天然資材に対する恒久主権
出典: Jinkawiki
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第二次世界大戦後に独立を果たした多数の発展途上新興国にとって、経済的には依然として先進資本主義国の再生産構造に組み込まれて原料供給地にすぎない状態に置かれていた。その自立的かつ持続的な経済発展を遂げ、健全な国民経済の基盤を形成するためには最大の資産である自国の天然資源を活用することが最も現実的な解決方法となり、先進国企業が「開発利権」の形で支配している自国資源に対する実効的な支配を奪還することを目指して、自国の天然資源に対しての恒久主権を主張するようになった。 | 第二次世界大戦後に独立を果たした多数の発展途上新興国にとって、経済的には依然として先進資本主義国の再生産構造に組み込まれて原料供給地にすぎない状態に置かれていた。その自立的かつ持続的な経済発展を遂げ、健全な国民経済の基盤を形成するためには最大の資産である自国の天然資源を活用することが最も現実的な解決方法となり、先進国企業が「開発利権」の形で支配している自国資源に対する実効的な支配を奪還することを目指して、自国の天然資源に対しての恒久主権を主張するようになった。 | ||
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なお、1974 年第 29 回総会で「諸国家の経済権利義務憲章」と題する決議(3281)が採択される過程で、天然資源の恒久主権、国有化の問題が採り上げられ、米国、フランス、英国、西独、日本などの先進 14 カ国は対案を提出したが、いずれも圧倒的多数をもって否決された。こうした一般的な潮流の中にあって、OPEC は 1966 年の国連総会決議によって具体化された「天然資源の恒久主権」の理念を 1968 年の第 16 回 OPEC 総会で OPEC の石油政策綱領として決議し、既存利権に対する資源所在国の「参加」を OPEC として初めて活動目標として設定した。その決議では、「現行契約にその旨の規定がなくても産油国政府は事情変更の原則により合理的な資本参加権を得る」ことが述べられ、第 24 回 OPEC 総会の決議により湾岸産油国を代表してサウジアラビアが国際石油資本と交渉に入り、1972 年 3 月には国際石油資本が事業参加を原則的に受け入れる旨を表明することとなった | なお、1974 年第 29 回総会で「諸国家の経済権利義務憲章」と題する決議(3281)が採択される過程で、天然資源の恒久主権、国有化の問題が採り上げられ、米国、フランス、英国、西独、日本などの先進 14 カ国は対案を提出したが、いずれも圧倒的多数をもって否決された。こうした一般的な潮流の中にあって、OPEC は 1966 年の国連総会決議によって具体化された「天然資源の恒久主権」の理念を 1968 年の第 16 回 OPEC 総会で OPEC の石油政策綱領として決議し、既存利権に対する資源所在国の「参加」を OPEC として初めて活動目標として設定した。その決議では、「現行契約にその旨の規定がなくても産油国政府は事情変更の原則により合理的な資本参加権を得る」ことが述べられ、第 24 回 OPEC 総会の決議により湾岸産油国を代表してサウジアラビアが国際石油資本と交渉に入り、1972 年 3 月には国際石油資本が事業参加を原則的に受け入れる旨を表明することとなった | ||
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'天然資源に対する恒久主権'(てんねんしざいにたいするこうきゅうしゅけん)
概要
天然資源の開発および利用は資源保有国の主権に属するとの考え方。1962年の国連総会で「天然資源の恒久主権」が決議され、また74年の国連特別総会では「新国際経済秩序樹立宣言」が採択され、この考えが再確認された。
詳細
weblio 辞書 ([1]) /天然資源に対する恒久主権引用
第二次世界大戦後に独立を果たした多数の発展途上新興国にとって、経済的には依然として先進資本主義国の再生産構造に組み込まれて原料供給地にすぎない状態に置かれていた。その自立的かつ持続的な経済発展を遂げ、健全な国民経済の基盤を形成するためには最大の資産である自国の天然資源を活用することが最も現実的な解決方法となり、先進国企業が「開発利権」の形で支配している自国資源に対する実効的な支配を奪還することを目指して、自国の天然資源に対しての恒久主権を主張するようになった。
この恒久主権の問題は 1952 年の第 7 回国連総会第3委員会において、前年のイランにおける石油国有化の制定を背景として提出され、以来、人権委員会、経済社会理事会、総会において、
(1) 天然資源に対する恒久主権の存否とその内容
(2) 天然資源の国有化は恒久主権の行使として当然に認められるか
(3) 外国(法)人の権益の収用に対する補償の要否とその手続
などの点を中心に活発な討議が行われ、これらの討議は 1962 年の第 17 回総会の「天然の富と資源に対する恒久主権」決議(1803)に集大成された。この決議は、恒久主権という語を初めて用い、国有化とその基準を国連で初めて規定したものとして大きな意味を持つようになった。
その後発展途上国は国際諸情勢の展開を背景に、従前の諸決議に含まれている理念の具現化を目指し、主権確保の最善の方法として自力開発と自力販売の方法を模索するとともに、外資の経営および利益への参加比率の増加を要求するようになった。この参加シェア引上げ要求に関しては、先進資本主義諸国はこれを認めれば既存の利権協定の安定性が損なわれるとして強く反対したが、発展途上国は一部先進資本主義国の支持を得、また、最終的には社会主義諸国と歩調を合わせ 1966 年決議(2158)として採択に持ち込んだ。
この決議は、
(1) 資源の開発と販売は外国の手によらず資源所在国が自力で行うことが望ましい
(2) 資源開発に従事する外資は受入れ国のコントロールに服さなければならない
(3) 上記(1)の早期実現のため外資は労働、技術、経営の各分野で現地要員の訓練に当たらなければならない
(4) 資源は本来所在国に帰する
ものであり、それゆえ資源所在国が資源開発に従事する企業の経営、利益に対するシェアを増大することは当然の権利である、などを主な内容とするものであり、こうして、天然資源に対する恒久主権の問題は国連という国際舞台で一応理論的には結論が出された。
国連ではその後、1966 年決議の実施、南北問題の解決といった焦点から討議が行われ、1970 年の第 25 回総会決議(2692)では、「天然資源常設委員会」の設置を決め、今後ここで恒常的に天然資源間題全般を扱うこととなり、また、1972 年の第 27 回総会決議(3016)および 1973 年の第 28 回総会決議(3171)の採択に至る過程で、それぞれ恒久主権の原則の沿岸水域(ないし大陸棚)への拡大、国有化措置に伴う補償額および補償手続に関する問題が採り上げられたが、いずれも先進資本主義国の主張は受け入れられず、資源所在国の主権の確立は時代の本流となった。
さらに、1974 年に開かれた資源と開発問題に関する国連特別総会においては、天然資源の恒久主権は新国際経済秩序の基礎として完全に尊重されるべき原則の一つであるとの宣言が採択され、国有化に伴う補償義務の無視または補償額の減殺理由として不当利得の概念が公式に持ち出されるようになった。
なお、1974 年第 29 回総会で「諸国家の経済権利義務憲章」と題する決議(3281)が採択される過程で、天然資源の恒久主権、国有化の問題が採り上げられ、米国、フランス、英国、西独、日本などの先進 14 カ国は対案を提出したが、いずれも圧倒的多数をもって否決された。こうした一般的な潮流の中にあって、OPEC は 1966 年の国連総会決議によって具体化された「天然資源の恒久主権」の理念を 1968 年の第 16 回 OPEC 総会で OPEC の石油政策綱領として決議し、既存利権に対する資源所在国の「参加」を OPEC として初めて活動目標として設定した。その決議では、「現行契約にその旨の規定がなくても産油国政府は事情変更の原則により合理的な資本参加権を得る」ことが述べられ、第 24 回 OPEC 総会の決議により湾岸産油国を代表してサウジアラビアが国際石油資本と交渉に入り、1972 年 3 月には国際石油資本が事業参加を原則的に受け入れる旨を表明することとなった
参考文献
JLogos ([2])
weblio 辞書 ([3])