聖武天皇
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701~756。第四十五代の天皇。在位は724年から749年。文武天皇の第一皇子。母は藤原宮子(みやこ)。名は首(おびと)。長屋王(ながやのおう)の変のあと、藤原不比等の娘光明子を皇后(光明皇后)とし、皇族から立后する慣習を破った。皇后とともに深く仏教を信じ、即位後も仏教の力によって国家を治めようとして、741年に国分寺造立の詔(みことのり)を発し、諸国に国分寺や国分尼寺を建て、743年には大仏造立の詔を発し、奈良に総国分寺としての東大寺を建立し、五丈六尺の盧 舎 那 仏(通俗的には奈良の大仏で知られる)を鋳造した。その開眼供養には、天皇自ら参列して「三宝の奴」とまで称した。また743年に墾田永年私財法を制定。各地の寺に土地を寄進したので仏教はさかえ、それにともなって美術、工芸は発達し、いわゆる天平文化をつくりあげた。天皇の在位期間は、この天平文化が最も栄えた時期にあたっている。749年、孝謙天皇に位をゆずり、出家入道して法号を勝満と称した。754年には鑑真から菩薩戒をうけた。天皇の死後、天皇が愛用した数多くの品々が光明皇后から大仏に献ぜられ、正倉院に長く保存されてきた。陵墓は奈良市佐保山南陵。
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出典
『学生世界人名事典』 教学研究社
『日本史小辞典』 角川書店
『山川日本史小辞典』 山川出版社