鎖国2
出典: Jinkawiki
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江戸幕府が封建体制強化のため、キリスト教禁止を名目に、オランダ・中国・朝鮮以外の国との貿易と日本人の海外渡航とを禁止したこと。また、それによる国際的な孤立状態。1633年から39年まで五次にわたって出された鎖国令に始まり、1853年のペリー来航まで二百余年間続いた。
<鎖国政策下で設けられ4つの対外窓口>
1639年にポルトガル人の来航を禁止した江戸幕府は、41年に平戸のオランダ商館を長崎の出島に移し、日本人との交流を制限。これにより、「鎖国体制」が完成した。鎖国政策のもとでの主な対外窓口となった長崎では、オランダの他にも、中国商船が来航し、幕府はこれを歓迎した。幕府は17世紀半ばに成立した清とも、国交を結ばなかったが、民間の中国商人には長崎の貿易が許された。一方、豊臣秀吉の朝鮮出兵以来交流の途絶えていた、朝鮮とは、対馬藩の宗氏を通じて国交回復を図り、以後対馬藩は朝鮮との貿易を独占した。このほか、1609年に琉球王国を支配下に置き、中国との朝貢貿易を行わせその利益を享受した薩摩藩や、蝦夷地でアイヌでとの国交を行った松前藩も、鎖国化における少ない対外窓口であった。
<鎖国の背景>
江戸幕府は当初、大航海時代の到来でアジアに進出してきたヨーロッパ諸国と節句奥的に国交を行っていた。しかしその後、キリスト教の急激な広がりと銀の大量流出を危惧した幕府は「鎖国」へと政策を転換。窓口を限定した制限管理貿易に移行した。
参考・引用文献
「世界の中の日本史」成美堂出版
http://note.masm.jp/%BA%BF%B9%F1/
投稿者:M