カリフォルニア州のチャータースクール

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2010年2月10日 (水) 18:47の版
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-''②結果責任''+②結果責任
・ 生徒の学習環境を改善すること ・ 生徒の学習環境を改善すること
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'''成立過程''' '''成立過程'''
- それまでの公立の資金を私立に横流しするとして反対の強いバウチャーの代案として、1992年2月11日カリフォルニア州上院(ハート案)、下院(イースティン案)から2つのチャーター・スクール法案が出される。+ それまでの公立の資金を私立に横流しするとして反対の強いバウチャーの代案として、1992年2月11日カリフォルニア州上院(ハート案)、下院(イースティン案)から2つのチャーター・スクール法案が出される
   
 両案共通の考え方としては、「学区の教育委員会の許可があれば、父母や教員や団体は自前の学校をつくり、カリキュラム、規則、就業時間、雇用者、予算の使い道を自主的に決め、学区の管轄外で独立運営してよい」としていた。また、生徒のニーズに合うプログラムの作成を認めている点や、チャーター・スクールの上限を州に100校までとする点は共通していた。  両案共通の考え方としては、「学区の教育委員会の許可があれば、父母や教員や団体は自前の学校をつくり、カリキュラム、規則、就業時間、雇用者、予算の使い道を自主的に決め、学区の管轄外で独立運営してよい」としていた。また、生徒のニーズに合うプログラムの作成を認めている点や、チャーター・スクールの上限を州に100校までとする点は共通していた。
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 相違点としては開校に必要な同意数、認可のシステム、開校の優先順位、入学者の居住範囲、教員の雇用条件などがあった。  相違点としては開校に必要な同意数、認可のシステム、開校の優先順位、入学者の居住範囲、教員の雇用条件などがあった。
- 1992年9月21日、ピート・ウィルソン州知事は認可条件のゆるい、両党の妥協案となるハート案を採用し、チャーター・スクール法が制定された。+ 1992年9月21日、ピート・ウィルソン州知事は認可条件のゆるい、両党の妥協案となるハート案を採用し、チャーター・スクール法が制定された。

2010年2月10日 (水) 18:49の版

 カルフォルニア州はミネソタ州に次ぎ、全米で2番目にチャーター・スクール法が制定された州であり、現在最もチャーター・スクールの多い州である。  1992年にチャーター・スクール法が制定され、6年後1998年末時点でチャーター・スクール数は130校を超え、2003年には全米60万人のチャーター・スクール在籍者の4分の1がカリフォルニア州で占められた。また、公立校に比べ、貧困層・低学力の学生が多い、教員免許取得者が少ない、予算的に冷遇されているなどの悪条件にもかかわらず、普通の公立校と同等の実績を挙げるに至っている。  2009年末同州のチャーター・スクール数は860校となっている。


特徴的な内容

①普通の公立校と違う権利

・ 教育目標、カリキュラム、教育方針、評価方法、学年カレンダー、時間割、学校行事を自主的に決める。

・ 無資格教員をふくめ、スタッフの雇用を自主的に決める。

・ 入学者を自主的に選抜する

・ 支出内容を自主的に決定する


②結果責任

・ 生徒の学習環境を改善すること

・ 低学力の生徒に対する学習機会を増大させること

・ 父母の(転校に関する)選択権を保障すること

・ 行政の監視権利を保持すること


成立過程

 それまでの公立の資金を私立に横流しするとして反対の強いバウチャーの代案として、1992年2月11日カリフォルニア州上院(ハート案)、下院(イースティン案)から2つのチャーター・スクール法案が出される    両案共通の考え方としては、「学区の教育委員会の許可があれば、父母や教員や団体は自前の学校をつくり、カリキュラム、規則、就業時間、雇用者、予算の使い道を自主的に決め、学区の管轄外で独立運営してよい」としていた。また、生徒のニーズに合うプログラムの作成を認めている点や、チャーター・スクールの上限を州に100校までとする点は共通していた。

 相違点としては開校に必要な同意数、認可のシステム、開校の優先順位、入学者の居住範囲、教員の雇用条件などがあった。

 1992年9月21日、ピート・ウィルソン州知事は認可条件のゆるい、両党の妥協案となるハート案を採用し、チャーター・スクール法が制定された。


制定結果

チャーター・スクールをつくりやすい内容だったこと、両党の支持を受けていることから、 1993年最初のサン・カルロス・エレメンタリー・スクールができてからすぐに100校ができる。そのため、100校の上限撤廃の動きが盛んになり、消極的だった州議会も1998年4月30日上限撤廃を可決し、同年末には130校を超え、現在も数は増え続けている。


参考文献

チャーター・スクール アメリカ公教育における独立運動 鵜浦裕 勁草書房 http://www.cmr.sfc.keio.ac.jp/cs/3-3.htm http://onuma.cocolog-nifty.com/blog2/cat5267587/index.html


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