ナポレオン
出典: Jinkawiki
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'''ヨーロッパ諸国を再編成し、遠征続きにフランスは疲弊''' | '''ヨーロッパ諸国を再編成し、遠征続きにフランスは疲弊''' |
2009年1月27日 (火) 17:31の版
1804年 ナポレオンの戴冠 革命の英雄ナポレオンが専制君主となる。
ブリュメールのクーデターで権力を握ったナポレオンは、革命で混乱したフランスに安定をもたらすため、さまざまな政策を行った。 1804年に制定したナポレオン法典は最大の業績だった。
統領政府を樹立して権力を握ったナポレオンは、イギリスとアミアンの和約を結んで対仏大同盟を崩壊させ、教皇とも和解した。
またフランス銀行を設立して経済の安定を図ったが、効果はほとんど上がらなかった。
このため彼は、中世の英雄カール大帝の再来を演出し、フランス人の国民意識を高めることで、事態の打開をはかろうとした。
教皇をパリへ招き、フランス皇帝の戴冠式を行う
パリのノートルダム聖堂に各国の代表が集まり、教皇ピウス7世の立会のもと、ナポレオンはフランス帝国皇帝に就任した。 フランス国王の戴冠はフランス大司教によって行われていたが、ナポレオンは自らそれを行い、皇后ジョセフィーヌにも彼の手で冠を与えた。 ナポレオン35歳だった。
戴冠式に続く儀式で、ナポレオンはフランス革命の成果を守ることを宣誓したが、皇帝の称号の復活についてフランス市民の反応は一部冷たいものもあった。 革命の成果が帝政で収拾されることに違和感をもった市民も多かった。 また、ナポレオンが皇帝に就任したことに対し、諸国は激しく反発した。
ヨーロッパ諸国を再編成し、遠征続きにフランスは疲弊
ナポレオン率いるフランス海軍はトラファルガーでネルソン指揮下のイギリス海軍に敗れたが、陸上のアウステルリッツの戦いではアレクサンドル一世、フランツ二世を撃破した。 さらにナポレオンはベルリンを占領し、大陸封鎖令を発布し、イギリス経済を大陸から締め出した。
1810年には、ハプスブルク家のマリー=ルイーズと結婚し、ナポレオンは権力の絶頂期を迎えたが、1812年のロシア遠征に失敗し、一挙に没落へと向かった。
図解世界史 関眞興 実業之日本社