エミール

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2009年8月10日 (月) 01:03の版
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 フランスの思想家、小説家ジャン・ジャック・ルソーの作品。副題「教育について」が示すように、ルソーの教育論と考えられているが、もっと広く、ルソーの人間観、社会観を全面的に展開した代表作の一つ。1762年刊。作品は5編からなり、第1編は5、6歳まで、第2編は12歳まで、第3編は15歳まで、第4編は20歳まで、第5編は結婚まで。主人公エミールの誕生から結婚までを通して、人間のもって生まれた資質を保ちながら、それぞれの時期の身体と知性と心の発達の調和を図り、社会生活に備え、幸福な人生を追求する。第4編には「サボワ助任司祭の信仰告白」が含まれている。これは、自然の調和と美を根拠とする道徳、宗教論であり、一種の理神論が展開されている。その内容は、当時のカトリック、プロテスタント教会の教義と相いれず、作品が禁書の処分を受ける原因となった。また第5編には女性教育論があり、女性は子供を育て、家を守るべきだという、19世紀以降の主流を占める女性観が述べられており、ルソーはその源流に位置している。『エミール』は、日本でも明治以来多くの影響を教育界に及ぼしてきている。  フランスの思想家、小説家ジャン・ジャック・ルソーの作品。副題「教育について」が示すように、ルソーの教育論と考えられているが、もっと広く、ルソーの人間観、社会観を全面的に展開した代表作の一つ。1762年刊。作品は5編からなり、第1編は5、6歳まで、第2編は12歳まで、第3編は15歳まで、第4編は20歳まで、第5編は結婚まで。主人公エミールの誕生から結婚までを通して、人間のもって生まれた資質を保ちながら、それぞれの時期の身体と知性と心の発達の調和を図り、社会生活に備え、幸福な人生を追求する。第4編には「サボワ助任司祭の信仰告白」が含まれている。これは、自然の調和と美を根拠とする道徳、宗教論であり、一種の理神論が展開されている。その内容は、当時のカトリック、プロテスタント教会の教義と相いれず、作品が禁書の処分を受ける原因となった。また第5編には女性教育論があり、女性は子供を育て、家を守るべきだという、19世紀以降の主流を占める女性観が述べられており、ルソーはその源流に位置している。『エミール』は、日本でも明治以来多くの影響を教育界に及ぼしてきている。
 + 『エミール』の中でルソーは、「人は子ども時代というものを知らない。…いつも子どもを大人に近づけることばかりに夢中になり、大人になるまでの子どもの状態がどのようなものであったかを考えようとはしない」と述べている。
-参考文献 
 +・子どもは小さな大人ではない。
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 +・子どもには子ども時代という固有の世界がある。
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 +・子ども時代には、大人に近づけるのとは違った意味での、子ども固有の成長の論理がある。成長の論理に即して手助けすることが教育である。
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 +「子どもの発見」により、教育という活動が何なのかを明確化した。教育という活動をさらに反省することにより「教育学」が誕生する。
 +「すべてのものは、造物主の手から出たときは善であるが、人間の手の中では悪になる」
 +造物主=神の手から出たときは善であり、人間の手の中では…ということは、社会やその中の文化に染まっていくと悪になるということである。社会の不合理や不平等に対するルソーの見方がうかがえる。自然状態では善であり、必要以上の欲望を持たず生きていた。しかし、社会が進歩すると欲望が生まれ、不平等や不合理が生まれた。人間は生まれたときは善であり、成長していくと欲望が生まれ、不平等や不合理が生まれ、いつの間にか堕落していくとしている。
 + ルソーは、教育において大切なことは「消極教育の原理」であるとした。消極教育とは、子どもたちに文化や文明を教えないということである。文明や文化を教えてしまうと堕落してしまうという理由からである。文明や文化はルソーにとって人為的なものであり、人為的な作為的なものを排除し、堕落したり悪が入り込むことから子どもを守ることが正しい教育であり、そうすることで子どもの本来の善が守られると述べた。
 +
 + 「消極教育」の方法についてルソーは、「知識を与える前に、その道具である諸器官を完成させよ。感覚器官の訓練によって理性を準備する教育を消極教育と呼ぶ」(エミール)と述べている。考える力=理性を育てる前に、感覚器官をしっかり育てなさいとした。ルソーは3歳までは感覚器官を鍛え、特に身体を鍛えることを大切にしなさい、とした。15歳くらいになったら判断能力を訓練しなさいとした。ルソーが判断能力を訓練する際に大切だとしたのは実物教育である。実際にそのものをみることによって知識を得る方法である。感覚器官から情報を得て、人間の精神の中に知識を獲得させる。それが実物教育になっていく。
 +
 + 中世においては正しい知識は神からの啓示であり、感覚器官から学びとるものではなかった。感覚器官を通じて入ってきた知識は正しいとされてこなかった。
 + しかし、近代に入ってからは、感覚器官で正しい知識を得ることができるという考え方が市民権を得るようになり、それに基づいて自然世界や社会を変えることができるんだというのが近代の考えになっていった。人間の経験、感覚器官から情報・知識が得られ、そのことから人間は誰でも能力や理性を持ち、正しいことを自分で考えることができるという考え方である。
 + また、ルソーは青年期を「第2の誕生」とし、青年期の様々な悩みのことを「熱病を患ったライオンのようだ」と言った。第1の誕生が生物的な誕生であるのなら、第2の誕生は社会的な存在としての誕生であるとした。社会的な誕生の中でルソーが大切にしたのは、「利己心の克服」であった。お互いの気持ちを思いやる良心の教育が必要であるとした。ルソーは、社会としては自分の生まれ育ったジュネーブのような直接民主主義のようなお互いが知り合いであるような規模の共同体社会を考えた。
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 +参考文献
吉沢昇・為本六花治・堀尾輝久著『ルソー、エミール入門』(1978・有斐閣新書) 吉沢昇・為本六花治・堀尾輝久著『ルソー、エミール入門』(1978・有斐閣新書)
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 +参考(http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class04/rousseau.htm)

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 フランスの思想家、小説家ジャン・ジャック・ルソーの作品。副題「教育について」が示すように、ルソーの教育論と考えられているが、もっと広く、ルソーの人間観、社会観を全面的に展開した代表作の一つ。1762年刊。作品は5編からなり、第1編は5、6歳まで、第2編は12歳まで、第3編は15歳まで、第4編は20歳まで、第5編は結婚まで。主人公エミールの誕生から結婚までを通して、人間のもって生まれた資質を保ちながら、それぞれの時期の身体と知性と心の発達の調和を図り、社会生活に備え、幸福な人生を追求する。第4編には「サボワ助任司祭の信仰告白」が含まれている。これは、自然の調和と美を根拠とする道徳、宗教論であり、一種の理神論が展開されている。その内容は、当時のカトリック、プロテスタント教会の教義と相いれず、作品が禁書の処分を受ける原因となった。また第5編には女性教育論があり、女性は子供を育て、家を守るべきだという、19世紀以降の主流を占める女性観が述べられており、ルソーはその源流に位置している。『エミール』は、日本でも明治以来多くの影響を教育界に及ぼしてきている。

 『エミール』の中でルソーは、「人は子ども時代というものを知らない。…いつも子どもを大人に近づけることばかりに夢中になり、大人になるまでの子どもの状態がどのようなものであったかを考えようとはしない」と述べている。


・子どもは小さな大人ではない。

・子どもには子ども時代という固有の世界がある。

・子ども時代には、大人に近づけるのとは違った意味での、子ども固有の成長の論理がある。成長の論理に即して手助けすることが教育である。


「子どもの発見」により、教育という活動が何なのかを明確化した。教育という活動をさらに反省することにより「教育学」が誕生する。 「すべてのものは、造物主の手から出たときは善であるが、人間の手の中では悪になる」 造物主=神の手から出たときは善であり、人間の手の中では…ということは、社会やその中の文化に染まっていくと悪になるということである。社会の不合理や不平等に対するルソーの見方がうかがえる。自然状態では善であり、必要以上の欲望を持たず生きていた。しかし、社会が進歩すると欲望が生まれ、不平等や不合理が生まれた。人間は生まれたときは善であり、成長していくと欲望が生まれ、不平等や不合理が生まれ、いつの間にか堕落していくとしている。  ルソーは、教育において大切なことは「消極教育の原理」であるとした。消極教育とは、子どもたちに文化や文明を教えないということである。文明や文化を教えてしまうと堕落してしまうという理由からである。文明や文化はルソーにとって人為的なものであり、人為的な作為的なものを排除し、堕落したり悪が入り込むことから子どもを守ることが正しい教育であり、そうすることで子どもの本来の善が守られると述べた。

 「消極教育」の方法についてルソーは、「知識を与える前に、その道具である諸器官を完成させよ。感覚器官の訓練によって理性を準備する教育を消極教育と呼ぶ」(エミール)と述べている。考える力=理性を育てる前に、感覚器官をしっかり育てなさいとした。ルソーは3歳までは感覚器官を鍛え、特に身体を鍛えることを大切にしなさい、とした。15歳くらいになったら判断能力を訓練しなさいとした。ルソーが判断能力を訓練する際に大切だとしたのは実物教育である。実際にそのものをみることによって知識を得る方法である。感覚器官から情報を得て、人間の精神の中に知識を獲得させる。それが実物教育になっていく。

 中世においては正しい知識は神からの啓示であり、感覚器官から学びとるものではなかった。感覚器官を通じて入ってきた知識は正しいとされてこなかった。  しかし、近代に入ってからは、感覚器官で正しい知識を得ることができるという考え方が市民権を得るようになり、それに基づいて自然世界や社会を変えることができるんだというのが近代の考えになっていった。人間の経験、感覚器官から情報・知識が得られ、そのことから人間は誰でも能力や理性を持ち、正しいことを自分で考えることができるという考え方である。  また、ルソーは青年期を「第2の誕生」とし、青年期の様々な悩みのことを「熱病を患ったライオンのようだ」と言った。第1の誕生が生物的な誕生であるのなら、第2の誕生は社会的な存在としての誕生であるとした。社会的な誕生の中でルソーが大切にしたのは、「利己心の克服」であった。お互いの気持ちを思いやる良心の教育が必要であるとした。ルソーは、社会としては自分の生まれ育ったジュネーブのような直接民主主義のようなお互いが知り合いであるような規模の共同体社会を考えた。


参考文献 吉沢昇・為本六花治・堀尾輝久著『ルソー、エミール入門』(1978・有斐閣新書)

参考(http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class04/rousseau.htm)


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