エラスムス

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-デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus, 1467年?10月27日 - 1536年7月12日)ネーデルラント出身の司祭、人文主義者、神学者。16世紀初期におけるヒューマニストの最高の巨匠であった。エラスムスは、オランダのロッテルダムで聖職者の私生児として生まれてが、パリ大学で学び、ヨーロッパ一流の学者となった。キリスト教人文主義者としての彼はたくさんの著書を残しているが、教育についても以下のように発言してる。+'''デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus, 1467年?10月27日 - 1536年7月12日)'''
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 +ネーデルラント出身の司祭、人文主義者、神学者。16世紀初期におけるヒューマニストの最高の巨匠であった。エラスムスは、オランダのロッテルダムで聖職者の私生児として生まれてが、パリ大学で学び、ヨーロッパ一流の学者となった。キリスト教人文主義者としての彼はたくさんの著書を残しているが、教育についても以下のように発言してる。
 第一に、伝統的な学校教育(すなわち、子供を罪人視し、残酷で非人間的な扱いを持って子供に臨む教育)を徹底的に批判した。たとえば、有名な彼の著書『愚神礼讃論』では、学校は、がに船(奴隷や罪人が漕ぐ帆船)か牢獄であるといい、教師は獅子の皮をかりている驢馬と同じだといい、子供たちは恐れおののく臆病な臣下、悲しむべき犠牲者である、と書きつづっている。『幼児教育論』においても、当時の学校や教師や子供のあり様、つまり教育の有様を批判している次のような箇所がある。「それ(学校)は、学校と呼ぶよりもむしろ牢獄と呼ぶにふさわしい。そこには、笞と棒でなぐる音が鳴り響き、そこから悲鳴とすすり泣きと、そして恐ろしい威喝の声以外の何物も聞こえてこない。そんなところで子供たちは学問を憎悪すること以外の何を学ぶのであろうか。そんな人間(教師)は処刑人であって若人の教育者ではない」。エラスムスはこのような伝統的な学校教育を批判したのである。ここから、以下のような主張が出てくる。  第一に、伝統的な学校教育(すなわち、子供を罪人視し、残酷で非人間的な扱いを持って子供に臨む教育)を徹底的に批判した。たとえば、有名な彼の著書『愚神礼讃論』では、学校は、がに船(奴隷や罪人が漕ぐ帆船)か牢獄であるといい、教師は獅子の皮をかりている驢馬と同じだといい、子供たちは恐れおののく臆病な臣下、悲しむべき犠牲者である、と書きつづっている。『幼児教育論』においても、当時の学校や教師や子供のあり様、つまり教育の有様を批判している次のような箇所がある。「それ(学校)は、学校と呼ぶよりもむしろ牢獄と呼ぶにふさわしい。そこには、笞と棒でなぐる音が鳴り響き、そこから悲鳴とすすり泣きと、そして恐ろしい威喝の声以外の何物も聞こえてこない。そんなところで子供たちは学問を憎悪すること以外の何を学ぶのであろうか。そんな人間(教師)は処刑人であって若人の教育者ではない」。エラスムスはこのような伝統的な学校教育を批判したのである。ここから、以下のような主張が出てくる。
 第二は、教育する者と教育される者とは、互いに相手の人格と自由を認めた関係に立たなくてはならない、と主張した。子供をひとりの人間、自由な人間として尊重するということである、といいかえてもよい。エラスムスは、教師や親の子供に対する封建的な態度を、「改善の可能性ある奴隷は笞になるよりも忠告と親切な取り扱いによって改善される。笞を使えば奴隷は逃亡を企て、また命がけで主人の残酷さに復讐しようとする。・・・・・主人が賢明であればある程、彼は奴隷をして自発的に主人に仕えるように仕向ける。しかるに本来自由人である子供を教育によって奴隷化するとは、なんというさかさまなことであろうか」。「われわれは暴君を追放する。しかるにわれわれは子供たちを暴君にしたり、また子供たちに対して暴君的に振る舞ったりしている」と比喩を用いて批判している。  第二は、教育する者と教育される者とは、互いに相手の人格と自由を認めた関係に立たなくてはならない、と主張した。子供をひとりの人間、自由な人間として尊重するということである、といいかえてもよい。エラスムスは、教師や親の子供に対する封建的な態度を、「改善の可能性ある奴隷は笞になるよりも忠告と親切な取り扱いによって改善される。笞を使えば奴隷は逃亡を企て、また命がけで主人の残酷さに復讐しようとする。・・・・・主人が賢明であればある程、彼は奴隷をして自発的に主人に仕えるように仕向ける。しかるに本来自由人である子供を教育によって奴隷化するとは、なんというさかさまなことであろうか」。「われわれは暴君を追放する。しかるにわれわれは子供たちを暴君にしたり、また子供たちに対して暴君的に振る舞ったりしている」と比喩を用いて批判している。

2009年1月29日 (木) 10:41の版

デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus, 1467年?10月27日 - 1536年7月12日)

ネーデルラント出身の司祭、人文主義者、神学者。16世紀初期におけるヒューマニストの最高の巨匠であった。エラスムスは、オランダのロッテルダムで聖職者の私生児として生まれてが、パリ大学で学び、ヨーロッパ一流の学者となった。キリスト教人文主義者としての彼はたくさんの著書を残しているが、教育についても以下のように発言してる。  第一に、伝統的な学校教育(すなわち、子供を罪人視し、残酷で非人間的な扱いを持って子供に臨む教育)を徹底的に批判した。たとえば、有名な彼の著書『愚神礼讃論』では、学校は、がに船(奴隷や罪人が漕ぐ帆船)か牢獄であるといい、教師は獅子の皮をかりている驢馬と同じだといい、子供たちは恐れおののく臆病な臣下、悲しむべき犠牲者である、と書きつづっている。『幼児教育論』においても、当時の学校や教師や子供のあり様、つまり教育の有様を批判している次のような箇所がある。「それ(学校)は、学校と呼ぶよりもむしろ牢獄と呼ぶにふさわしい。そこには、笞と棒でなぐる音が鳴り響き、そこから悲鳴とすすり泣きと、そして恐ろしい威喝の声以外の何物も聞こえてこない。そんなところで子供たちは学問を憎悪すること以外の何を学ぶのであろうか。そんな人間(教師)は処刑人であって若人の教育者ではない」。エラスムスはこのような伝統的な学校教育を批判したのである。ここから、以下のような主張が出てくる。  第二は、教育する者と教育される者とは、互いに相手の人格と自由を認めた関係に立たなくてはならない、と主張した。子供をひとりの人間、自由な人間として尊重するということである、といいかえてもよい。エラスムスは、教師や親の子供に対する封建的な態度を、「改善の可能性ある奴隷は笞になるよりも忠告と親切な取り扱いによって改善される。笞を使えば奴隷は逃亡を企て、また命がけで主人の残酷さに復讐しようとする。・・・・・主人が賢明であればある程、彼は奴隷をして自発的に主人に仕えるように仕向ける。しかるに本来自由人である子供を教育によって奴隷化するとは、なんというさかさまなことであろうか」。「われわれは暴君を追放する。しかるにわれわれは子供たちを暴君にしたり、また子供たちに対して暴君的に振る舞ったりしている」と比喩を用いて批判している。  第三に彼は、人間はすべて平等である、と主張している。これは第二の主張をさらに徹底したものである。彼は以下のように書いている。「もし笞で打つことよりも外には何もできない教師が、もし皇帝や国王の王子を教えることになったとしたら、彼はどうするだろう。まさか王子様を笞で殴るわけにはゆくまい。そこで彼はいうだろう、おえら方の王子様は例外だ、と。だがこれはなんということだ。庶民の子は王様の子よりも人間的でないというのか、王様にとってその子が大切であるように、それとまったく同じようにだれにとっても自分の子は王様の子に劣らず大切ではないだろうか」。人間はすべて平等であるというこの思想は、教育における平等、ひとしく教育を受ける機会を有する、という考えにつながっていくものである。  第四は、貧しい家庭にある子供にも教育の機会が与えられるべきである、と主張した。彼は以下のようにいっている。「人間はむしろ貧しい境遇にあればあるほど、彼らが自力で向上していく手段として教育と学問による支えが必要である。現に少なからぬ者が下層階級から、お上の役目に召し上げられており、時には僧職の最高の栄位にまでついているではないか。みんながそこまで行き着くわけではない。しかし、みんなその方向にむかって教育されるべきである」。すべての子供が教育の機会を等しく与えれなければならないいう主張は、近代ヒューマニズム教育論の典型といえる。  第五に、教育方法の改善を提唱している、ということである。たとえば、学習指導に当たっては、教材は子供の興味に即したものであること、教材の程度と分量は子供の能力に相応したものであること、学習指導には遊戯的方法を活用すべきことなどを提唱している。彼は、「子供をして、いっさい遊びと感じさせるごとき教授が行われなければならない」と述べているが。彼によれば。学校は子供にとって。もっとも楽しい場所であるべきだったのである。  彼の以上のような主張は、歴史上最初の、最もはっきりとした子供の人権宣言であった、といわれている。


参考:『西洋教育思想』晃洋書房


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