オイリュトミー4
出典: Jinkawiki
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、読んだり書いたり聞いたりするよりさらに次元の深まる、全人的な行為である。 | 、読んだり書いたり聞いたりするよりさらに次元の深まる、全人的な行為である。 | ||
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2011年2月25日 (金) 15:50の版
目次 |
語源
オイリュトミーという名付け親は、シュタイナーではなく、彼と一緒にこの運動芸術の育成にあたったマリー・シュタイナー夫人だ。
オイはギリシャ語で、美しい、の意であり、リュトミー~リュトモース~と結びついて、動きが真・善・美のリズムと調和することを表す。
ある日、生徒の指導をしていたシュタイナーが、「私たちのこの動きにも、そろそろ名前がなくてはいけないね。」 というと、傍らのマリー・シュタイナー夫人が、間髪をいれずに、「オイリュトミー!」と言ったのが始まり。
オイリュトミーの始まり
第一次
オイリュトミーの教育的力
人の生命力と心の力と精神性とを調和を持って行うオイリュトミーは、本源的に教育的な芸術ともいえる。そのため、オイリュトミーは始まりの時から子供の教育と係わり、シュタイナー教育の中で中心的な役割を果たしてきた。
子供は生まれてからほぼ三歳になるまでの間に、まっすぐに立ち、言葉を覚え、そして考える力の最初の芽生えを見せる。子供のオイリュトミーでは、この三つの力を継続して育てながら、徐々に変容させていく。幼児に向かう場合、オイリュトミストは、専ら幼児の模倣しようとする意志に働きかける。小さな子どもたちは、何かを覚えこむのではなく、ひたすら楽しく動きの中に息づいていなければならない。昔話や季節のお話の世界の中で、リズムや音の身振りなどを体験していく。小学校段階になっても一年生くらいのうちはそのような気分が授業でも継続される。
オイリュトミーは、子供たちの呼吸を整え、新陳代謝を促し、両足を強くする。とりわけ現代の都会生活のようにリズムが失われ、人の生きた動きに接することが昔よりずっと少ない環境にあっては、「正しくきれいに立ち、歩き、動く」という根本的な行為を子どもが学び取るだけでも、とても大きな力が必要です。オイリュトミーの時間は、子どもの生きる意志を育む一つの大事な機会なのだ。
学童期に入った子供たちは、だんだんと模倣から自覚的な動きへ導かれる。母音、子音、まっすぐなフォルムから動き始め、次第に韻律、文法、心の様々な表情などを動きで表わすことをならう。音楽では、リズムやメロディーの基本要素から、音階、音程、長調と短調、和声の法則をもとらえていく。
子どもたちは、長い年月をかけて詩や文学、また音楽の作品を動きの中で奏でられるようになっていくのだが、それは 、読んだり書いたり聞いたりするよりさらに次元の深まる、全人的な行為である。
オイリュトミーをすることで、互いに「響きあう力」も高められ、一人ひとりが自立しながら他者と関係を作っていくという、実践的な社会性もはぐくまれる。
オイリュトミーは、最初のシュタイナー学校がドイツに誕生した時から、全学年にわたる必須科目とされた。今も、教育の中で果たすその役割は、ますます大きくなっているといってよい。
オイリュトミーは体操でも舞踊でもパントマイムでもない。オイリュトミーはしぐさの芸術のようなものであると同時に、意識の芸術でもある。このことを理解するためにには おいちゅトミーは、言葉と音調の霊的な法則と属性を、動作と仕草によって可視的に表現し、芸術体験を与えようとするものである。この芸術体験をするためには、発音されるすべての母音、子音、音節、言葉、音調、響きの根底を流れる不可視の生命現象を芸術的に体験することができる霊的な意識が必要なのである。 この主観的=客観的な体験から(見える言葉、見える歌)としてのオイリュトミーは生まれた。1912年における極めて簡単な初期形態から、マリー・シュタイナーの指導によって、オイリュトミーは、三つの方向で進展を見せた。舞台芸術として、学校教育の補助手段として、治癒オイリュトミーとして。
オイリュトミーに関する
参考文献
秦理絵子 著 「シュタイナー教育とオイリュトミー」2001年 学陽書房
高橋巌 著訳 「オイリュトミー芸術」1981年 イザラ書房
ヨハネス・ヘムレーベン アンドレイ・ベールィ 著 1987年 人智学出版社