十字軍
出典: Jinkawiki
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十字軍
十字軍とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教、おもにカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。一般には、キリスト教による対イスラーム遠征軍を指すが、キリスト教の異端に対する遠征軍(アルビジョワ十字軍)などにも十字軍の名称は使われている。実態は必ずしも「キリスト教」の大義名分に当て嵌まるものではなく、中東に既にあった諸教会(正教会・東方諸教会)の教区が否定されてカトリック教会の教区が各十字軍の侵略後に設置されたほか、第4回十字軍や北方十字軍などでは、正教会も敵として遠征の対象となっている。
聖地エルサレム
エルサレムという都市は古い宗教都市で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの宗教の聖地である。「旧約聖書」によると、パレスチナはユダヤ教にとって、神によって与えられた「約束の地」である。エルサレムはモーセの十戒を収める聖櫃の置かれた、その中心都市である。したがって、エルサレムはユダヤ人にとって最も大切な聖地である。また、この地はキリストが処刑され、埋葬され、再生したとされる場所である。キリスト教徒にとっても、エルサレムはキリストの墓とその教会「聖墳墓教会」のある、犯すべからざる空間である。一方、イスラム教にとって、エルサレムはムハンマドが天馬にのってメッカから来訪し、昇天した地である。彼がそこから昇天したとされる岩は、「旧約聖書」とも無関係ではない。アブラハムが神への犠牲として息子のイサクを縛りつけた岩ともいわれるからである。その岩の上に、イスラム教の象徴ともいえる「岩のドーム」があり、それと隣接して壮麗なアル・アクサモスクが設置されている。それゆえ、ここは、メッカ、メジナに次ぐ第三の聖地である。したがって、エルサレムはこの三つの、どの信仰の持ち主にとっても神聖な場所である。
第一回十字軍
1096~1099年。軍隊のうち最初にアナトリア(現、トルコ)に入った集団は災難に見舞われた。この「民衆十字軍」は、貧しい農民や騎士、狂信的な信者などからなる、みすぼらしい無秩序な集団で、カリスマ的な説教師で隠者のピエールに率いられていた。軍事的な規律を欠き、宗教的な熱狂に我を忘れた人々の群れは、セルジューク・トルコの領内に入るや殺された。その後に続いた本隊は、諸侯の軍団で編成され、北フランスのフランク族の勢力が中心の、はるかに職業的な軍隊だった。彼らは陸路、荒れ果てた土地を越え、1098年、守りを固めたシリアの都市アンティオキアを攻略した。その翌年、十字軍はエルサレムに到着し、エルサレムは長い包囲戦のすえ陥落した。場内に入った兵士たちはイスラム教徒やユダヤ教徒をことごとく殺害した。
第二回十字軍
1145年~1149年。1144年に失ったエデッサの奪回に失敗。
第三回十字軍
1189~1192年。第三回十字軍がフランス王、イングランド王、ドイツ皇帝に率いられる。イングランド王リチャード一世がサラーフ・アッディーンと休戦協定を結ぶ。
第四回十字軍
1198年。第四回十字軍が聖地に向かわず、コンスタンティノープルでキリスト教のビザンティン帝国と戦う。
第五回十字軍
1217年~1221年。第五回十字軍がエジプトのダミエッタを占領するも、カイロに到着する前に降伏。
第六回十字軍
1228年~1229年。第六回十字軍が出発するも、フリードリヒ2世がアイユーブ朝のスルタンとエルサレムの返還を条件に10年間の休戦条約を締結し、遠征は終結。
第八回十字軍
1270年。フランス王ルイ9世が第八回十字軍で北アフリカのチュニスに向かう。聖地に向けて出帆する前に死去。 1291年。アッカーの港が陥落。聖地に残る十字軍国家が一掃される。
出典
Wikipedia 十字軍
十字軍の思想 山内進 ちくま新書
世界の歴史大図鑑 アダム・ハート=デイヴィス(総監修)樺山紘一(日本語版総監修) 河出書房新社