経済摩擦
出典: Jinkawiki
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輸入国政府は、調査により輸入の急増が国内産業に重大な損害を与えると判断した場合、その製品について、関税の引き上げまたは輸入制限を行なうこと。GATTやWTOでも、これを認めている。 | 輸入国政府は、調査により輸入の急増が国内産業に重大な損害を与えると判断した場合、その製品について、関税の引き上げまたは輸入制限を行なうこと。GATTやWTOでも、これを認めている。 | ||
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== 摩擦解消への道 == | == 摩擦解消への道 == | ||
+ | 経済摩擦は、日米間だけでなく、日本と韓国のニット、日本と中国の農産物やタオル製品をめぐる摩擦のように、日本とアジアの国々のあいだでもおきている。また、農産物貿易をめぐるアメリカ・カナダとEUの摩擦、ガソリンをめぐるブラジル・ベネズエラとアメリカとの紛争など、先進国・発展途上国の別なく、世界中に多くの貿易摩擦がある。1995年に発足した世界貿易機関(WTO)には、毎年多くの紛争案件がもちこまれている。これらの摩擦の処理を誤れば、世界経済に深刻な影響を与えかねない。電子取り引きの関税問題のように、情報化や科学技術の進歩で新たな摩擦になりかねない分野もある。二国間交渉だけでなく、2001年に開始が合意された新ラウンド(ドーハ-ラウンド)をとおして、世界全体で貿易や投資を円滑にすすめる公平で透明なルールづくりがのぞまれている。 | ||
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浜島書店編集部編 「最新図説 政経」 浜松書店 | 浜島書店編集部編 「最新図説 政経」 浜松書店 | ||
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+ | 大芝亮・大山礼子・山岡道男・猪瀬武則・栗原久・葦名次夫・新井明・梶ヶ谷穣・冨塚昇・宗万秀和・株式会社清水書院編集部著 「文部科学省検定済 高等学校公民科 高等学校 新政治・経済改定版」 2008 清水書院 | ||
最新版
目次 |
経済摩擦
国家間の経済的な利害対立から生じる問題のこと。国際収支、とりわけ経常収支の不均衡が摩擦を生む大きな要因となる。日本の場合、対米関係の経済摩擦では以前は個別の品目をめぐる貿易摩擦が中心であったが、今日では日本の社会制度、行政のあり方、国民の慣習などまでが対象となり、文化摩擦となっている。
貿易摩擦
貿易をめぐって生じる国家間の対立のこと。貿易収支の不均衡が大きな要因。今日の日本は、大幅な貿易収支の黒字を続けており、アメリカ合衆国だけでなくヨーロッパやアジアの国々との間で貿易摩擦が起こっている。
日米経済摩擦
日米間における、主に、日米貿易摩擦を中心とするトラブル。日米間の相互依存関係が深まっていることや、日本側の大幅貿易黒字が恒常的に続いていることから、摩擦が発生している。アメリカ合衆国側は、摩擦解消には、日本側の工業製品や農産物の輸入拡大、規制緩和、市場開放、内需拡大などが必要である、としている。
日米経済摩擦の経緯
摩擦の発生 日本は戦後の経済発展・産業構造の変化に合わせ、そのときどきにさかんに生産したものを輸出することで経済成長してきた。日本の輸出額は、70年代の10年間で約4倍となり、日本にとって最大の貿易相手国であるアメリカとの間では、日本の一方的な黒字状態が続くようになった。一方、世界的な消費市場となっていたアメリカでは、70年代後半から経常収支の赤字が定着するようになった。これらが貿易摩擦の発生につながり、80年代のアメリカのレーガン政権の、いわゆる「双子の赤字」(軍事費増大による財政赤字の拡大と経常収支の赤字)により、貿易摩擦は激化した。
日米貿易摩擦 日米貿易摩擦(個別商品摩擦)は、主に、まず対米輸出が急増し問題となり、日本側が輸出自主規制や現地生産切り替えをし、最終的には日米政府間で協定が締結されるというパターン展開してきた。貿易摩擦の対象となったのは、1950年代の綿製品、1960年代の毛・化合繊維製品、60年代後半の鉄鋼、70年代のカラーテレビ、70年代から80年代にかけては自動車へと移っていった。
日米経済摩擦(構造問題) 80年代に入ると、世界規模での経済政策調整と、日本の市場開放が問題になり始めた。1985年のプラザ合意の結果、日本は輸出が伸び悩み、いわゆる円高不況に陥った。また、円高を逆手にとった自動車企業などの海外進出により、日本国内では産業の空洞化が問題となった。しかし、それでもアメリカの対日貿易赤字は解消されなかった。そこで、80年代後半から90年代には、日本社会の経済構造が問題視されるようになり、アメリカは伝統的な日本企業の系列取り引きを批判し、閉鎖的な市場の開放を求めるようになった。
プラザ合意) 1985年、G5のアメリカ合衆国・イギリス・ドイツ・フランス・日本は、為替市場への協調介入でドル高を是正することで合意した。これを、会議場となったホテル名を付してプラザ合意という。この年、アメリカ合衆国は純債務国に転落し、貿易黒字によって経済力を強化する必要に迫られていた。
産業の空洞化) 円高の進行や、人件費の高騰に対応して、国内産業(特に製造業)が海外に進出した結果、国内産業の一つの部分がすっぽり抜けてしまうこと。そのために国内での雇用が減ったり、国内産業の衰退につながるとして心配されている。
日米摩擦の原点
世界経済が拡大を続け、各国の貿易収支の不均衡が大きくなる中で、アメリカの貿易赤字は大幅に拡大していった。アメリカの貿易赤字に占める日本のシェアは大きく、この貿易ギャップが日米摩擦を引き起こした。
次々起こる摩擦
日米貿易は、日本の黒字、アメリカの赤字という状態が長く続いている。その時代ごとに摩擦商品は変化していったが、不均衡はますます広がった。1989年には、この不均衡は日米の経済構造のちがいに原因があるとの認識から、日米構造協議が始まり、排他的取り引き慣行(建設業界の入札談合など)の是正や独占禁止法の運用強化などによる系列企業取り引きの監視などが、日本側の改善事項として合意された。そして93年からは構造問題と個別の産業分野交渉を組み合わせた日米包括経済協議が創設され、交渉が引き継がれた。
日米構造協議 1989(平成元)年から90(平成2)年に行なわれた日米貿易不均衡是正を目的とする協議。日米間の貿易摩擦を解決するためには、両国の経済構造を変化させる必要があるとして開催された。
日米包括経済協議 日米構造協議を受けて1993(平成5)年から開始された日米間の協議。構造問題と個別の産業交渉とが行なわれ、アメリカ合衆国側は日本の貿易黒字削減に数値目標を設定することなどを求めている。1995(平成7)年に自動車・同部品、96(平成8)年には半導体・保険、98(平成10)年には航空の分野で合意をみた。
日本と中国の摩擦
2001年4月、日本は中国からの安価な農産物などの急増で、国内の生産者が大きな打撃を受けたとして、ネギ・生シイタケ・イグサ(畳表)の3品目について、WTO協定で認められたセーフガード(緊急輸入制限措置)を暫定発動した。これに対して中国は、日本製品の自動車・携帯電話などに特別関税を課した。その後、日本はセーフガードを正式発動せず、中国も輸出を自主規制することなどを約束して一応の決着がはかられた。
セーフガード
輸入国政府は、調査により輸入の急増が国内産業に重大な損害を与えると判断した場合、その製品について、関税の引き上げまたは輸入制限を行なうこと。GATTやWTOでも、これを認めている。
摩擦解消への道
経済摩擦は、日米間だけでなく、日本と韓国のニット、日本と中国の農産物やタオル製品をめぐる摩擦のように、日本とアジアの国々のあいだでもおきている。また、農産物貿易をめぐるアメリカ・カナダとEUの摩擦、ガソリンをめぐるブラジル・ベネズエラとアメリカとの紛争など、先進国・発展途上国の別なく、世界中に多くの貿易摩擦がある。1995年に発足した世界貿易機関(WTO)には、毎年多くの紛争案件がもちこまれている。これらの摩擦の処理を誤れば、世界経済に深刻な影響を与えかねない。電子取り引きの関税問題のように、情報化や科学技術の進歩で新たな摩擦になりかねない分野もある。二国間交渉だけでなく、2001年に開始が合意された新ラウンド(ドーハ-ラウンド)をとおして、世界全体で貿易や投資を円滑にすすめる公平で透明なルールづくりがのぞまれている。
参考文献
政治・経済教育研究会編 「新課程用 政治・経済用語集」 2004 山川出版社
浜島書店編集部編 「最新図説 政経」 浜松書店
大芝亮・大山礼子・山岡道男・猪瀬武則・栗原久・葦名次夫・新井明・梶ヶ谷穣・冨塚昇・宗万秀和・株式会社清水書院編集部著 「文部科学省検定済 高等学校公民科 高等学校 新政治・経済改定版」 2008 清水書院
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