ヴァルター・ベンヤミン
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2010年7月2日 (金) 20:43の版
ヴァルター・ベンヤミン(1892年7月15日-1940年9月26日)はドイツ生まれの評論家。フランクフルト学派の一人。ユダヤ系。
1892年にユダヤ人の裕福な家庭に生まれる。
1902年にギムナジウム(高等中学校)に入学。しかし病弱や学校の厳しい規則に馴染めなかったために1905年、両親に転地療養として教育施設に送られ一年卒業が遅れる。この教育施設においてこの学園を運営するグスタフ・ヴィネケンから多大な影響を受ける。
1912年にフライブルク大学に入学するも翌年、ベルリン大学へ転入。この頃、学生組織「談話室」を友人らと作ったが政治と密着するか離れるか内紛がおこり離れる側であったベンヤミンは脱退。(当時は第一次世界大戦間近であり青年運動の組織は政治と密着しやすかったが、ベンヤミンはあくまでも純粋な青年運動の組織として運営を行いたかった。)この争いが行われていた最中に自由主義的な理想をかかげる「自由学生連合」の議長に選出。しかしここでも政治との密着は避けることができなかった。