鑑真

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鑑真(がんじん、鉴真、jiàn zhēn 688年(持統天皇2年) - 763年6月25日(天平宝字7年5月6日))は、奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。 鑑真(がんじん、鉴真、jiàn zhēn 688年(持統天皇2年) - 763年6月25日(天平宝字7年5月6日))は、奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。
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鑑真(がんじん、鉴真、jiàn zhēn 688年(持統天皇2年) - 763年6月25日(天平宝字7年5月6日))は、奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。


日本への渡航、仏教の戒律を授ける

最初の渡海企図は743年夏のことで、このときは、渡海を嫌った弟子が、港の役人へ「日本僧は実は海賊だ」と偽の密告をしたため、日本僧は追放された。鑑真は留め置かれた。2回目の試みは744年1月、周到な準備の上で出航したが激しい暴風に遭い、一旦、明州の余姚へ戻らざるを得なくなってしまった。再度、出航を企てたが、鑑真の渡日を惜しむ者の密告により栄叡が逮捕され、3回目も失敗に終わる。その後、栄叡は病死を装って出獄に成功し、江蘇・浙江からの出航は困難だとして、鑑真一行は福州から出発する計画を立て、福州へ向かった。しかし、この時も鑑真弟子の霊佑が鑑真の安否を気遣って渡航阻止を役人へ訴えた。そのため、官吏に出航を差し止めされ、4回目も失敗する。鑑真は5回目の渡日を決意する。6月に出航し、舟山諸島で数ヶ月風待ちした後、11月に日本へ向かい出航したが、激しい暴風にあい、14日間の漂流の末、はるか南方の海南島へ漂着した。鑑真は揚州に戻るため海南島を離れた。しかし、潮風に目をやられて失明する。753年6回目の渡海でついに日本に辿り着く。奈良についた鑑真は、東大寺の大仏の前で、聖武上皇らに仏教の教えを正式に授ける。その後、鑑真は、唐招提寺をたて、日本の仏教の発展に力をつくした。


参考資料

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講談社 学習図鑑・日本の歴史


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