百年戦争

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ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女 竹下節子 講談社現代新書 ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女 竹下節子 講談社現代新書
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百年戦争

1339年から1453年にかけて、フランスの王位継承権をめぐってイギリスとフランスとの間に起こった争いのこと。


近代のナショナリズム的見地

イギリスという国が、フランスという国を侵略、併合しようとしてなさなかったように見えるが、もともと民族と歴史の入り組んだヨーロッパでは、実情はそう単純なものではない。ヨーロッパ大陸では民族移動は北や東から西へ南へと流れていった。フランス側から見るとイギリスというのは、まずヨーロッパ大陸を征服した民族たちの一部が引き続き流れていってできた国だった。フランスの諸侯の一人が、イギリスという島国に移住して一家をなし栄えるようになったというくらいにみなされていた。ヨーロッパ内部では一国を単位としたナショナリズムの成立は程遠く、だいたい「国」といっても、姻威関係によって領土の地図が絶えず目まぐるしく変わっていった。12世紀のイギリスのプランタジネット王家などは、もともとフランスのアンジュー伯であり、そのうえフランス王妃だった女性と結婚してその領地も手に入れたので、フランスの西半分を所有していた。これも、見方を変えれば、フランス人がイギリス人を支配するようになったのだとも見える。それでも勢力争いのもとになって、結局、イギリス王がフランスの一諸侯としてフランス王に封建制のもとでの臣下の礼をとることで、一応片がついた。しかし14世紀になると、農業生産力が伸びて人口も多かったフランスは、貧しいイギリス王が所有権を持っている南西フランスの領土を没収してしまった。イギリスはイギリスで、毛織物で豊かなフランドル地方へ上陸した。この争いの緩和のために両王家の間にまた姻威関係がつくられ、ことはさらに複雑になる。また、フランスが強国だとはいっても、前身であるフランク王国の伝統が、王の複数の息子たちに領土を分割する方式だったせいで、縁威のある大諸侯の集まりになっていた。


参考文献

ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女 竹下節子 講談社現代新書

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