ロバートキャパの戦争写真
出典: Jinkawiki
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- | 今回、取り上げるロバート・キャパの報道写真は、「シャルトルにおけるドイツ協力者の母子への見せしめ」(1944年8月18日)である。 | + | 今回、取り上げるロバート・キャパの戦争写真は、「シャルトルにおけるドイツ協力者の母子への見せしめ」(1944年8月18日)である。 |
ゴシックの大聖堂で有名な聖地シャルトルで、フランスがナチス=ドイツ占領から解放されたとき、市民はドイツ軍への協力者に対して、男の場合は銃殺、女性の場合は髪を坊主にして市中引き回しという「罰」を与えた。そこには、「正義」に酔いしれる人々の歓喜の表情、「悪」とされたドイツ軍と寝た女性とその間に生まれた子供の親子の痛烈な対比が捉えられている。誰もが、この親子は20世紀の「聖母子」のようであるという印象を受け、戦争における「正義」と「勝利」の真意を考えさせる写真である。ただし、シャルトルの市民たちはこの写真によって「愚かで残酷な民衆」として、歴史に名を残すことになる。市民は見せしめの後、慈愛を示し、その女性を許し、受け入れた。 | ゴシックの大聖堂で有名な聖地シャルトルで、フランスがナチス=ドイツ占領から解放されたとき、市民はドイツ軍への協力者に対して、男の場合は銃殺、女性の場合は髪を坊主にして市中引き回しという「罰」を与えた。そこには、「正義」に酔いしれる人々の歓喜の表情、「悪」とされたドイツ軍と寝た女性とその間に生まれた子供の親子の痛烈な対比が捉えられている。誰もが、この親子は20世紀の「聖母子」のようであるという印象を受け、戦争における「正義」と「勝利」の真意を考えさせる写真である。ただし、シャルトルの市民たちはこの写真によって「愚かで残酷な民衆」として、歴史に名を残すことになる。市民は見せしめの後、慈愛を示し、その女性を許し、受け入れた。 | ||
その写真に登場する、市民、母、娘それぞれの人生を考えると、人間の限りない残酷さ、愚かさ、そして、優しさを感じさせるものである。 | その写真に登場する、市民、母、娘それぞれの人生を考えると、人間の限りない残酷さ、愚かさ、そして、優しさを感じさせるものである。 |
2013年7月16日 (火) 02:16の版
今回、取り上げるロバート・キャパの戦争写真は、「シャルトルにおけるドイツ協力者の母子への見せしめ」(1944年8月18日)である。 ゴシックの大聖堂で有名な聖地シャルトルで、フランスがナチス=ドイツ占領から解放されたとき、市民はドイツ軍への協力者に対して、男の場合は銃殺、女性の場合は髪を坊主にして市中引き回しという「罰」を与えた。そこには、「正義」に酔いしれる人々の歓喜の表情、「悪」とされたドイツ軍と寝た女性とその間に生まれた子供の親子の痛烈な対比が捉えられている。誰もが、この親子は20世紀の「聖母子」のようであるという印象を受け、戦争における「正義」と「勝利」の真意を考えさせる写真である。ただし、シャルトルの市民たちはこの写真によって「愚かで残酷な民衆」として、歴史に名を残すことになる。市民は見せしめの後、慈愛を示し、その女性を許し、受け入れた。 その写真に登場する、市民、母、娘それぞれの人生を考えると、人間の限りない残酷さ、愚かさ、そして、優しさを感じさせるものである。
森田一義
参考文献
谷澤伸、柴田博、甚目孝三、高橋和久(2005). 『世界史 図録ヒストリカ』山川出版社