国際連合2
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== 国際連盟から国際連合へ == | == 国際連盟から国際連合へ == | ||
- | 第一次世界大戦の反省からアメリカのウィルソン大統領が1918年'''平和原則14か条'''を発表した。大まかな内容として、①軍備縮小、②民族自決の原則に基づく植民地問題の公正な解決、③国際連盟の設立などがある。これは、カントの*永久平和論が影響している。1919年に行われたパリ講和会議はこのウィルソンが発表したものを基本原則とし、国際連盟設立を決議した。 | + | 第一次世界大戦の反省からアメリカのウィルソン大統領が1918年'''平和原則14か条'''を発表した。大まかな内容として、①軍備縮小、②民族自決の原則に基づく植民地問題の公正な解決、③国際連盟の設立などがある。これは、カントの*永久平和論が影響している。1919年に行われたパリ講和会議はこのウィルソンが発表したものを基本原則とし、国際連盟設立を決議した。同年の6月に第一次世界大戦の講和条約、'''ヴェルサイユ条約'''が結ばれ、この条約の第一編が国際連盟規約となった。そして、1920年国際連盟が成立した。しかし、1929年に世界恐慌がおこり、国際連盟の平和維持機能が不十分で1939年第二次世界大戦が勃発した。 |
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+ | 1941年'''大西洋憲章'''といわれる会談をアメリカのローズウェルトと、イギリスのチャーチルが行った。これは、戦争と国際連盟の失敗を反省し、国際連合と戦後の平和構想について話し合ったものである。1942年連合国共同宣言をして、このとき初めて、ローズヴェルトが「'''国際連合'''」という名称を使用した。 |
2009年6月20日 (土) 22:12の版
国際連盟から国際連合へ
第一次世界大戦の反省からアメリカのウィルソン大統領が1918年平和原則14か条を発表した。大まかな内容として、①軍備縮小、②民族自決の原則に基づく植民地問題の公正な解決、③国際連盟の設立などがある。これは、カントの*永久平和論が影響している。1919年に行われたパリ講和会議はこのウィルソンが発表したものを基本原則とし、国際連盟設立を決議した。同年の6月に第一次世界大戦の講和条約、ヴェルサイユ条約が結ばれ、この条約の第一編が国際連盟規約となった。そして、1920年国際連盟が成立した。しかし、1929年に世界恐慌がおこり、国際連盟の平和維持機能が不十分で1939年第二次世界大戦が勃発した。
1941年大西洋憲章といわれる会談をアメリカのローズウェルトと、イギリスのチャーチルが行った。これは、戦争と国際連盟の失敗を反省し、国際連合と戦後の平和構想について話し合ったものである。1942年連合国共同宣言をして、このとき初めて、ローズヴェルトが「国際連合」という名称を使用した。