ルワンダ内戦

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2011年8月10日 (水) 15:47の版
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ルワンダはベルギーの信託統治領から1962年に独立。独立以前から多数部族フツ族(人口の85%)と少数部族ツチ族(同14%)が共存していたが、ベルギーが統治に当たってツチ族を優遇した。独立後多数派のフツ族が政権を掌握し、少数派のツチ族を迫害する事件が度々発生していた。1990年に独立前後からウガンダに避難していたツチ族が主体のゲリラ・ルワンダ愛国戦線(RPF)がルワンダに武力侵攻し、フツ族政権との間で内戦が勃発した。1993年8月にアルーシャ和平合意が成立、国連安保理は停戦を呼びかけると同時に国連平和維持軍を派遣、停戦合意が成立、暫定政府が樹立された。しかしRPFは首都キガリで大規模な攻防戦を展開した。このため安保理は同年5月、第二次国連ルワンダ支援団(UNAMIRⅡ)の派遣を決議した。この間、大規模な虐殺が続き、死者は50万人を超え、80万人がタンザニア、ザイール(現・コンゴ民主共和国)に逃れた。7月、ほぼ全土を掌握したRPFがフツ族穏健派首班の新政権を発足させた。新政権はRPFと野党4党から成り、11月に議会を招集、大量虐殺を裁く戦犯法廷を発足させた。また国連も、国際戦争犯罪法廷をタンザニアのアルーシャに設置した。2000年3月、ツチ族出身のポール・カガメ前副大統領兼国防相が新大統領に就任した。01年、安保理の撤退決議にも関わらず、ルワンダ軍は隣国コンゴ民主共和国の内戦(コンゴ内戦)に反政府組織を支援して介入した。02年12月、ムベキ南ア大統領の介入により和平協定に調印、ルワンダ軍は撤退した。また、03年8月、大統領選挙でカガメが再選、与党RPFが圧勝した。カガメ大統領は経済再建のため欧米諸国との関係を修復し、05年9月には訪米した。しかし、隣国コンゴ北東部のフツ族難民に攻撃を仕掛ける武装勢力を支援し、コンゴとの対立は続いている。


引用文献

・『知恵蔵2011』

・ジョセフ・S・ナイ・ジュニア/デイビット・A・ウェルチ、有斐閣、『国際紛争:理論と歴史』原書第8版、2011

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