UNHCR

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 UNHCR執行委員会加盟76か国、執行委員会は毎年10月、ジュネーブにて開催される。 本部はジュネーブ(スイス)。主な部門は  UNHCR執行委員会加盟76か国、執行委員会は毎年10月、ジュネーブにて開催される。 本部はジュネーブ(スイス)。主な部門は
 ・高等弁務官官房  ・高等弁務官官房
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 ・監察官  ・監察官

2009年8月9日 (日) 03:36の版

The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees (UNHCR) 国連難民高等弁務官事務所のこと。 UNHCRは世界各地にいる難民の保護と支援を行なう国連機関である。 UNHCRは国連総会によって創設され、1951年にスイスのジュネーブを拠点に活動を開始した。

組織構成


 UNHCR執行委員会加盟76か国、執行委員会は毎年10月、ジュネーブにて開催される。 本部はジュネーブ(スイス)。主な部門は  ・高等弁務官官房  ・監察官


 ・対外総局


 ・国際保護総局


 ・事業総局


   - アフリカ局


   - 南北アメリカ・カリブ局


   - ヨーロッパ局


   - アジア局


   - 中東・北アフリカ局


 ・資源管理総局 など


 ・現地事務所:116か国、267か所(本部を含む:2008年4月現在)

職員数 本部と現地事務所合わせて6500人


支援対象者


 当初は第二次世界大戦後の後遺症がまだ残るヨーロッパにおいて、100万人以上の難民の援助を行なっていた。 その後数十年間、世界各地で国を追われた人々が増えるにつれ、暫定機関であったUNHCRは、その存続期間を5年ごとに延長してきた。 2003年12月、国連総会はその存続期限を撤廃することを決定し、UNHCRは難民問題が解決するまでの恒久的機関となった。 UNHCRの支援対象者は2008年初めには世界中で3170万人にもおよび、難民(2007年の990万人に比べ2008年には1140万人に)とUNHCRの保護対象となっている国内避難民(2007年の1280万人に比べ2008年には1370万人に)の両方の数に増加が見受けられる。 UNHCRにとって支援対象者は難民だけではなく、庇護希望者や帰還民、無国籍者、さらに約2600万人にも及ぶと推定される国内避難民の一部も含まれる。


UNHCRの任務


 UNHCRの最も重要な任務は、難民を国際的に保護することとして知られているが、それは難民の基本的人権の尊重を確保するということである。 それには難民が庇護を求める可能性や、誰も迫害の恐れのある国に自分の意思に反して送還されないということを保障することも含まれる。 UNHCRは難民に関する国際的な諸規定の批准を促進し、国際法の遵守を監督する一方、故郷を追われた人々に対して食糧や水、住居、医療支援などの物的支援も行っている。


UNHCRの前身ナンセンの貢献


 国際連盟時代、初代の難民高等弁務官にフリチョフ・ナンセンが任命された。 難民問題におけるナンセンの功績のうち最大のもののひとつが、第一次庇護国からさらに移動するための「ナンセン旅券」の交付であった。 ロシア革命によって国外に脱出した人々のほとんどは国籍を失い、有効な旅券を所持していなかった。 このため、しばしば不法入国者として拘禁されたり、入国を拒否されたり、国外に追放されたりということが起こり、希望する国への滞在、通過、基本的人権の享受、社会保障の対象、労働ビザの取得に大きな障害となった。 ナンセンはこの問題を解決して難民の庇護と外国での自立促進を図るべく国際会議の開催に努め、ロシアからの難民に対して制限つきではあったが、一定の身分証明書の発給が決議された。 後に、国際連盟理事会で承認されたこの身分証明書をナンセン旅券という。これによって150万のロシア難民が20カ国に分散して定住することができた。


移り変わるUNHCRの役割


 UNHCRの設立から半世紀の間に、難民や避難民を生み出す難民化の力学は大きく変化した。 同様に、こうした難民化の問題に対する国際社会の対応も大きく変わった。 UNHCRは初期において、ヨーロッパにおける難民を対象として活動し、東西冷戦の中で発展した。 その後、国際社会が民族解放戦争によって生じた難民への連帯を強めたこともあり、UNHCRは植民地独立の過程で大きな役割を果たすようになった。1970年代と80年代には、超大国同士の政治的・軍事的な膠着状態から、その敵対関係が破壊的な代理戦争に転嫁されたため、何百人もの難民が生み出された。中には10年、20年と続く難民生活を強いられる人もいて、UNHCRは多数の難民ニーズにこたえるため、その活動を質・量ともに劇的に拡大させた。 1990年代初めに東西対決の構図が終わりを迎えると、UNHCRが活動する世界は再び根底から変えられた。代理戦争は終わったが、超大国の後ろ盾がなくなっても続く戦争もあった。 そして宗教や民族、国籍、人種、言語、地域といった、人々のアイデンティティにまつわる紛争が増えた。これらの紛争は国境を越えるよりはむしろ、国境の内側で発生した。 また、紛争はしばしば、他国に在住する民族や宗教が同じ人々の関与によって、さらに複雑なものになった。 こうした紛争はもはや世界規模の地政学的覇権争いには関係がなくなったため、自らの国益と無縁だと見る大国からは、暴力や迫害によって土地を追われる人々の多くが無視されるようになった。 このような危機に対処するUNHCRの役割と責任は1990年代を通じて大きく変化した。 この傾向は、UNHCRが21世紀の様々なチャレンジ、難題に対処しようとすれば、間違いなく続くものであろう。


参考文献


 国際難民高等弁務官事務所  世界難民白書:人道行動の50年史

    吹浦忠正  難民:世界と日本  日本教育新聞社


 UNHCRホームページ  http://www.unhcr.or.jp/


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