デューイ

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2009年1月27日 (火) 16:11の版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

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1859-1952 1859-1952
アメリカ アメリカ
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 +考え方や身方の意味が現実と関係づけて決まるとするプラグマティズムの立場に立つ哲学者である。
 +それは、実験主義・道具主義と呼ばれるものに発展した。
 +知識も現実問題を有効に処理するための手段であるとみなすのである。
 +哲学上の合理主義的な存在論に対して、経験主義と位置づけられる。
アメリカ・デモクラシーへの楽観的信頼とプラグマティズムをその根底にすえたデューイの教育哲学は、20世紀初頭の新教育運動を支えたもっとも有力な理論のひとつであった。 アメリカ・デモクラシーへの楽観的信頼とプラグマティズムをその根底にすえたデューイの教育哲学は、20世紀初頭の新教育運動を支えたもっとも有力な理論のひとつであった。
 +教育は「経験の意味を増し、また後に続く経験の過程を導く能力を増加するところの経験の再構築、再組織化である」と証明した。
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 +教授・学習過程にあたっては、現実の生活の中で生じる問題状況において問題の事態を観察し、それと関連するこれまでの経験や知識を想起し、主体的に問題を解決させようとする学習を提唱した。
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 +子どもが、民主主義社会として構成された学校における活動に取り組むことを通じて、民主主義の価値を含めて生きた知識=真理を獲得していく道筋が「学校と社会」に論じられている。
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 +この本の中で、従来の教育の重心が子ども以外のところにあることを批判し、学校教育は子どもの生活や興味を出発点としなければならない、と主張した。
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 +シカゴ大学で取り組んだのが「実験室学校」であった。
 +16人の子どもと2人の教師で始められた学校は、1898年に生徒数83人となり、2つの作業室と2つの実験室、それに台所や食堂を備えた校舎を構えた。
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 +学校の創設が学校改革を目指していたので、知識伝達型の学校への批判は当然の成り行きだった。
 +受動的で抑圧的な教授・学習スタイルでは、子どもの好奇心や独創性は育まれず、社会変化への対応や新たな社会づくりにかかわっていけない、と考えた。
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 +そこで「子ども中心」の考え方である。
彼が強調したのは、子どもを受動的立場におく教授中心の学校教育であった。 彼が強調したのは、子どもを受動的立場におく教授中心の学校教育であった。
人間における認識の定着・深化が、社会的経験の連続的改造を通じて果たされる、とするデューイは、児童中心主義の教育理論に哲学的根拠を与え、いわゆる進歩主義教育運動において指導的位置を占めるに至った。 人間における認識の定着・深化が、社会的経験の連続的改造を通じて果たされる、とするデューイは、児童中心主義の教育理論に哲学的根拠を与え、いわゆる進歩主義教育運動において指導的位置を占めるに至った。
-子どもが、民主主義社会として構成された学校における活動に取り組むことを通じて、民主主義の価値を含めて生きた知識=真理を獲得していく道筋が「学校と社会」に論じられている。+こうした彼の子ども中心主義、経験主義の教育観は、そのあとの世界的な新教育運動の基礎を築いた。
 + 
 +戦後の日本の義務教育にも多大な影響を与えている。
 +戦後教育改革の中で新教育の影響を受けた形で地域の社会的現実と課題を明確にし、その生活問題を解決する学習がコア・カリキュラム運動として展開されたことがある。
 +この運動を通して問題解決学習の概念も広まっていった。
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 +1951年社会科の学習指導要領試案では、子どもが実生活の中で直面する切実な問題を取り上げて、それを追求していくという問題解決学習を中心にしたもので、目的と方法、知識と実践の統一を目指したとみられている。
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 +1950年代後半から学習指導要領の改訂を機に、基礎学力を重視する系統学習へと方向を転換されたが、1980年代の総合学習の見直しとともに問題解決学習が見直され、1996年の「生きる力」の育成という脈絡の中で、社会の変化に対応する教育の在り方としての「総合的な学習の時間」が導入された。
 +そこでは、自ら課題を見つけ、学び、考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題にアプローチする問題解決学習の手法が社会的変化に対応する能力育成として強調されてきている。
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 +参考文献
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 +原典・西洋の近代教育思想/岩本俊郎/文化書房博文社/1998
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 +教育の方法と技術/平沢茂/文化図書/2006

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John Dewey 1859-1952 アメリカ

考え方や身方の意味が現実と関係づけて決まるとするプラグマティズムの立場に立つ哲学者である。 それは、実験主義・道具主義と呼ばれるものに発展した。 知識も現実問題を有効に処理するための手段であるとみなすのである。 哲学上の合理主義的な存在論に対して、経験主義と位置づけられる。

アメリカ・デモクラシーへの楽観的信頼とプラグマティズムをその根底にすえたデューイの教育哲学は、20世紀初頭の新教育運動を支えたもっとも有力な理論のひとつであった。

教育は「経験の意味を増し、また後に続く経験の過程を導く能力を増加するところの経験の再構築、再組織化である」と証明した。

教授・学習過程にあたっては、現実の生活の中で生じる問題状況において問題の事態を観察し、それと関連するこれまでの経験や知識を想起し、主体的に問題を解決させようとする学習を提唱した。

子どもが、民主主義社会として構成された学校における活動に取り組むことを通じて、民主主義の価値を含めて生きた知識=真理を獲得していく道筋が「学校と社会」に論じられている。

この本の中で、従来の教育の重心が子ども以外のところにあることを批判し、学校教育は子どもの生活や興味を出発点としなければならない、と主張した。

シカゴ大学で取り組んだのが「実験室学校」であった。 16人の子どもと2人の教師で始められた学校は、1898年に生徒数83人となり、2つの作業室と2つの実験室、それに台所や食堂を備えた校舎を構えた。

学校の創設が学校改革を目指していたので、知識伝達型の学校への批判は当然の成り行きだった。 受動的で抑圧的な教授・学習スタイルでは、子どもの好奇心や独創性は育まれず、社会変化への対応や新たな社会づくりにかかわっていけない、と考えた。

そこで「子ども中心」の考え方である。 彼が強調したのは、子どもを受動的立場におく教授中心の学校教育であった。 人間における認識の定着・深化が、社会的経験の連続的改造を通じて果たされる、とするデューイは、児童中心主義の教育理論に哲学的根拠を与え、いわゆる進歩主義教育運動において指導的位置を占めるに至った。

こうした彼の子ども中心主義、経験主義の教育観は、そのあとの世界的な新教育運動の基礎を築いた。

戦後の日本の義務教育にも多大な影響を与えている。 戦後教育改革の中で新教育の影響を受けた形で地域の社会的現実と課題を明確にし、その生活問題を解決する学習がコア・カリキュラム運動として展開されたことがある。 この運動を通して問題解決学習の概念も広まっていった。

1951年社会科の学習指導要領試案では、子どもが実生活の中で直面する切実な問題を取り上げて、それを追求していくという問題解決学習を中心にしたもので、目的と方法、知識と実践の統一を目指したとみられている。

1950年代後半から学習指導要領の改訂を機に、基礎学力を重視する系統学習へと方向を転換されたが、1980年代の総合学習の見直しとともに問題解決学習が見直され、1996年の「生きる力」の育成という脈絡の中で、社会の変化に対応する教育の在り方としての「総合的な学習の時間」が導入された。 そこでは、自ら課題を見つけ、学び、考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題にアプローチする問題解決学習の手法が社会的変化に対応する能力育成として強調されてきている。


参考文献

原典・西洋の近代教育思想/岩本俊郎/文化書房博文社/1998

教育の方法と技術/平沢茂/文化図書/2006


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