蝦夷3
出典: Jinkawiki
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・松本建速 2006 『蝦夷の考古学』 同成社 | ・松本建速 2006 『蝦夷の考古学』 同成社 | ||
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2011年2月2日 (水) 20:58の版
蝦夷(えみし)は、日本列島の東北地方に住み、ヤマト政権に服属しなかった部族のことである。
「蝦夷」、および「蝦夷2」との内容の重複をなるべく避けるため、本項では、「蝦夷」という表記の由来と、蝦夷の戦闘能力について言及する。
目次 |
「蝦夷」という表記の由来
「蝦夷」以前の表記
478年に武が宋の順帝に奉った倭王武の上表文において、「毛人」という表記が最初にみられるが、「エミシ」にあたる漢字は、「蝦夷」以前は「毛人」という表記であった。「毛人」とは、7世紀中期以前のヤマト政権下での呼称である。「毛人」という漢字表記について、熊谷(2004)は、「毛深い人びとであることを示そうとしたものに相違ない」(p.)という。また、『通天』という唐代の法制書にも、「鬚の長さ四尺」という彼らに関する記載がある。これらの点から、「毛人」という表記は彼らの容姿からきていると考えられる。
なお、古代の人名には、蘇我毛人(蘇我馬子の子)、小野毛人(小野妹子の子)、佐伯今毛人(東大寺の造営に尽力した人物)など、「毛人」を含むものが存在する。その点から、工藤(2001)は、もともと「エミシ」という語には、「強い人たち、恐るべき人びと、それ故にいささか敬意をはらうべき人たちというニュアンスがあった」(p.)と指摘している。
「蝦夷」表記へ
7世紀後期から、「毛人」という表記は「蝦夷」へと変わる。そこには、東アジア世界での立場を優位なものとしたい日本の思惑あった。そのために日本は、世界の中央に位置する中国に、自国の力を示してそれを認めてもらう必要があった。日本の力を認めてもらうということは、すなわち日本の天皇に高い徳があることをアピールすることである。それには、天皇を慕って朝貢する者たちの存在を示す必要があり、その存在が「エミシ」とされたのだ。
「蝦夷」と表記された理由であるが、中国では周囲の異族をその住地によって、「東夷」、「南蛮」、「西戎」、「北狄」と呼び分けていた。いわゆる「華夷思想」である。「夷」の字は、中国の東方の異族とされる「東夷」の「夷」に由来している。また「蝦」という字、これはエビのことである。中国では、エビは長いひげや、ひげが長いことのシンボルとされた。つまり、この字は彼らの容姿を形容しているといえる。このことは、上述の「毛人」という表記のもとになっていると考えられる彼らの容姿と通じる部分がある。
蝦夷の戦闘能力
古代日本には、近畿の隼人、九州の熊襲など、多種多様な民族が共存していた。中でも、中央組織に対する最大級の抵抗闘争を繰り広げていたのが蝦夷であった。彼らの高い戦闘能力の要因として、具体的に以下の2点が考えられる。
- 弓馬
『続日本後紀』に、「弓馬の戦闘は、夷獠(蝦夷)の生習にして、平民の十、その一に敵すること能わず」とあるように、蝦夷は弓馬を用いた戦いが得意であった。『通天』には、「尤も弓矢を善くす」とも記されており、蝦夷は狩猟を生業としていたことがうかがえる。また、彼らは機動力に富んだ名馬を飼育していた。馬飼が東北の風土や蝦夷の生活形態に合っていたため、それは蝦夷の重要な生業であった。狩猟と馬飼は、どちらも蝦夷の生業であり、日常生活の中で、彼らは自身の主な戦闘スタイルである弓馬のスキルを磨くことができた。
- 蕨手刀(わらびてとう)
蕨手刀は蝦夷特有の刀で、柄の頭が蕨の若芽に似ていることからこの名が付けられている。馬に乗った状態で用いられることが多いので、柄の部分に反りをもたせている。それは、真っ直ぐよりも胴のラインに合わせて多少曲がっていた方が、騎乗中でも鞘から抜きやすいからではないかと考えられる。蕨手刀は改良されるにしたがって、柄の反りがより大きくなる。これは、馬上から振り下ろす際の破壊力を増すための工夫である。刀の機能も、突くことに加えて、切るという要素が備わっていく。このように、蕨手刀には様々な工夫が施されていた。
〈引用・参考文献〉
・叶精二 1997 「エミシの村」、才谷遼編 『もののけ姫を読み解く』 ふゅーじょんぷろだくと
・工藤雅樹 2001 『蝦夷の古代史』 平凡社
・熊谷公男 2004 『蝦夷の地と古代国家』 山川出版社
・鈴木拓也 2008 『蝦夷と東北戦争』 吉川弘文館
・高橋克彦 2003 「蝦夷とはだれか」、赤坂憲雄編 『日本再考 東北ルネッサンスへの序章』 創童舎
・松本建速 2006 『蝦夷の考古学』 同成社
(HN:LUPIN)