冷戦3

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====冷戦とは==== ====冷戦とは====
- 冷戦とは、「冷たい戦争」とも呼ばれ、第二次世界大戦から戦後にいたる、米ソ両体制間の対立のことである。直接的な軍事衝突には至らない厳しい緊張状態を意味する。+
 + 冷戦とは、「冷たい戦争」とも呼ばれ、第二次世界大戦から戦後にいたる、米ソ両体制間の対立のことである。直接的な軍事衝突には至らない厳しい緊張状態を意味する。
核兵器を独占し軍事的優位に立ったアメリカの対ソ封じ込めに始まり、1948~1949年のソ連の核兵器開発、東欧・東アジアにおける社会主義圏の拡大で対立はいっそう激化していった。 核兵器を独占し軍事的優位に立ったアメリカの対ソ封じ込めに始まり、1948~1949年のソ連の核兵器開発、東欧・東アジアにおける社会主義圏の拡大で対立はいっそう激化していった。
====二つの世界==== ====二つの世界====
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 世界が、米・ソを中心に資本主義陣営と社会主義陣営に分裂・対立していった。  世界が、米・ソを中心に資本主義陣営と社会主義陣営に分裂・対立していった。
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====ベルリン封鎖==== ====ベルリン封鎖====
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 第二次世界大戦後のベルリンは、英・仏・米・ソによる四か国分割占領下に置かれた。1948年6月、米・英・仏が西側管理地区に限定した通貨改革を行うと、ソ連はこれをポツダム協定違反として、西ドイツ本土から西ベルリンに至る交通路を遮断した。ベルリン封鎖は1949年にソ連の譲歩によって収拾されたが、同年、東西ドイツが成立すると、両国の経済格差のために東ドイツから西ドイツに脱出する人が増加。東ドイツは、労働力不足による社会主義経済の停滞を恐れるようになった。  第二次世界大戦後のベルリンは、英・仏・米・ソによる四か国分割占領下に置かれた。1948年6月、米・英・仏が西側管理地区に限定した通貨改革を行うと、ソ連はこれをポツダム協定違反として、西ドイツ本土から西ベルリンに至る交通路を遮断した。ベルリン封鎖は1949年にソ連の譲歩によって収拾されたが、同年、東西ドイツが成立すると、両国の経済格差のために東ドイツから西ドイツに脱出する人が増加。東ドイツは、労働力不足による社会主義経済の停滞を恐れるようになった。
 その後、ソ連のフルシチョフは、1958年のベルリン中立化提案を西側が拒否した報復として、1961年8月、ベルリンの壁を構築した。しかし、真の目的は、東から西への亡命を阻止するためであり、壁を乗り越えようとする者は、容赦なく銃撃された。  その後、ソ連のフルシチョフは、1958年のベルリン中立化提案を西側が拒否した報復として、1961年8月、ベルリンの壁を構築した。しかし、真の目的は、東から西への亡命を阻止するためであり、壁を乗り越えようとする者は、容赦なく銃撃された。
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====冷戦の終結==== ====冷戦の終結====
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 冷戦は、1989年12月2日、地中海のマルタ島において、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長とが会談を行い、冷戦構造の終結を宣言し、新たな米ソ関係と世界秩序の構築を確認した。  冷戦は、1989年12月2日、地中海のマルタ島において、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長とが会談を行い、冷戦構造の終結を宣言し、新たな米ソ関係と世界秩序の構築を確認した。
 しかし、冷戦の終結は、抑え込まれてきた民族・宗教の対立を表面化させ、民族紛争が頻発する皮肉な結果を招くことにもつながってしまったのであった。  しかし、冷戦の終結は、抑え込まれてきた民族・宗教の対立を表面化させ、民族紛争が頻発する皮肉な結果を招くことにもつながってしまったのであった。

2013年8月5日 (月) 23:14の版

目次

冷戦とは

 冷戦とは、「冷たい戦争」とも呼ばれ、第二次世界大戦から戦後にいたる、米ソ両体制間の対立のことである。直接的な軍事衝突には至らない厳しい緊張状態を意味する。 核兵器を独占し軍事的優位に立ったアメリカの対ソ封じ込めに始まり、1948~1949年のソ連の核兵器開発、東欧・東アジアにおける社会主義圏の拡大で対立はいっそう激化していった。

二つの世界

 世界が、米・ソを中心に資本主義陣営と社会主義陣営に分裂・対立していった。

 資本主義陣営:アメリカ、イギリス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、カナダ、西ドイツ、ポルトガル、イタリア、デンマーク、アイスランド、スペイン、ギリシアなど。    社会主義陣営:ソ連、ブルガリア、ハンガリー、東ドイツ、ポーランド、ルーマニア、チェコスロバキア、アルバニア

ベルリン封鎖

 第二次世界大戦後のベルリンは、英・仏・米・ソによる四か国分割占領下に置かれた。1948年6月、米・英・仏が西側管理地区に限定した通貨改革を行うと、ソ連はこれをポツダム協定違反として、西ドイツ本土から西ベルリンに至る交通路を遮断した。ベルリン封鎖は1949年にソ連の譲歩によって収拾されたが、同年、東西ドイツが成立すると、両国の経済格差のために東ドイツから西ドイツに脱出する人が増加。東ドイツは、労働力不足による社会主義経済の停滞を恐れるようになった。  その後、ソ連のフルシチョフは、1958年のベルリン中立化提案を西側が拒否した報復として、1961年8月、ベルリンの壁を構築した。しかし、真の目的は、東から西への亡命を阻止するためであり、壁を乗り越えようとする者は、容赦なく銃撃された。  ベルリンの壁は、「東西冷戦の象徴」となっていったのだ。

冷戦の終結

   冷戦は、1989年12月2日、地中海のマルタ島において、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長とが会談を行い、冷戦構造の終結を宣言し、新たな米ソ関係と世界秩序の構築を確認した。  しかし、冷戦の終結は、抑え込まれてきた民族・宗教の対立を表面化させ、民族紛争が頻発する皮肉な結果を招くことにもつながってしまったのであった。


参考文献:山川出版社「世界史用語集」浜島書店「ニューステージ世界史詳覧」


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