プレートテクトニクス

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== プレートテクトニクスの証拠== == プレートテクトニクスの証拠==
 地球は、地表を覆う地殻、その下のマントル、そして中心にある核の3つに分けられる。マントルは大きくは上部マントルと下部マントルに分かれる。その上部マントルは最上層、低速度層(アセノスフェア、岩流圏)、遷移層に分けられる。下部マントルはメソスフェア(固い岩石の層)と呼ばれる。地殻とマントルの最上層を合わせてプレート(リソスフェア、岩石圏)と呼ばれる。プレートは大きく見ると十数枚に分けることができるが、それぞれのプレートは対流していると推定されるアセノスフェアの上に乗った状態になっており、アセノスフェアの対流によって、それぞれ固有の方向へ年に数センチの速さで動かされることになる。この結果、プレートどうしがぶつかり合うことになり、さまざまな変動を起こしている。  地球は、地表を覆う地殻、その下のマントル、そして中心にある核の3つに分けられる。マントルは大きくは上部マントルと下部マントルに分かれる。その上部マントルは最上層、低速度層(アセノスフェア、岩流圏)、遷移層に分けられる。下部マントルはメソスフェア(固い岩石の層)と呼ばれる。地殻とマントルの最上層を合わせてプレート(リソスフェア、岩石圏)と呼ばれる。プレートは大きく見ると十数枚に分けることができるが、それぞれのプレートは対流していると推定されるアセノスフェアの上に乗った状態になっており、アセノスフェアの対流によって、それぞれ固有の方向へ年に数センチの速さで動かされることになる。この結果、プレートどうしがぶつかり合うことになり、さまざまな変動を起こしている。
- 1950年代に入ってから、地球物理学の分野で各大陸の岩石に残る古地磁気を比較することで、磁北移動の軌跡を導き出し、その考察の結果を受けて、海洋底拡大説を基に、大陸移動説のプレートの概念を導入して体系化されていった。+ 1950年代に入ってから、地球物理学の分野で各大陸の岩石に残る古地磁気を比較することで、磁北移動の軌跡を導き出し、その考察の結果を受けて、海洋底拡大説をもとに、大陸移動説のプレートの概念を導入して体系化されていった。
 海嶺はプレートが生産され左右に広がっている場所であるが、海嶺周辺の地磁気を調査したところ、数万年毎に発生する地磁気の逆転現象が海嶺の左右で全く対称に記録されており、海嶺を中心として地殻が新しく生産されている証拠とされた。一方の海溝では、日本海溝に第一鹿島海山が沈み込んでいる様子なども観察されている。またこれら地学的な現象のみならず、陸上古生物の分布状況なども、「大陸が動いて離合集散した」状況証拠とされている。  海嶺はプレートが生産され左右に広がっている場所であるが、海嶺周辺の地磁気を調査したところ、数万年毎に発生する地磁気の逆転現象が海嶺の左右で全く対称に記録されており、海嶺を中心として地殻が新しく生産されている証拠とされた。一方の海溝では、日本海溝に第一鹿島海山が沈み込んでいる様子なども観察されている。またこれら地学的な現象のみならず、陸上古生物の分布状況なども、「大陸が動いて離合集散した」状況証拠とされている。

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 大陸移動、海洋底拡大を経て新しい地球観が生まれた。それは地球の表面が十数枚の硬い岩盤(プレート)で覆われており、それぞれのプレートが1年に数センチの速さで移動しているというものである。この考えをプレートテクトニクスという。海底下の上部はいくつかのプレートに分かれており、このプレートがゆっくり移動していて、海溝で海底下深く沈み込んでいくことはよく知られているが、この海底の移動については古くはウェーゲナーの大陸移動説があり、これが近年の自然科学の進展にともなってプレートテクトニクスになった。


大陸移動説

 大陸が地球表層を移動するという考えは17世紀頃から出されていたが、1910年代にドイツのウェーゲナーの論文が出版されて有名になる。ウェーゲナーの考えは、南アメリカ大陸とアフリカ大陸が昔は一つの大陸であったがその後少しずつ東西に移動・分裂して現在のようになったというもの。この考え方の根拠としては、両大陸の海岸線の形を無理なくつなぎ合わせることが出来ること、地質構造や氷河の痕跡、化石等の分布もつなぎ合わせることができること等である。しかし、当時の知識ではこの大陸を移動させる原動力が不明であったため、ウェーゲナーのこの説は学会の定説にはならなかった。ところが、1950年代になってから海底の地磁気に関する調査が進むにしたがって大陸はやはり移動していると考えられるようになり、1960年代に入ってプレートテクトニクスという理論が生まれた。


プレートテクトニクスの証拠

 地球は、地表を覆う地殻、その下のマントル、そして中心にある核の3つに分けられる。マントルは大きくは上部マントルと下部マントルに分かれる。その上部マントルは最上層、低速度層(アセノスフェア、岩流圏)、遷移層に分けられる。下部マントルはメソスフェア(固い岩石の層)と呼ばれる。地殻とマントルの最上層を合わせてプレート(リソスフェア、岩石圏)と呼ばれる。プレートは大きく見ると十数枚に分けることができるが、それぞれのプレートは対流していると推定されるアセノスフェアの上に乗った状態になっており、アセノスフェアの対流によって、それぞれ固有の方向へ年に数センチの速さで動かされることになる。この結果、プレートどうしがぶつかり合うことになり、さまざまな変動を起こしている。  1950年代に入ってから、地球物理学の分野で各大陸の岩石に残る古地磁気を比較することで、磁北移動の軌跡を導き出し、その考察の結果を受けて、海洋底拡大説をもとに、大陸移動説のプレートの概念を導入して体系化されていった。  海嶺はプレートが生産され左右に広がっている場所であるが、海嶺周辺の地磁気を調査したところ、数万年毎に発生する地磁気の逆転現象が海嶺の左右で全く対称に記録されており、海嶺を中心として地殻が新しく生産されている証拠とされた。一方の海溝では、日本海溝に第一鹿島海山が沈み込んでいる様子なども観察されている。またこれら地学的な現象のみならず、陸上古生物の分布状況なども、「大陸が動いて離合集散した」状況証拠とされている。


プリュームテクトニクス

 1990年に入ってから、これまでのプレートテクトニクスでは説明できなかった、前節の問題点を説明する理論が現れた。これはプリュームテクトニクスと呼ばれている。  1980年代以降、地震波による断面図によりマントル内に大規模な下降流と上昇流が発見され、それぞれスーパーコールドプリューム、スーパーホットプリュームと名付けられた。スーパープリュームの下降・上昇によって地球内部では1~4億年周期で全地球的な対流が起こっていると考えられ、このことが大陸の誕生・分裂、地表の環境さらには生物の進化や絶滅に多大な影響を与えていることが判明しつつある。


参考文献

発行者 星沢哲也 『地理資料B』 東京法令出版 

http://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/sec4.1.html

http://georoom.hp.infoseek.co.jp/7old/3litho/16platetectonics.htm


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