ソクラテス2
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哲学は、現実という見せかけの向こうに、本来あるべき「善さ」という真理を探究するのだとソクラテスは説いた。 | 哲学は、現実という見せかけの向こうに、本来あるべき「善さ」という真理を探究するのだとソクラテスは説いた。 | ||
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+ | 池田書店出版 竹田純郎監修 こんなに面白い西洋哲学(思想と哲学) |
2011年2月4日 (金) 11:41の版
目次 |
無知の知
ソフィスト(知恵のある者)とは逆にソクラテスは自分が無知だと考えた。この自覚が哲学の出発点である。
無知な者が知恵のある者と対話をするうちに知恵あるはずの者の知恵までが揺らいでくる。
「対話」という方法
対話とは原理を表す言葉(ロゴス)を、2人の人間が向き合って共同で探究することである。
お互いに向き合って批判をすることで、それまで見過ごしてきた誤りが自覚され、思考が鍛えられていく。
ものごとの「善さ」
ソクラテスは、ものごとの「善さ」を探求した。それこそが哲学であるとソクラテスは考えた。
人が「よく生きる」ためには、そもそも「善さ」について知らなくてはならない。ソクラテスは、「~である」という存在の考えを取り入れて、「善さ」とはそれが「なんであるか」のことだと考えさせた。
「善さ」を問う理由
「善さ」とは、ものごと本来の役目である。だから哲学は、ものごと本来の役目を探求する。
哲学は、現実という見せかけの向こうに、本来あるべき「善さ」という真理を探究するのだとソクラテスは説いた。
参考文献 池田書店出版 竹田純郎監修 こんなに面白い西洋哲学(思想と哲学)