禁中並公家諸法度

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-幕府による天皇権威や朝廷機能の独占のために、1615年大阪の陣後、禁中並公家諸法度を発布した。+ 
-その前の段階として、2年前の1613年に「公家衆法度」と「勅許紫衣の法度」と発布している。+ 徳川家康は、1611年(慶長16年)に後水尾天皇を擁立した後に、天皇の譲位、即位まで武士の意向に従わせるほどの権力の強さを示した。そして幕府による天皇権威や朝廷機能の独占のために、1615年大阪の陣後、禁中並公家諸法度を発布した。これは、朝廷の統制の基準を明示したものである。主な内容としては、京都所司代らに朝廷を監視させた他に、摂家(関白・三公)に朝廷独占の主導権を持たせ、武家伝奏を通じて操作しようとした。なお、その前の段階として、2年前の1613年に「公家衆法度」と「勅許紫衣の法度」と発布している。これらの法度が前提になっており、起草は、金地院崇伝(本光国師)が中心になって進めたものである。
-これらの法度が前提になっており、起草は、金地院崇伝(本光国師)が中心になって進めた。+
-前将軍徳川家康と、現将軍である徳川秀忠と、前関白二条昭実の3人が二条城において7月17日に連署して制定されたものである。+ 
-その内容は17条にわたり、武家諸法度と異なり、幕末まで変わらなかった。+前将軍徳川家康と、現将軍である徳川秀忠と、前関白二条昭実の3人が二条城において7月17日に連署して制定されたものである。その内容は17条にわたり、武家諸法度と異なり、幕末まで変わらなかった。
1~12条が天皇家および公家が厳守すべき諸規定、13条以下が僧の官位についての諸規定である。 1~12条が天皇家および公家が厳守すべき諸規定、13条以下が僧の官位についての諸規定である。
- +==禁中並公家諸法度 条文・解説==
第1条 - 天皇の主務 第1条 - 天皇の主務
-天皇に対する規定であり、天子の行うべき諸々の学問、技芸の中で第一は学問である。の学問を学ばなければ古からの道理は明らかにならない。+天皇に対する規定であり、天子の行うべき諸々の学問、技芸の中で第一は学問である。の学問を学ばなければ古からの道理は明らかにならない。よく学ぶことによって太平を致すことができる。ここでいう学問とは、統治、治道の学問と解すべきである。天子の行うべき第二は和歌である。和歌は、平安時代の光考天皇以来絶えたことのない我が国の習俗となっているので捨ててはならない。第三に、「禁秘抄」に載せられている有職故実をよく習学すること、これが肝要である。以上の3点が1条の内容である。
-よく学ぶことによって太平を致すことができる。ここでいう学問とは、統治、治道の学問と解すべきである。+ 
-天子の行うべき第二は和歌である。和歌は、平安時代の光考天皇以来絶えたことのない我が国の習俗となっているので捨ててはならない。+
-第三に、「禁秘抄」に載せられている有職故実をよく習学すること、これが肝要である。以上の3点が1条の内容である。+
第2条 - 三公(太政大臣、左大臣、右大臣)の座次 第2条 - 三公(太政大臣、左大臣、右大臣)の座次
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第2、3条は関連するものであり、朝廷内の座順を明確に示したものである。 第2、3条は関連するものであり、朝廷内の座順を明確に示したものである。
その座順は三公、次に親王、前官の大臣、諸親王、前官の大臣の順番となる。摂家がなる三公が天皇の兄弟である親王よりも上位としたことに注目する。 その座順は三公、次に親王、前官の大臣、諸親王、前官の大臣の順番となる。摂家がなる三公が天皇の兄弟である親王よりも上位としたことに注目する。
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第4条、第5条 - 摂関の任免 第4条、第5条 - 摂関の任免
4条においては公家の最上位の家格である摂家であっても、その人物の器量に欠ければ三公や摂政、関白に命じられるべきではないとし、まして清華家以下の家格においてはなおさらであるとした。5条は人物の器量が豊かであるなら、老後に及んでも三公、摂関を辞任しなくてもよいとした。 4条においては公家の最上位の家格である摂家であっても、その人物の器量に欠ければ三公や摂政、関白に命じられるべきではないとし、まして清華家以下の家格においてはなおさらであるとした。5条は人物の器量が豊かであるなら、老後に及んでも三公、摂関を辞任しなくてもよいとした。
三公、摂関を重視する幕府がその地位に適した人材を求めた内容である。 三公、摂関を重視する幕府がその地位に適した人材を求めた内容である。
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第6条 - 養子 第6条 - 養子
家の相続に関して、養子を迎える際には同姓の家を選ぶように、また妻の縁類からの家督相続は古今一切見られないことと否定した内容である。 家の相続に関して、養子を迎える際には同姓の家を選ぶように、また妻の縁類からの家督相続は古今一切見られないことと否定した内容である。
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第7条 - 武家官位 第7条 - 武家官位
武家の官位は公家の官位任叙とは別個に存在させる事と規定したものである。 武家の官位は公家の官位任叙とは別個に存在させる事と規定したものである。
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第8条 - 改元 第8条 - 改元
この条は改元の規定であり、元号を改めるにあたって、新元号の候補を漢朝ですでに用いた年号の中から、吉例であったものをもってこれを定めるとした。 この条は改元の規定であり、元号を改めるにあたって、新元号の候補を漢朝ですでに用いた年号の中から、吉例であったものをもってこれを定めるとした。
今後繰り返し習礼相熟したならば、本朝先規の作法のように、元号の候補を勘分したうえで決定することが命じられた内容である。 今後繰り返し習礼相熟したならば、本朝先規の作法のように、元号の候補を勘分したうえで決定することが命じられた内容である。
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第9条 - 天子以下諸臣の衣服 第9条 - 天子以下諸臣の衣服
天皇、親王、公家の衣服を定めたものであり、これは序列に応じた極めて複雑な内容を持っていた。 天皇、親王、公家の衣服を定めたものであり、これは序列に応じた極めて複雑な内容を持っていた。
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第10条 - 諸家昇進の次第 第10条 - 諸家昇進の次第
公家たちの官位昇進においては、その家々の旧例を遵守すべき旨を規定したものである。 公家たちの官位昇進においては、その家々の旧例を遵守すべき旨を規定したものである。
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第11条 - 関白や武家伝奏などの申渡違背者への罰則 第11条 - 関白や武家伝奏などの申渡違背者への罰則
朝廷を統制、管理、運営する執行者である関白、武家伝奏と奉行の職事の申し渡しに常上・地下の公家たちには従うように命じられたものであり、背いた場合には流罪(遠流、中流、近流)に処すと規定したものである。 朝廷を統制、管理、運営する執行者である関白、武家伝奏と奉行の職事の申し渡しに常上・地下の公家たちには従うように命じられたものであり、背いた場合には流罪(遠流、中流、近流)に処すと規定したものである。
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第12条 - 罪の軽重の名例律准拠 第12条 - 罪の軽重の名例律准拠
「公家衆法度」に違反して処罰される罪の軽重は「名例律」に依拠するよう命じた内容である。 「公家衆法度」に違反して処罰される罪の軽重は「名例律」に依拠するよう命じた内容である。
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第13条 - 摂家門跡の座次 第13条 - 摂家門跡の座次
門跡の座順を定めたものであり、門跡には天皇の皇子、連枝で親王宣下を受けた後に得度した入道親王や、得度後に親王宣下を受けた法親王である親王門跡などがある。 門跡の座順を定めたものであり、門跡には天皇の皇子、連枝で親王宣下を受けた後に得度した入道親王や、得度後に親王宣下を受けた法親王である親王門跡などがある。
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第14条、第15条 - 僧正、門跡、院家の任命叙任 第14条、第15条 - 僧正、門跡、院家の任命叙任
僧官の中で最上位の僧正は、親王や公家の子弟が入室した門跡や院家が先例を守って任官されることを命じたものである。門跡は、僧正に次ぐ僧官の大・正・少僧都や最上位の僧位である法印に任叙されるが、同様に院家も僧官の大・正・権僧都や律師の僧官や法印、法眼の僧位に先例に任せて任叙されると規定したものである。 僧官の中で最上位の僧正は、親王や公家の子弟が入室した門跡や院家が先例を守って任官されることを命じたものである。門跡は、僧正に次ぐ僧官の大・正・少僧都や最上位の僧位である法印に任叙されるが、同様に院家も僧官の大・正・権僧都や律師の僧官や法印、法眼の僧位に先例に任せて任叙されると規定したものである。
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第16条 - 紫衣の寺住持職 第16条 - 紫衣の寺住持職
紫衣の寺の住持職に関する規定である。紫衣の寺の住持職が近年みだりに勅許され、そのことで僧侶の修行年数にロウ次が乱れたり、官寺を汚すことになるのは甚だしかるべからざることである。今後は住持になる僧侶の器用を選び、僧侶となってからの年数、偕老を積んで智者の聞こえある人を入院させるように命じたものである。 紫衣の寺の住持職に関する規定である。紫衣の寺の住持職が近年みだりに勅許され、そのことで僧侶の修行年数にロウ次が乱れたり、官寺を汚すことになるのは甚だしかるべからざることである。今後は住持になる僧侶の器用を選び、僧侶となってからの年数、偕老を積んで智者の聞こえある人を入院させるように命じたものである。
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第17条 - 上人号 第17条 - 上人号
僧位、僧官とは別に、知徳を備えた僧侶の称号として、朝廷は綸旨によって上人号を与えた内容である。上人号の綸旨をみだりに我れ勝ちに進むものがあれば流罪に処すと厳しく規定した。 僧位、僧官とは別に、知徳を備えた僧侶の称号として、朝廷は綸旨によって上人号を与えた内容である。上人号の綸旨をみだりに我れ勝ちに進むものがあれば流罪に処すと厳しく規定した。
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参考文献 参考文献
-日本史リブレット36 江戸幕府と朝廷+「日本史リブレット36 江戸幕府と朝廷」
2001年5月30日 発行 著者 高埜利彦 発行所 株式会社山川出版社 2001年5月30日 発行 著者 高埜利彦 発行所 株式会社山川出版社
-(ハンドル名:JH)+「詳説日本史」
 +2003年3月5日 発行 発行所 株式会社 山川出版社
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 +HN:HS

2009年1月30日 (金) 14:34の版

   徳川家康は、1611年(慶長16年)に後水尾天皇を擁立した後に、天皇の譲位、即位まで武士の意向に従わせるほどの権力の強さを示した。そして幕府による天皇権威や朝廷機能の独占のために、1615年大阪の陣後、禁中並公家諸法度を発布した。これは、朝廷の統制の基準を明示したものである。主な内容としては、京都所司代らに朝廷を監視させた他に、摂家(関白・三公)に朝廷独占の主導権を持たせ、武家伝奏を通じて操作しようとした。なお、その前の段階として、2年前の1613年に「公家衆法度」と「勅許紫衣の法度」と発布している。これらの法度が前提になっており、起草は、金地院崇伝(本光国師)が中心になって進めたものである。


前将軍徳川家康と、現将軍である徳川秀忠と、前関白二条昭実の3人が二条城において7月17日に連署して制定されたものである。その内容は17条にわたり、武家諸法度と異なり、幕末まで変わらなかった。 1~12条が天皇家および公家が厳守すべき諸規定、13条以下が僧の官位についての諸規定である。


禁中並公家諸法度 条文・解説

第1条 - 天皇の主務 天皇に対する規定であり、天子の行うべき諸々の学問、技芸の中で第一は学問である。の学問を学ばなければ古からの道理は明らかにならない。よく学ぶことによって太平を致すことができる。ここでいう学問とは、統治、治道の学問と解すべきである。天子の行うべき第二は和歌である。和歌は、平安時代の光考天皇以来絶えたことのない我が国の習俗となっているので捨ててはならない。第三に、「禁秘抄」に載せられている有職故実をよく習学すること、これが肝要である。以上の3点が1条の内容である。


第2条 - 三公(太政大臣、左大臣、右大臣)の座次 第3条 - 清華家の大臣辞任後の座次 第2、3条は関連するものであり、朝廷内の座順を明確に示したものである。 その座順は三公、次に親王、前官の大臣、諸親王、前官の大臣の順番となる。摂家がなる三公が天皇の兄弟である親王よりも上位としたことに注目する。


第4条、第5条 - 摂関の任免 4条においては公家の最上位の家格である摂家であっても、その人物の器量に欠ければ三公や摂政、関白に命じられるべきではないとし、まして清華家以下の家格においてはなおさらであるとした。5条は人物の器量が豊かであるなら、老後に及んでも三公、摂関を辞任しなくてもよいとした。 三公、摂関を重視する幕府がその地位に適した人材を求めた内容である。


第6条 - 養子 家の相続に関して、養子を迎える際には同姓の家を選ぶように、また妻の縁類からの家督相続は古今一切見られないことと否定した内容である。


第7条 - 武家官位 武家の官位は公家の官位任叙とは別個に存在させる事と規定したものである。


第8条 - 改元 この条は改元の規定であり、元号を改めるにあたって、新元号の候補を漢朝ですでに用いた年号の中から、吉例であったものをもってこれを定めるとした。 今後繰り返し習礼相熟したならば、本朝先規の作法のように、元号の候補を勘分したうえで決定することが命じられた内容である。


第9条 - 天子以下諸臣の衣服 天皇、親王、公家の衣服を定めたものであり、これは序列に応じた極めて複雑な内容を持っていた。


第10条 - 諸家昇進の次第 公家たちの官位昇進においては、その家々の旧例を遵守すべき旨を規定したものである。


第11条 - 関白や武家伝奏などの申渡違背者への罰則 朝廷を統制、管理、運営する執行者である関白、武家伝奏と奉行の職事の申し渡しに常上・地下の公家たちには従うように命じられたものであり、背いた場合には流罪(遠流、中流、近流)に処すと規定したものである。


第12条 - 罪の軽重の名例律准拠 「公家衆法度」に違反して処罰される罪の軽重は「名例律」に依拠するよう命じた内容である。


第13条 - 摂家門跡の座次 門跡の座順を定めたものであり、門跡には天皇の皇子、連枝で親王宣下を受けた後に得度した入道親王や、得度後に親王宣下を受けた法親王である親王門跡などがある。


第14条、第15条 - 僧正、門跡、院家の任命叙任 僧官の中で最上位の僧正は、親王や公家の子弟が入室した門跡や院家が先例を守って任官されることを命じたものである。門跡は、僧正に次ぐ僧官の大・正・少僧都や最上位の僧位である法印に任叙されるが、同様に院家も僧官の大・正・権僧都や律師の僧官や法印、法眼の僧位に先例に任せて任叙されると規定したものである。


第16条 - 紫衣の寺住持職 紫衣の寺の住持職に関する規定である。紫衣の寺の住持職が近年みだりに勅許され、そのことで僧侶の修行年数にロウ次が乱れたり、官寺を汚すことになるのは甚だしかるべからざることである。今後は住持になる僧侶の器用を選び、僧侶となってからの年数、偕老を積んで智者の聞こえある人を入院させるように命じたものである。


第17条 - 上人号 僧位、僧官とは別に、知徳を備えた僧侶の称号として、朝廷は綸旨によって上人号を与えた内容である。上人号の綸旨をみだりに我れ勝ちに進むものがあれば流罪に処すと厳しく規定した。


※金地院崇伝

以心崇伝ともいい、1569~1633年にわたった江戸幕府の政治顧問。1605年臨済宗五山の上の何禅寺の住持となり、金地院に住した。


参考文献

「日本史リブレット36 江戸幕府と朝廷」 2001年5月30日 発行 著者 高埜利彦 発行所 株式会社山川出版社

「詳説日本史」 2003年3月5日 発行 発行所 株式会社 山川出版社

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