○概要<br>'''
 全国的な傾向として、藩校では「文武兼備」を掲げ、7~8歳で入学して第一に文を習い、後に武芸を学び、14~15歳から20歳くらいで卒業する。教育内容は、四書五経の素読と習字を中心として、江戸後期には蘭学や、武芸として剣・槍・柔・射・砲・馬術などが加わった。<br>  全国的な傾向として、藩校では「文武兼備」を掲げ、7~8歳で入学して第一に文を習い、後に武芸を学び、14~15歳から20歳くらいで卒業する。教育内容は、四書五経の素読と習字を中心として、江戸後期には蘭学や、武芸として剣・槍・柔・射・砲・馬術などが加わった。<br>
- いっぽう、11歳を過ぎてから入学を許可する藩校も少なくなかった。これらは初歩的な読み書きは家庭学習あるいは寺子屋で済ませており、その後、さらに高度な知育・職育・武芸の教育機関としての藩校であった。<br>+ 一方、11歳を過ぎてから入学を許可する藩校も少なくなかった。これらは初歩的な読み書きは家庭学習あるいは寺子屋で済ませており、その後、さらに高度な知育・職育・武芸の教育機関としての藩校であった。<br>
-○普及度<br>+'''○普及度<br>'''
- 明治初期の段階における藩校の数は25校に達し、ほぼ全ての藩に藩校が存在していた。のち維新期に創設された36校と創設期不明の4校を除けば、江戸時代に創設された藩校の数は215校である。そのうち宝暦期(1751~63)以前に創設されたことが確認されるのは、28校にすぎない。藩校が普及しはじめるのは、江戸時代の半ばを過ぎてからのことであった。<br>+ 明治初期の段階における藩校の数は25校に達し、ほぼ全ての藩に藩校が存在していた。後の維新期に創設された36校と創設期不明の4校を除けば、江戸時代に創設された藩校の数は215校である。そのうち宝暦期(1751~63)以前に創設されたことが確認されるのは、28校にすぎない。藩校が普及しはじめるのは、江戸時代の半ばを過ぎてからのことであった。<br>
 最古のものは、1641年に、岡山藩主「池田光政」が設立した「花畠教場(はなばたけきょうじょう)」である。<br>  最古のものは、1641年に、岡山藩主「池田光政」が設立した「花畠教場(はなばたけきょうじょう)」である。<br>
-○学習形態<br>+'''○学習形態<br>'''
- 一般的な漢学(四書五経)の指導形態は、素読・講義・会読・輪講・質+ 一般的な漢学(四書五経)の指導形態は、素読・講義・会読・輪講・質問などであった。<br>
-問などであった。<br>+
【素読】<br> 【素読】<br>
 漢学を学ぶにあたっていちばん初めにとりかかる学習段階で、声ををあげて文字を読み、文章をたどる学習段階である。けれども素読を、意味にも内容にもかまわず、ただ棒読み・棒暗記だけの作業と解してはならない。同じ「悪」という字でも「お」と読むのと「あ」と読むのとでは意味がまるで違うし、「殺」という字も「さい」と「さつ」との読みかたの相違で、意味がまったく別になる。とりわけ近世で行われた素読というのは、漢文(という外国文)を国文化して読む作業、意味を読みとる作業だったから、句読の切りかた、訓点につけかた(読みがな、送りがな)次第で、文章の意味がどのようにでもかわるのである。それゆえに素読は講義、会読、輪講、質問にまでつながりをもって、学習体系の一環をなすだいじな基礎工作であった。<br>  漢学を学ぶにあたっていちばん初めにとりかかる学習段階で、声ををあげて文字を読み、文章をたどる学習段階である。けれども素読を、意味にも内容にもかまわず、ただ棒読み・棒暗記だけの作業と解してはならない。同じ「悪」という字でも「お」と読むのと「あ」と読むのとでは意味がまるで違うし、「殺」という字も「さい」と「さつ」との読みかたの相違で、意味がまったく別になる。とりわけ近世で行われた素読というのは、漢文(という外国文)を国文化して読む作業、意味を読みとる作業だったから、句読の切りかた、訓点につけかた(読みがな、送りがな)次第で、文章の意味がどのようにでもかわるのである。それゆえに素読は講義、会読、輪講、質問にまでつながりをもって、学習体系の一環をなすだいじな基礎工作であった。<br>

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○藩校(はんこう)
   藩校とは、江戸時代に諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校のことである。藩学(はんがく)ともいう。主として漢字の教養を施そうとした機関である。ただ生徒を士族に限定しきっていたわけではない。また同じ士族の子どもにむかっても、入学を「強制」する藩、「奨励」する藩、「許容」にとどめる藩、とまちまちであった。しかし、士族の子弟には入学を「強制」した藩が大多数を占め、「奨励」ないし「許容」の範囲にとどめた藩はわずかであった。藩校は武士が真の「藩士」となるための義務教育機関であった。

○概要
 全国的な傾向として、藩校では「文武兼備」を掲げ、7~8歳で入学して第一に文を習い、後に武芸を学び、14~15歳から20歳くらいで卒業する。教育内容は、四書五経の素読と習字を中心として、江戸後期には蘭学や、武芸として剣・槍・柔・射・砲・馬術などが加わった。
 一方、11歳を過ぎてから入学を許可する藩校も少なくなかった。これらは初歩的な読み書きは家庭学習あるいは寺子屋で済ませており、その後、さらに高度な知育・職育・武芸の教育機関としての藩校であった。

○普及度
 明治初期の段階における藩校の数は25校に達し、ほぼ全ての藩に藩校が存在していた。後の維新期に創設された36校と創設期不明の4校を除けば、江戸時代に創設された藩校の数は215校である。そのうち宝暦期(1751~63)以前に創設されたことが確認されるのは、28校にすぎない。藩校が普及しはじめるのは、江戸時代の半ばを過ぎてからのことであった。
 最古のものは、1641年に、岡山藩主「池田光政」が設立した「花畠教場(はなばたけきょうじょう)」である。

○学習形態
 一般的な漢学(四書五経)の指導形態は、素読・講義・会読・輪講・質問などであった。
【素読】
 漢学を学ぶにあたっていちばん初めにとりかかる学習段階で、声ををあげて文字を読み、文章をたどる学習段階である。けれども素読を、意味にも内容にもかまわず、ただ棒読み・棒暗記だけの作業と解してはならない。同じ「悪」という字でも「お」と読むのと「あ」と読むのとでは意味がまるで違うし、「殺」という字も「さい」と「さつ」との読みかたの相違で、意味がまったく別になる。とりわけ近世で行われた素読というのは、漢文(という外国文)を国文化して読む作業、意味を読みとる作業だったから、句読の切りかた、訓点につけかた(読みがな、送りがな)次第で、文章の意味がどのようにでもかわるのである。それゆえに素読は講義、会読、輪講、質問にまでつながりをもって、学習体系の一環をなすだいじな基礎工作であった。
 この素読には三つの段階があって、
〈第一段階〉一字一字、一句一句を正しく読みあげる学習
〈第二段階〉早く読み、長く読みつづける学習
〈第三段階〉ふつう「復読」と呼ばれた(復習の読み)で、とり読み、輪読のような競争意識にうったえる集団学習も行われた。素読の力がすすんだところで、まだ教えたことのない書物(多くは歴史の書)を自分の力で読ませたり、「広く読む」ことの読書を拡充する学習も行われた。ここまでくると、素読のうちにはちがいないが、しばしば「読書」と呼ばれた。
【講義】
 素読を終えた子どもは、教師から「講義」をうける。素読で用いたテキスト(主として経書)について、教師からの講義のもとに内容を理解して身につける学習である。
【会読・輪講】
 こうして一定の読書力と理解力とができあがったところで、生徒が一室にあつまって、所定の経典の所定の章句を中心として、お互いに問題をもちだしたり、討論をしあったり、解決しきれないところは仲間とともに教師の意見をきき指導をあおぐ共同学習である。


参考文献
・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(藩校)
http://www16.ocn.ne.jp/~ondoku/edonohannkou.html
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/hirosilk/y271.htm

ハンドルネーム:charmmy


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