大江健三郎
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2009年8月7日 (金) 20:03の版 Daijiten2009 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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- | 東京大学文学部フランス文学科卒。大学在学中の1958年、「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。サルトルの実存主義の影響を受けた作家として登場し、戦後日本の閉塞感をグロテスクな性のイメージを用いて描き、石原慎太郎、開高健とともに第三の新人の後を受ける新世代の作家と目される。その後豊富な外国文学の読書経験から難解・晦渋とも言われる独特の詩的な文体を獲得し、核や国家主義などの人類的な問題と、故郷の四国の森や知的障害のある子供(長男の大江光)という自身の体験とを重ね合わせ独自の文学世界を作り上げた。1994年ノーベル文学賞受賞。 | + | '''大江健三郎''' |
+ | 東京大学文学部フランス文学科卒業。大学在学中の1958年、『飼育』により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。「実存主義はヒューマニズムである」と提唱するサルトルに影響を受けた作家として登場し、戦後文学の旗手として活躍、現代の性や政治を取り上げた作品を著す。その後豊富な外国文学の読書経験から難解とも言われる独特の詩的な文体を獲得した。核兵器反対運動でも知られ、『ヒロシマ・ノート』(1965)を発表。一方、『個人的な体験』(1964)では、脳に障害を抱えた息子との共生を描く。これは後の創作を貫くテーマとなった。植物や木、森などの自然のイメージを含んだ「村」によって、人間の再生や救いが追求される作品には『洪水はわが魂に及び』『ピンチランナー調書』などがある。 常に時代と並走する姿勢と、小説の方法論の探究において一貫している。1994年ノーベル文学賞受賞。2005年、自身がひとりで選考委員を務める文学賞、大江健三郎賞が講談社によって創設された。また大江は、日本人論を行動が他人との関係で制限されることから「日本人は恥の文化、欧米人は罪の文化である」と特性論を説いた。 | ||
==沖縄裁判 == | ==沖縄裁判 == | ||
- | 2005年8月に梅澤裕と赤松大尉の遺族が、大江健三郎と岩波書店に名誉毀損と賠償・出版差し止めを求める裁判を起こした。 | + | 2005年8月に梅澤裕と赤松大尉の遺族が、大江健三郎と岩波書店に名誉毀損と賠償・出版差し止めを求める裁判を起こした。大江が1970年の著書『沖縄ノート』にて、赤松嘉次陸軍大尉について「渡嘉敷島民の集団自決を強要した」と断定した上、多くの誹謗中傷を書いたと訴えられたものである。 |
- | 大江が1970年の著書『沖縄ノート』にて、赤松嘉次陸軍大尉について「渡嘉敷島民の集団自決を強要した」と断定した上、多くの誹謗中傷を書いたと訴えられたものである。 | + | しかし大江は、『沖縄ノート』には2者の名前はないこと(これは原告も認めている)、「罪の巨塊」という表現で沖縄戦での日本政府・軍の責任を批判したものであり、名誉毀損ではないと反論している。判決が2008年3月に下され、原告の請求が棄却された。 |
- | しかし大江は、『沖縄ノート』には2者の名前はないこと(これは原告も認めている)、「罪の巨塊」という表現で沖縄戦での日本政府・軍の責任を批判したものであり、名誉毀損ではないと反論している。また執筆のソースとなったのは沖縄タイムス社の『鉄の暴風』であり、執筆当時として信頼に当たるものだし、本人も体験者の話を聞いた上で書いたと述べている。 | + | |
- | 1審・2審とも原告の請求が棄却され、原告側は上告する方針を示している。 | + | |
+ | ==主な作品 == | ||
+ | '''<短編小説>''' | ||
- | ==作品の映画化 == | + | 死者の奢り 飼育 動物倉庫 見るまえに跳べ 奇妙な仕事 |
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+ | 取り替え仔<チェンジリング> 個人的な体験 芽むしり仔撃ち 万延元年のフットボール 宙返り | ||
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われらの時代 (1959) 監督:蔵原惟繕 | われらの時代 (1959) 監督:蔵原惟繕 | ||
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静かな生活 (1995) 監督:伊丹十三 音楽:大江光 | 静かな生活 (1995) 監督:伊丹十三 音楽:大江光 | ||
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<参考文献> | <参考文献> | ||
- | 作家はこのようにして生まれ、大きくなった 黒古一夫 河出書房新社 2003 | + | |
+ | 「作家はこのようにして生まれ、大きくなった~大江健三郎伝説~」 黒古一夫 2003、河出書房新社 | ||
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+ | http://www.cogito-kobo.net/OeKenzaburoTop.html |
最新版
大江健三郎
東京大学文学部フランス文学科卒業。大学在学中の1958年、『飼育』により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。「実存主義はヒューマニズムである」と提唱するサルトルに影響を受けた作家として登場し、戦後文学の旗手として活躍、現代の性や政治を取り上げた作品を著す。その後豊富な外国文学の読書経験から難解とも言われる独特の詩的な文体を獲得した。核兵器反対運動でも知られ、『ヒロシマ・ノート』(1965)を発表。一方、『個人的な体験』(1964)では、脳に障害を抱えた息子との共生を描く。これは後の創作を貫くテーマとなった。植物や木、森などの自然のイメージを含んだ「村」によって、人間の再生や救いが追求される作品には『洪水はわが魂に及び』『ピンチランナー調書』などがある。 常に時代と並走する姿勢と、小説の方法論の探究において一貫している。1994年ノーベル文学賞受賞。2005年、自身がひとりで選考委員を務める文学賞、大江健三郎賞が講談社によって創設された。また大江は、日本人論を行動が他人との関係で制限されることから「日本人は恥の文化、欧米人は罪の文化である」と特性論を説いた。
沖縄裁判
2005年8月に梅澤裕と赤松大尉の遺族が、大江健三郎と岩波書店に名誉毀損と賠償・出版差し止めを求める裁判を起こした。大江が1970年の著書『沖縄ノート』にて、赤松嘉次陸軍大尉について「渡嘉敷島民の集団自決を強要した」と断定した上、多くの誹謗中傷を書いたと訴えられたものである。 しかし大江は、『沖縄ノート』には2者の名前はないこと(これは原告も認めている)、「罪の巨塊」という表現で沖縄戦での日本政府・軍の責任を批判したものであり、名誉毀損ではないと反論している。判決が2008年3月に下され、原告の請求が棄却された。
主な作品
<短編小説>
死者の奢り 飼育 動物倉庫 見るまえに跳べ 奇妙な仕事
<長編小説>
取り替え仔<チェンジリング> 個人的な体験 芽むしり仔撃ち 万延元年のフットボール 宙返り
<映画化された作品>
われらの時代 (1959) 監督:蔵原惟繕
偽大学生 (1960) 監督:増村保造
飼育 (1961) 監督:大島渚
静かな生活 (1995) 監督:伊丹十三 音楽:大江光
<参考文献>
「作家はこのようにして生まれ、大きくなった~大江健三郎伝説~」 黒古一夫 2003、河出書房新社