聖人

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2009年6月5日 (金) 14:38の版
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聖人(セイジン、ショウニン)とは、 聖人(セイジン、ショウニン)とは、
<br>口語的意味合いでは、徳の高い人、高潔な人、他の人々の模範となる人物を指す。 <br>口語的意味合いでは、徳の高い人、高潔な人、他の人々の模範となる人物を指す。
-<br>また、特定の宗教における崇拝における過去の特定の人物の意味もある。+<br>また、特定の宗教においての崇拝の対象となる過去の特定の人物を指す。
-<br>日本語としての聖人とは、本来儒教におけるものを指していたが、現在では日常会話やあらゆる宗教において聖人という言葉が用いらている。+<br>日本語としての聖人とは、本来儒教における成人を指していたが、現在では日常会話やあらゆる宗教において聖人という言葉が用いらており、本来の意味は日常会話などでは用いられなくなっている。
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== 儒教 == == 儒教 ==
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儒教における聖人とは、キリスト教の特定の宗派に見られるような、ある規律にのっとった特定の人物ではなく、過去の偉大な人物を指す。 儒教における聖人とは、キリスト教の特定の宗派に見られるような、ある規律にのっとった特定の人物ではなく、過去の偉大な人物を指す。
-<br>中国の神話に登場する堯(ぎょう)と舜(しゅん)の聖天子や王朝を築いた人物なのが挙げられ、特に先に述べた二人の聖天子と夏、殷、周の王朝を開いた三人は堯舜三代とよばれ、理想の聖人であるとされる。+<br>中国の神話に登場する'''堯'''(ぎょう)と'''舜'''(しゅん)の聖天子や王朝を築いた人物なのが挙げられ、特に先に述べた二人の聖天子と夏、殷、周の王朝を開いた三人は'''堯舜三代'''とよばれ、理想の聖人であるとされる。
-<br>また、儒教における聖人は、確かに格式高い人物ではあるが、神のような絶対的な存在ではなく、王から庶民にいたるまでが目指すべき存在と定めていた。+<br>儒教において聖人は、格式高く、尊い人物ではあるが、神のような絶対的な存在ではなく、王から庶民にいたるまでが目指すべき存在として崇めており、あくまでも人間として考えられている。
== 仏教 == == 仏教 ==
-<br>+仏教での聖人('''しょうにん''')は一部宗派の宗祖に対する敬称であり、上人と同じ意味合いを持つ。
 +<br>一般的に仏教で聖人と言えば法華経を題目とする諸宗派の宗祖である'''日蓮聖人'''、浄土真宗の宗祖である'''親鸞聖人'''が挙げられる。
 +<br>また、まれに浄土真宗では'''親鸞'''の師であることを理由に'''法然'''も聖人であるとされる場合があるが、そもそも'''法然'''を宗祖とする浄土宗には聖人という概念がなく、また浄土真宗でも通例では'''親鸞'''のみを聖人とするため、聖人ではないという見方が強い。
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== キリスト教 == == キリスト教 ==
-<br>+* [[聖人(キリスト教)]]を参照。
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== ヒンドゥー教 == == ヒンドゥー教 ==
-<br>+ヒンドゥー教には明確に聖人と呼ばれる人物はいないが、それに近い存在として、狭義でのバクティ・ヨーガ等の指導者を指す'''グル'''や、'''サドゥー'''と呼ばれているヒンドゥーのバラモン聖者が、聖人として該当するかもしれない。
 +<br>上に記したように、日本語での聖人という言葉は本来は儒教にのみ用いられる言葉であったが、現在ではその意味で用いられることは少なく、広義なものとなっている。特に'''グル'''はサンスクリット語で「指導者」や「尊敬すべき人」といった意味であるため、日本語として訳したとき、聖人と訳されてもおかしくはないだろう。
 + 
== ユダヤ教 == == ユダヤ教 ==
-<br>+ユダヤ教には日本語でいう聖人となる人物は、いると言えばいるであろうし、いないと言えばいないという非常にあいまいな状態である。
 +<br>どの宗教にも言えることではあるが、ユダヤ教には時代、指導者の違いによる派(保守派、改革派、再建派、正統派等)が多数存在し、また組織も多い。
 +<br>なかにはキリスト教とイコールであるとする教徒も存在するため、その場合にはキリスト教での聖人がユダヤ教での聖人となりえるかもしれない。イスラームの教えとイコールであるという教徒も存在し、その場合はイスラームの聖人がユダヤ教の聖人となりえる。
 +<br>また、明確な宗祖が存在するとする宗派も、存在しないとする宗派もあり、一方では神であったものが、もう一歩では人であったり、明確に、「この人物である。」と決め打つことができない。

最新版

聖人(セイジン、ショウニン)とは、
口語的意味合いでは、徳の高い人、高潔な人、他の人々の模範となる人物を指す。
また、特定の宗教においての崇拝の対象となる過去の特定の人物を指す。
日本語としての聖人とは、本来儒教における成人を指していたが、現在では日常会話やあらゆる宗教において聖人という言葉が用いらており、本来の意味は日常会話などでは用いられなくなっている。

目次

儒教

儒教における聖人とは、キリスト教の特定の宗派に見られるような、ある規律にのっとった特定の人物ではなく、過去の偉大な人物を指す。
中国の神話に登場する(ぎょう)と(しゅん)の聖天子や王朝を築いた人物なのが挙げられ、特に先に述べた二人の聖天子と夏、殷、周の王朝を開いた三人は堯舜三代とよばれ、理想の聖人であるとされる。
儒教において聖人は、格式高く、尊い人物ではあるが、神のような絶対的な存在ではなく、王から庶民にいたるまでが目指すべき存在として崇めており、あくまでも人間として考えられている。

仏教

仏教での聖人(しょうにん)は一部宗派の宗祖に対する敬称であり、上人と同じ意味合いを持つ。
一般的に仏教で聖人と言えば法華経を題目とする諸宗派の宗祖である日蓮聖人、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が挙げられる。
また、まれに浄土真宗では親鸞の師であることを理由に法然も聖人であるとされる場合があるが、そもそも法然を宗祖とする浄土宗には聖人という概念がなく、また浄土真宗でも通例では親鸞のみを聖人とするため、聖人ではないという見方が強い。

キリスト教

ヒンドゥー教

ヒンドゥー教には明確に聖人と呼ばれる人物はいないが、それに近い存在として、狭義でのバクティ・ヨーガ等の指導者を指すグルや、サドゥーと呼ばれているヒンドゥーのバラモン聖者が、聖人として該当するかもしれない。
上に記したように、日本語での聖人という言葉は本来は儒教にのみ用いられる言葉であったが、現在ではその意味で用いられることは少なく、広義なものとなっている。特にグルはサンスクリット語で「指導者」や「尊敬すべき人」といった意味であるため、日本語として訳したとき、聖人と訳されてもおかしくはないだろう。

ユダヤ教

ユダヤ教には日本語でいう聖人となる人物は、いると言えばいるであろうし、いないと言えばいないという非常にあいまいな状態である。
どの宗教にも言えることではあるが、ユダヤ教には時代、指導者の違いによる派(保守派、改革派、再建派、正統派等)が多数存在し、また組織も多い。
なかにはキリスト教とイコールであるとする教徒も存在するため、その場合にはキリスト教での聖人がユダヤ教での聖人となりえるかもしれない。イスラームの教えとイコールであるという教徒も存在し、その場合はイスラームの聖人がユダヤ教の聖人となりえる。
また、明確な宗祖が存在するとする宗派も、存在しないとする宗派もあり、一方では神であったものが、もう一歩では人であったり、明確に、「この人物である。」と決め打つことができない。


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