ファシズム

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ファシズムの誕生(藤沢道郎,中央公論社) ファシズムの誕生(藤沢道郎,中央公論社)
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 +詳説世界史 : 世界史B(山川出版社)

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ファシズム

 1926年にイタリアで確立された一党独裁体制。 その完成はファシスタ大評議会が国家最高決議機関となった1928年である。 特色として反社会主義、反民主主義および国家(民族)の至上権を主張。


ファシズムの誕生

 第一次世界大戦においてイタリアは戦勝国であったが、フィウメ(現・リエーカ)の領有が認められず、ヴェルサイユ条約に不満を抱いた。  戦後、変革を求める労働者や農民の運動が高揚し、1920年北部の都市でストライキや工場占拠が広がった。こうしたなか、1921年ムッソリーニが国粋主義をかかげファシスタ党を組織。そして、農民運動や労働運動を暴力で破壊し、支配層や中間層の支持を得て急速に勢力をのばした。

 ファシスタ党が1922年に「ローマ進軍」の大示威行進を行うと、政府は戒厳令でこれを抑えようとした。しかし国王がそれを許さず、強力な政府の出現を期待して、逆にムッソリーニに組閣を命じた。 政権を握ったムッソリーニは、ファシスタ党に有利な選挙法を採用し、1926年一党独裁体制が確立された。

 その一方でファシズム政権は、余暇を楽しむ組織などを作って大衆の同意をとりつけ、対外的には1924年にユーゴスラヴィアからフィウメを奪い、27年にはアルバニアを保護国化した。さらに教皇庁とは1929年にラテラン条約を結んで、ヴァチカン市国の独立を承認し1870年の教皇領併合以来の不和を解消した。


ファシズムという現象

 我が国日本においてファシズムという言葉が正しく用いられているか、そこから考えている必要がある。一般にファシズムとは保守反動や好戦的など強圧的な独裁的政治支配という意味に用いられているが、それだとタンンイ反動体制とか独裁支配といえば済む話で、そういう支配体制やそれを目指す運動は太古の昔から人間の歴史の中に繰り返し登場している。

 ファシズムがファシズムと呼ばれて、他の言葉で言い換えがきかないのは、それがまったく新しい二十世紀的な現象で、従来の反動や独裁や排外主義や民族主義の概念では覆いつくせない内容をもっているからである。イデオロギーはともかく、現実の行動と組織の形態において、イタリアでもドイツでも、ファシズムは大衆運動のもっと過激な一翼が成長発展したものであって、支配体制を確立したのちも、その性格は失っていない。

 ファシズムという現象には、それまで疎外されていた大衆の一部が政治的に目覚め、急激な変化を望み、みずからその運動に参加するという意欲を示すという一面があり、それが規制の体制イデオロギーである自由主義と民主主義、規制の反体制イデオロギーである社会主義と共産主義の両方を否認する方向に進み、暴力をともなう激しい非合法行動によって、自己を確立しようとするところに、その特徴がある。

 そのファシズムによって人類がどれだけ被害を被ったか、それを打倒するためにどれだけの犠牲を払ったかは今日よく知られているが、ファシズムに対する憎悪に目がくらんで、その本質的な特徴を見逃し、見誤り、単に政治的反動や軍事独裁と混同し、なんでもファシズムと呼んでしまっていると本当のファシズムが新しい装いで登場したとき、正しく対処することができないだろう。  


補足

 同時期ドイツではヒトラー率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働党)による全体主義・民族主義的な思想をもつナチズムがあらわれた。


参考文献

ファシズムの誕生(藤沢道郎,中央公論社)

詳説世界史 : 世界史B(山川出版社)


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