飢餓
出典: Jinkawiki
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== 飢餓 == | == 飢餓 == | ||
- | FAO(国連食糧農業機関)は、飢餓を「生きるための最小エネルギーである基礎代謝量の1.2~1.4倍以下のエネルギーしか摂取できない状態」と定義している。1.2倍以下の人口は3.5億人。1.4倍以下は実に5億人にもなり、世界人口の約10人に1人になる。また、飢餓とは、食糧の不足によって栄養失調が続き、体調の維持が困難になっている状態である。栄養失調の状態を経て、それが原因で死んだ場合、餓死といわれる。飢饉の際には地域全体が飢餓状態となる。 | + | FAO(国連食糧農業機関)は、飢餓を「生きるための最小エネルギーである基礎代謝量の1.2~1.4倍以下のエネルギーしか摂取できない状態」と定義している。1.2倍以下の人口は3.5億人、1.4倍以下は実に5億人にもなり、世界人口の約10人に1人になる。また、飢餓とは、食糧の不足によって栄養失調が続き、体調の維持が困難になっている状態である。栄養失調の状態を経て、それが原因で死んだ場合、餓死といわれる。飢饉の際には地域全体が飢餓状態となる。 |
== 飢餓人口 == | == 飢餓人口 == | ||
地球上で栄養不良・飢餓にもとづく死亡数は、他のいかなる原因による死亡数より多い。世界で飢えによる死者は年間1500万人もいる。飢餓が最も多いのは南アジアで、最も深刻なのはアフリカである。飢餓が最も問題になるのは乳幼児と妊婦・授乳婦である。南アジアでは子どもの2人に1人、アフリカでは3人に1人が飢餓である。栄養不足による妊産婦の死亡率も高い。飢餓に陥った子どもは、死を免れても免疫能の低下により感染症にかかりやすく、また意欲や好奇心が低下し、遊びや仕事への欲求や探究心が低く、知的発達も遅れる。このようなことから、飢餓は、社会的・経済的負担を高め、その結果として地域の開発を遅らせている。経済状況の悪化は栄養不良を招くであろうが、栄養不良もまた経済の悪化を招く。 | 地球上で栄養不良・飢餓にもとづく死亡数は、他のいかなる原因による死亡数より多い。世界で飢えによる死者は年間1500万人もいる。飢餓が最も多いのは南アジアで、最も深刻なのはアフリカである。飢餓が最も問題になるのは乳幼児と妊婦・授乳婦である。南アジアでは子どもの2人に1人、アフリカでは3人に1人が飢餓である。栄養不足による妊産婦の死亡率も高い。飢餓に陥った子どもは、死を免れても免疫能の低下により感染症にかかりやすく、また意欲や好奇心が低下し、遊びや仕事への欲求や探究心が低く、知的発達も遅れる。このようなことから、飢餓は、社会的・経済的負担を高め、その結果として地域の開発を遅らせている。経済状況の悪化は栄養不良を招くであろうが、栄養不良もまた経済の悪化を招く。 | ||
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+ | == わが国の飢餓時代 == | ||
+ | 明治から第二次世界大戦前の食生活は、米・いも・麦などに依存するきわめて貧困な食生活であった。砂糖・食用油・果物・肉・牛乳・卵・魚介類などが一時増加しつつあったが、昭和初期には世界経済恐慌の影響を受け、さらに第二次世界大戦前の軍事経済優先政策により、食糧事情は悪化し国民の食生活は質的に急速に低下していった。 | ||
+ | 第二次世界大戦の終結直後は、食糧生産の低下や外地からの引き揚げ等による人口増により、全国的に飢餓と栄養失調が蔓延し、きわめて深刻な食糧不足になった。緊急食糧対策の資料とするため、また国民の栄養向上を目指して、1945年12月に、連合軍最高司令官から日本政府への指示により、東京都内35区で栄養調査が実施された。この結果、配給によるエネルギー供給は1230キロカロリーで必要量の半分程度しかなかった。これにより1947年1月から、貧困児童や虚弱児童だけでなく全児童を対象として学校給食が実施されるようになった。翌1948年には、全国的な規模で国民栄養調査が実施されるようになり、調査結果は連合軍司令部にも報告され、援助食糧補給の資料とされた。1949年ころには、食糧事情もしだいに好転してきた。 | ||
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2009年5月28日 (木) 14:27の版
飢餓
FAO(国連食糧農業機関)は、飢餓を「生きるための最小エネルギーである基礎代謝量の1.2~1.4倍以下のエネルギーしか摂取できない状態」と定義している。1.2倍以下の人口は3.5億人、1.4倍以下は実に5億人にもなり、世界人口の約10人に1人になる。また、飢餓とは、食糧の不足によって栄養失調が続き、体調の維持が困難になっている状態である。栄養失調の状態を経て、それが原因で死んだ場合、餓死といわれる。飢饉の際には地域全体が飢餓状態となる。
飢餓人口
地球上で栄養不良・飢餓にもとづく死亡数は、他のいかなる原因による死亡数より多い。世界で飢えによる死者は年間1500万人もいる。飢餓が最も多いのは南アジアで、最も深刻なのはアフリカである。飢餓が最も問題になるのは乳幼児と妊婦・授乳婦である。南アジアでは子どもの2人に1人、アフリカでは3人に1人が飢餓である。栄養不足による妊産婦の死亡率も高い。飢餓に陥った子どもは、死を免れても免疫能の低下により感染症にかかりやすく、また意欲や好奇心が低下し、遊びや仕事への欲求や探究心が低く、知的発達も遅れる。このようなことから、飢餓は、社会的・経済的負担を高め、その結果として地域の開発を遅らせている。経済状況の悪化は栄養不良を招くであろうが、栄養不良もまた経済の悪化を招く。
わが国の飢餓時代
明治から第二次世界大戦前の食生活は、米・いも・麦などに依存するきわめて貧困な食生活であった。砂糖・食用油・果物・肉・牛乳・卵・魚介類などが一時増加しつつあったが、昭和初期には世界経済恐慌の影響を受け、さらに第二次世界大戦前の軍事経済優先政策により、食糧事情は悪化し国民の食生活は質的に急速に低下していった。 第二次世界大戦の終結直後は、食糧生産の低下や外地からの引き揚げ等による人口増により、全国的に飢餓と栄養失調が蔓延し、きわめて深刻な食糧不足になった。緊急食糧対策の資料とするため、また国民の栄養向上を目指して、1945年12月に、連合軍最高司令官から日本政府への指示により、東京都内35区で栄養調査が実施された。この結果、配給によるエネルギー供給は1230キロカロリーで必要量の半分程度しかなかった。これにより1947年1月から、貧困児童や虚弱児童だけでなく全児童を対象として学校給食が実施されるようになった。翌1948年には、全国的な規模で国民栄養調査が実施されるようになり、調査結果は連合軍司令部にも報告され、援助食糧補給の資料とされた。1949年ころには、食糧事情もしだいに好転してきた。
≪参考文献≫
- 飢餓 丸井英二編 ドメス社
- 飢餓と難民 犬養道子著 岩波書店
- 「飢餓」と「飽食」 野間佐和子著 講談社