ソンミ村虐殺事件

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2009年6月17日 (水) 17:46の版
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1.事件の概要 1.事件の概要
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ベトナム人民解放軍(旧北ベトナム正規軍)と南ベトナム解放民族戦線は、ゲリラ戦を戦わざるを得なかった。これに対し、南ベトナム政府軍及び米軍は、ゲリラ兵と一般住民の区別がつかず――つけることができず――住民の虐殺を行ったと考えられる。このことは、敵・味方の区別がつけられないということだけでなく、米軍の民族差別意識に起因するものであろう。極端な言い方をすれば、米軍以外はすべて敵であり、同じ人間として、生きていることを全く理解していない状況に兵士たちは、陥っていたと考えられる。 ベトナム人民解放軍(旧北ベトナム正規軍)と南ベトナム解放民族戦線は、ゲリラ戦を戦わざるを得なかった。これに対し、南ベトナム政府軍及び米軍は、ゲリラ兵と一般住民の区別がつかず――つけることができず――住民の虐殺を行ったと考えられる。このことは、敵・味方の区別がつけられないということだけでなく、米軍の民族差別意識に起因するものであろう。極端な言い方をすれば、米軍以外はすべて敵であり、同じ人間として、生きていることを全く理解していない状況に兵士たちは、陥っていたと考えられる。
-これと同様のことは、イラク戦争でも捕虜に対する扱いで、捕虜を裸にし、こともあろうかビデオ撮影まで行い問題になったことでも明らかであろう。民族差別だけでなく、戦時にあっては、他国の歴史的文化や伝統などに対する理解など全く無視されてしまうのである。 
また、米軍による女性暴行(レイプ)については、軍が持つ構造的な問題性として次のように述べられている。即ち、「どこの軍隊であろうと、一般に軍組織は、『軍国精神に染められた力強い男』という観念を兵士たちに常に植え付け続ける必要性から、売春婦によるサービスを必要としているのである」(田中敏幸「国家と戦時性暴力と男性性」、宮地尚子編著『性的支配と歴史』、2008年、大月書店所収、108頁)。この点が戦場という空間で女性に対して行われた行為の原因であろう。但し、中国及びベトナム人民解放軍には、「軍用売春宿を設置したとか、一般の商業売春婦を多数利用したという事実もなかったように思われる」(同前、109頁)。この点が決定的異なっている。 また、米軍による女性暴行(レイプ)については、軍が持つ構造的な問題性として次のように述べられている。即ち、「どこの軍隊であろうと、一般に軍組織は、『軍国精神に染められた力強い男』という観念を兵士たちに常に植え付け続ける必要性から、売春婦によるサービスを必要としているのである」(田中敏幸「国家と戦時性暴力と男性性」、宮地尚子編著『性的支配と歴史』、2008年、大月書店所収、108頁)。この点が戦場という空間で女性に対して行われた行為の原因であろう。但し、中国及びベトナム人民解放軍には、「軍用売春宿を設置したとか、一般の商業売春婦を多数利用したという事実もなかったように思われる」(同前、109頁)。この点が決定的異なっている。
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 +3・事件の詳細
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 +1968年3月16日の早朝5時30分、9機のヘリコプターから降り立った米兵は、いくつかのグループに分かれ、民家と避難壕を捜索。逃げようとしたものは出るそばから射殺され、避難壕には手榴弾を投げ込み、無抵抗の村民を次々と殺害していった。
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 +現在、ソンミ村では奇跡的に虐殺を逃れた3人の生存者が生活を送っている。
 + そのひとり、ハー・ティ・クイさん(83)は当時43歳。母(65)、娘(16)、息子(6)とともに自宅近くの避難壕に身を潜めたが、他の村人とともにもっとも戦慄すべき虐殺の場所、トゥアン・イェン小集落(別名:ミライ第4地区)のはずれにある農業水路脇に集められ、そこで、米兵による一斉機銃掃射を受けた。
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 + 手を合わせて命ごいをする人にも、米兵は容赦しなかった。あるものは頭を撃ち抜かれ、あるものは銃剣で心臓を衝かれた。足や背中に銃弾を浴びたあと意識を失ったクイさん。「多くの遺体が私の上に覆いかぶさり、助かったのでしょう」と回想する。その場所だけで瞬く間に170人の命が奪われ、唯一クイさんだけが助かった。
 +ソンミ村のいたるところで家屋や家畜を燃やし、村人の無差別殺戮に及んだ米兵。ほんの4時間あまりの間に、村は炎と死体の底に沈んだ。
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参考文献 参考文献
http://www4.ocn.ne.jp/~nhatviet/sub2-12.html http://www4.ocn.ne.jp/~nhatviet/sub2-12.html
 +http://www.hurights.or.jp/newsletter/J_NL/t/082/06.html

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1.事件の概要

1968年3月16日、クアンガイ省ソンミ村(現在ティンケー村)で米軍部隊により無抵抗の住民504人が虐殺された。2008年は事件から40年経つことから、式典が行われた(『しんぶん赤旗』2008年3月18日付け)。 死亡した504人の内、182人が女性、173人が子ども、60人が老人であり、多くの女性が暴行された上で殺害された。事件は当初、隠蔽されたが、1年半後明らかになり、14人が起訴されたが、終身刑を受けたのは小隊長のカリー中尉のみで、その後減刑され、74年3月に仮釈放されている。

2.事件の背景

ベトナム人民解放軍(旧北ベトナム正規軍)と南ベトナム解放民族戦線は、ゲリラ戦を戦わざるを得なかった。これに対し、南ベトナム政府軍及び米軍は、ゲリラ兵と一般住民の区別がつかず――つけることができず――住民の虐殺を行ったと考えられる。このことは、敵・味方の区別がつけられないということだけでなく、米軍の民族差別意識に起因するものであろう。極端な言い方をすれば、米軍以外はすべて敵であり、同じ人間として、生きていることを全く理解していない状況に兵士たちは、陥っていたと考えられる。 また、米軍による女性暴行(レイプ)については、軍が持つ構造的な問題性として次のように述べられている。即ち、「どこの軍隊であろうと、一般に軍組織は、『軍国精神に染められた力強い男』という観念を兵士たちに常に植え付け続ける必要性から、売春婦によるサービスを必要としているのである」(田中敏幸「国家と戦時性暴力と男性性」、宮地尚子編著『性的支配と歴史』、2008年、大月書店所収、108頁)。この点が戦場という空間で女性に対して行われた行為の原因であろう。但し、中国及びベトナム人民解放軍には、「軍用売春宿を設置したとか、一般の商業売春婦を多数利用したという事実もなかったように思われる」(同前、109頁)。この点が決定的異なっている。

3・事件の詳細  

1968年3月16日の早朝5時30分、9機のヘリコプターから降り立った米兵は、いくつかのグループに分かれ、民家と避難壕を捜索。逃げようとしたものは出るそばから射殺され、避難壕には手榴弾を投げ込み、無抵抗の村民を次々と殺害していった。

現在、ソンミ村では奇跡的に虐殺を逃れた3人の生存者が生活を送っている。  そのひとり、ハー・ティ・クイさん(83)は当時43歳。母(65)、娘(16)、息子(6)とともに自宅近くの避難壕に身を潜めたが、他の村人とともにもっとも戦慄すべき虐殺の場所、トゥアン・イェン小集落(別名:ミライ第4地区)のはずれにある農業水路脇に集められ、そこで、米兵による一斉機銃掃射を受けた。

 手を合わせて命ごいをする人にも、米兵は容赦しなかった。あるものは頭を撃ち抜かれ、あるものは銃剣で心臓を衝かれた。足や背中に銃弾を浴びたあと意識を失ったクイさん。「多くの遺体が私の上に覆いかぶさり、助かったのでしょう」と回想する。その場所だけで瞬く間に170人の命が奪われ、唯一クイさんだけが助かった。 ソンミ村のいたるところで家屋や家畜を燃やし、村人の無差別殺戮に及んだ米兵。ほんの4時間あまりの間に、村は炎と死体の底に沈んだ。


参考文献 http://www4.ocn.ne.jp/~nhatviet/sub2-12.html http://www.hurights.or.jp/newsletter/J_NL/t/082/06.html


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