オレンジ公

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2009年7月15日 (水) 11:23の版
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1650年11月14日生まれ。 1650年11月14日生まれ。
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イギリスの名誉革命の主。 イギリスの名誉革命の主。
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ウィリアムは非常に体が弱かったが、節制した生活を心がけ、食事も暴飲暴食は避け、睡眠も十分にとったことで52年の生涯を生き抜いた。 ウィリアムは非常に体が弱かったが、節制した生活を心がけ、食事も暴飲暴食は避け、睡眠も十分にとったことで52年の生涯を生き抜いた。
剣はもちろん、馬術なども全く駄目だったが、母の生まれた国を救おうと立ち上がったのだった。 剣はもちろん、馬術なども全く駄目だったが、母の生まれた国を救おうと立ち上がったのだった。
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 +イギリス革命史~上~
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1650年11月14日生まれ。

イギリスの名誉革命の主。

イギリスではチャールズ1世の失政に怒った民衆がオリバー・クロムウエルに指揮されて1642年に革命を起こし、国王を処刑して共和制を敷いた。 しかしチャールズ1世の死後は息子のリチャードが権力を継承するも、議会や軍の支持を得られずに亡命、チャールズ1世の息子のチャールズ2世が国王になり、王政復古をする。 しかしチャールズ2世は極端な復古主義に傾いたため、議会との溝が深まり、また、次のジェームズ2世は最初から議会と激しい対立をしたため、議会はオランダのオレンジ公にイギリスに来て、国王になってくれるよう要請。

ウィリアムはオランダのオレンジ公ウィルへレム2世と、チャールズ2世やジェームズ2世の姉妹にあたるメリーの子。 そして妻はジェームズ2世の娘のメリーで従兄妹同士の結婚であった。

オレンジ公ウィリアムは要請に応えジェームズ2世の手勢の軍に対抗できるだけの兵力を率いてイギリスに上陸するが、実際には一切の戦闘は行われず、ジェームズ2世はそのまま亡命。血が流されずに革命が行われたため、これを名誉革命という。 ウィリアムは妻のメリーと共に権利の章典を承認して、共同王位に就いた。 ここからイギリスでは「国王は君臨すれども統治せず」というシステムが確立する。

ウィリアムは非常に体が弱かったが、節制した生活を心がけ、食事も暴飲暴食は避け、睡眠も十分にとったことで52年の生涯を生き抜いた。 剣はもちろん、馬術なども全く駄目だったが、母の生まれた国を救おうと立ち上がったのだった。


参考文献

イギリス革命史~上~

イギリス革命史~下~


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