大北方戦争
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大北方戦争
大北方戦争(1700~1721年)とは、モスクワ大公国、デンマーク、ポーランドの同盟諸国とスウェーデンとの間で1700年から1721年の21年間にわたって行われた戦争である。
この戦争はスウェーデン王カール12世とロシア皇帝ピョートル1世との一騎打ちであったといわれ、のちに文化人や軍人の研究材料としてとりあげられている。ヴォルテールやクラウゼヴィッツによるものが有名である。
原因
当時スウェーデンは三十年戦争後に締結したウェストファリア条約によってバルト海南岸と大河川の河口域を手に入れ、ズンド海峡の制海権をデンマークから得ることによって強国の一員となっていた。 欧州列強はスウェーデンを挙って味方につけようとしたが、それと同じく急激に成長したスウェーデンに対して脅威を感じる国も多かった。 それらの反スウェーデンの国々(デンマーク、ロシア、ポーランド)によって組まれた同盟が反スウェーデン同盟(北方同盟)である。 開戦の直接の原因となったのは1697年にスウェーデン王であるカール11世が没し、わずか15歳にも満たないカール12世が後を継いで即位したことである。 このカール12世は若年であるうえに国会議事堂の中で兎を追いかけたりといった奇行が多く、反スウェーデン同盟の三国はこれを好機とばかりにスウェーデン領の分割を考案した。
これに対してカール12世は開戦を決意し、1700年のナルヴァの戦いをはじめとして第北方戦争がはじまった。
経過
戦争前期まではスウェーデンが圧倒し1706年までの戦闘のほとんどに勝利し、スウェーデンが北東ヨーロッパにおける覇権を握ったかと思われた。
しかし1709年のポルタヴァの戦いでロシアが形勢を逆転して以降は反スウェーデン陣営が次々と攻撃にでて、1721年のニスタット条約とストックホルム条約の締結によって大北方戦争は終了した。
この戦争の結果、ロシアはスウェーデンのバルト海における覇権をうばいとり、ヨーロッパにおける列強の一員となった。
参考
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