国際連合2
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2009年6月18日 (木) 23:35の版 Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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== 国際連盟から国際連合へ == | == 国際連盟から国際連合へ == | ||
- | 第一次世界大戦の反省からアメリカのウィルソン大統領が1918年'''平和原則14か条'''を発表した。大まかな内容として、①軍備縮小、②民族自決の原則に基づく植民地問題の公正な解決、③国際連盟の設立などがある。これは、カントの*永久平和論が影響している。1919年に行われたパリ講和会議はこのウィルソンが発表したものを基本原則とし、国際連盟設立を決議した。 | + | 第一次世界大戦の反省からアメリカのウィルソン大統領が1918年'''平和原則14か条'''を発表した。大まかな内容として、①軍備縮小、②民族自決の原則に基づく植民地問題の公正な解決、③国際連盟の設立などがある。これは、カントの*永久平和論が影響している。1919年に行われたパリ講和会議はこのウィルソンが発表したものを基本原則とし、国際連盟設立を決議した。同年の6月に第一次世界大戦の講和条約、'''ヴェルサイユ条約'''が結ばれ、この条約の第一編が国際連盟規約となった。そして、1920年国際連盟が成立した。しかし、1929年に世界恐慌がおこり、国際連盟の平和維持機能が不十分で1939年第二次世界大戦が勃発した。 |
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+ | 1941年'''大西洋憲章'''といわれる会談をアメリカのローズウェルトと、イギリスのチャーチルが行った。これは、戦争と国際連盟の失敗を反省し、国際連合と戦後の平和構想について話し合ったものである。1942年連合国共同宣言をして、このとき初めて、ローズヴェルトが「'''国際連合'''」という名称を使用した。 | ||
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+ | 1944年に行われた'''ダンバートン・オークス会議'''にはアメリカ・イギリス・ソ連・中国の4カ国が参集し、国際連合設立を具体化した、「一般的国際機構設立に関する提案」を作成した。そして翌年の1945年'''ヤルタ会談'''でアメリカ・イギリス・ソ連の三首脳が、国連安全保障理事会の表決方法('''五大国の拒否権利''')を決定した。同年の'''サンフランシスコ会議'''で国際連合憲章が採択され、国際連合が正式に成立した。 | ||
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+ | *カントの永久平和論…ドイツの哲学者カントは、人間戦争の手段として扱ってはならないとし、人格の尊厳と平等を主張した。さらに国際法の必要性を理論づけ、国際連盟設立の基本思想に影響を与えた。 | ||
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+ | ''' ● 国際連合憲章 ''' | ||
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+ | 1945年に採択され、日本はこれに1956年に批准した。 | ||
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+ | 国際連合の目的や原則、機構などを定めている。安全保障理事会に強力な権限が与えられており、第7章では、平和を破壊する国に対して経済的・軍事的措置を講ずること認めている。第53条と第107条は「旧敵国条項」とよばれ、第二次世界大戦中に連合国の敵であった国(日本、ドイツ、イタリアなど)の再侵略に備える強制行動には、安全保障理事会による決議は不要としている。これらの条項はすでに死文化したとして、1995年に削除が決定したが、憲章改正の手続きはまだ行われてない。 | ||
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+ | ''' ● 拒否権 ''' | ||
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+ | 安全保障理事会の表決では、常任理事国にこの権利が認められている(「大国一致の原則」、これまでに240回あまり行使された)。5カ国のうちの1カ国でも反対すると決議は成立しない。このため、大国による平和を乱す行為があったとき、安保理では非難や制裁の決議を行えず、大国に優位な仕組みとなっている。 | ||
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+ | これには、大国の足並みがそろわず実行性の伴わない決議を避ける役割もある。冷戦中は、米ソによる拒否権に行使がさかんに行われ安保理がうまく機能しなかったが、冷戦終結後は発動回数が減少している。 | ||
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+ | ''' ● 国連加盟国 ''' | ||
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+ | 1956年、日本は加盟した。国連にはバチカン市国を除くすべての独立国が加盟している。 | ||
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+ | 国連加盟国の地域バランスは、アジア・アフリカの割合が多くなっている。このため、一律に一国一票が与えられる総会での発言力が強まっている。また、 | ||
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+ | 2002年に永世中立国であるスイスが加盟した。これは、冷戦終結と湾岸戦争を機に国連が米ソ対立の場ではなく、全地球的な安全保障と国際貢献の役割を担う組織となったことを示す。 | ||
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+ | == 国際連合のしくみ == | ||
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+ | '''● 安全保障理事会 '''(安保理):紛争処理の中心機関。常任理事国(米・英・仏・中・露)の五大国は拒否権をもっており、非常任理事国は2年ごとに10カ国(地域ごと)が選出される。議決方法は、手続き事項(非重要)では9理事国以上の賛成で可決され、拒否権はない。実質事項(重要)では、五大国を含む9理事国以上の賛成で可決される。しかし、拒否権の行使ができるので、議決不可になることもある。 | ||
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+ | '''● 総会 ''':国連の最高機関。本部はニューヨークにある。加盟国には、「一国一票」の投票権(主権平等)がある。議決方法は<重要事項>では加盟国の三分の二以上の賛成で可決され、<一般事項>では加盟国の過半数の賛成で可決される。 | ||
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+ | ● 事務局 :事務担当。事務総長は五大国以外からの選出が慣例。安全保障理事会の勧告によって総会が任命する。任期は5年である。 | ||
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+ | ● 信託統治理事会 :未開発地域の独立。最初は11地域あったが、すべて独立したため、1994年から活動を停止している。 | ||
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+ | ● 経済社会理事会 :専門機関と連携。代表的な専門機関は、ILO(国際労働機関)/WHO(世界保健機構)/IMF(国際通貨基金)/WTO(世界貿易機構)/IBRD(国際復興開銀 行)などがある。 | ||
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+ | ● 国際司法裁判所 :オランダのハーグにある。任期9年の判事で構成されており、裁判対象は国家のみである。だが、2002年に個人用に国際刑事裁判所が設置された。 | ||
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+ | など、このほかにもさまざまな委員会、機関がある。 | ||
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+ | == 国際連合の問題点 == | ||
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+ | まず一つ目に挙げられるのが、冷戦期の安保理マヒある。このとき、米ソを中心に拒否権が240回以上行使された。これでは安保理が機能しなくなるので、この問題を解決するために、1950年、国連総会で『'''平和のための結集'''決議』が採択された。これは、機能マヒに陥った安保理の機能を総会が代行できるシステムである。今までに十数回の緊急特別総会が開会されている。二つ目に、議会の決定事項に拘束力がないこと。各国の主権を尊重しているからである。 | ||
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+ | 三つ目に財政難であること。アメリカを中心に分担金の滞納国が多いからである。2年以上の滞納で投票権を失うが、「制裁なし」が現状である。四つ目が予算規模が小さいこと。年31.6億ドル(2004/2005年)しかない。これは東京都の約34分の1である。 | ||
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+ | このように国際連合は問題点が多い。 | ||
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+ | ●参考文献 | ||
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+ | 現代社会の点数が面白いほどとれる本 䕃山克秀 中経出版 2007年6月21日 発行 | ||
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+ | 最新図説 現社 浜島書店 |
最新版
国際連盟から国際連合へ
第一次世界大戦の反省からアメリカのウィルソン大統領が1918年平和原則14か条を発表した。大まかな内容として、①軍備縮小、②民族自決の原則に基づく植民地問題の公正な解決、③国際連盟の設立などがある。これは、カントの*永久平和論が影響している。1919年に行われたパリ講和会議はこのウィルソンが発表したものを基本原則とし、国際連盟設立を決議した。同年の6月に第一次世界大戦の講和条約、ヴェルサイユ条約が結ばれ、この条約の第一編が国際連盟規約となった。そして、1920年国際連盟が成立した。しかし、1929年に世界恐慌がおこり、国際連盟の平和維持機能が不十分で1939年第二次世界大戦が勃発した。
1941年大西洋憲章といわれる会談をアメリカのローズウェルトと、イギリスのチャーチルが行った。これは、戦争と国際連盟の失敗を反省し、国際連合と戦後の平和構想について話し合ったものである。1942年連合国共同宣言をして、このとき初めて、ローズヴェルトが「国際連合」という名称を使用した。
1944年に行われたダンバートン・オークス会議にはアメリカ・イギリス・ソ連・中国の4カ国が参集し、国際連合設立を具体化した、「一般的国際機構設立に関する提案」を作成した。そして翌年の1945年ヤルタ会談でアメリカ・イギリス・ソ連の三首脳が、国連安全保障理事会の表決方法(五大国の拒否権利)を決定した。同年のサンフランシスコ会議で国際連合憲章が採択され、国際連合が正式に成立した。
*カントの永久平和論…ドイツの哲学者カントは、人間戦争の手段として扱ってはならないとし、人格の尊厳と平等を主張した。さらに国際法の必要性を理論づけ、国際連盟設立の基本思想に影響を与えた。
● 国際連合憲章
1945年に採択され、日本はこれに1956年に批准した。
国際連合の目的や原則、機構などを定めている。安全保障理事会に強力な権限が与えられており、第7章では、平和を破壊する国に対して経済的・軍事的措置を講ずること認めている。第53条と第107条は「旧敵国条項」とよばれ、第二次世界大戦中に連合国の敵であった国(日本、ドイツ、イタリアなど)の再侵略に備える強制行動には、安全保障理事会による決議は不要としている。これらの条項はすでに死文化したとして、1995年に削除が決定したが、憲章改正の手続きはまだ行われてない。
● 拒否権
安全保障理事会の表決では、常任理事国にこの権利が認められている(「大国一致の原則」、これまでに240回あまり行使された)。5カ国のうちの1カ国でも反対すると決議は成立しない。このため、大国による平和を乱す行為があったとき、安保理では非難や制裁の決議を行えず、大国に優位な仕組みとなっている。
これには、大国の足並みがそろわず実行性の伴わない決議を避ける役割もある。冷戦中は、米ソによる拒否権に行使がさかんに行われ安保理がうまく機能しなかったが、冷戦終結後は発動回数が減少している。
● 国連加盟国
1956年、日本は加盟した。国連にはバチカン市国を除くすべての独立国が加盟している。
国連加盟国の地域バランスは、アジア・アフリカの割合が多くなっている。このため、一律に一国一票が与えられる総会での発言力が強まっている。また、
2002年に永世中立国であるスイスが加盟した。これは、冷戦終結と湾岸戦争を機に国連が米ソ対立の場ではなく、全地球的な安全保障と国際貢献の役割を担う組織となったことを示す。
国際連合のしくみ
● 安全保障理事会 (安保理):紛争処理の中心機関。常任理事国(米・英・仏・中・露)の五大国は拒否権をもっており、非常任理事国は2年ごとに10カ国(地域ごと)が選出される。議決方法は、手続き事項(非重要)では9理事国以上の賛成で可決され、拒否権はない。実質事項(重要)では、五大国を含む9理事国以上の賛成で可決される。しかし、拒否権の行使ができるので、議決不可になることもある。
● 総会 :国連の最高機関。本部はニューヨークにある。加盟国には、「一国一票」の投票権(主権平等)がある。議決方法は<重要事項>では加盟国の三分の二以上の賛成で可決され、<一般事項>では加盟国の過半数の賛成で可決される。
● 事務局 :事務担当。事務総長は五大国以外からの選出が慣例。安全保障理事会の勧告によって総会が任命する。任期は5年である。
● 信託統治理事会 :未開発地域の独立。最初は11地域あったが、すべて独立したため、1994年から活動を停止している。
● 経済社会理事会 :専門機関と連携。代表的な専門機関は、ILO(国際労働機関)/WHO(世界保健機構)/IMF(国際通貨基金)/WTO(世界貿易機構)/IBRD(国際復興開銀 行)などがある。
● 国際司法裁判所 :オランダのハーグにある。任期9年の判事で構成されており、裁判対象は国家のみである。だが、2002年に個人用に国際刑事裁判所が設置された。
など、このほかにもさまざまな委員会、機関がある。
国際連合の問題点
まず一つ目に挙げられるのが、冷戦期の安保理マヒある。このとき、米ソを中心に拒否権が240回以上行使された。これでは安保理が機能しなくなるので、この問題を解決するために、1950年、国連総会で『平和のための結集決議』が採択された。これは、機能マヒに陥った安保理の機能を総会が代行できるシステムである。今までに十数回の緊急特別総会が開会されている。二つ目に、議会の決定事項に拘束力がないこと。各国の主権を尊重しているからである。
三つ目に財政難であること。アメリカを中心に分担金の滞納国が多いからである。2年以上の滞納で投票権を失うが、「制裁なし」が現状である。四つ目が予算規模が小さいこと。年31.6億ドル(2004/2005年)しかない。これは東京都の約34分の1である。
このように国際連合は問題点が多い。
●参考文献
現代社会の点数が面白いほどとれる本 䕃山克秀 中経出版 2007年6月21日 発行
最新図説 現社 浜島書店