イスラム教2
出典: Jinkawiki
2013年8月6日 (火) 00:08の版 Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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イスラム教への改宗を条件に安全を確保し、アラブ諸民族が統合された。 | イスラム教への改宗を条件に安全を確保し、アラブ諸民族が統合された。 | ||
イスラム世界はその後拡大していき猛威をふるっていたが、近世に入り次第に衰えていった。 | イスラム世界はその後拡大していき猛威をふるっていたが、近世に入り次第に衰えていった。 | ||
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- | [[「ムハンマドの死後、1世紀もしないうちに発生した争乱、スンナ派とシーア派の分離、イスラーム帝国の崩壊、その後に発生した政治的分裂」という経過をたどっていく。]] | + | |
- | また、ムハンマドは「最後で最高の預言者」とも言われている。 | + | |
最新版
イスラム教は、ムハンマド(محمد Muḥammad)によって創始された世界的宗教のうちの一つ。'契約'による緩やかな統一で比較的寛容な宗教である。 ムハンマドはメッカの商業貴族、クライシュ族のハシーム家出身で、隊商貿易に従事してユダヤ教やキリスト教に触れたと言われている。 610年頃、アッラーの啓示を受けイスラム教を創始した。(なお、ムハンマドは神の啓示を受けた'預言者'、文字通り'言葉を預かる者'であり、神ではない。) ムハンマドはメッカで布教したが保守的な住民による迫害が行われ、ヤスリブへと聖遷(ヒジュラ)した(622年)。 ヤスリブでは宗教的指導者として招かれ、以後ヤスリブはその都市名を'預言者の町'という意味の「メディナ」に改称した。 その後メッカを征服し、アラビア半島を統一した。 イスラム教への改宗を条件に安全を確保し、アラブ諸民族が統合された。 イスラム世界はその後拡大していき猛威をふるっていたが、近世に入り次第に衰えていった。
目次 |
イスラム教の特徴
- 唯一神アッラーへの絶対帰依(このことを「イスラーム」と呼ぶ)
- 六信…アッラー、天使、経典(コーラン)、ジハード、来世、天命を信じること。
- 五行…信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼を行うこと。
補足:巡礼は民族・貧富の差を超えて同じ目的で同じ儀式に参加することであるが、これは神の前での人々の平等を表す意味がある。ただし、絶対守るべき義務とされているわけではない。
- 聖戦(ジハード)…イスラム世界拡大または防衛のための戦い。しかし原義は「神の道のために努力する」というものであり、異教徒との戦いだけを指すわけではない。個人の内面の悪や不正義と闘うこともジハードである。
補足:聖戦はムハンマドの死後、イスラム教徒が共同体の指導者として選出したカリフによって推進されていた。この領地拡大によって、イスラム教徒間の対立は大きくなっていった。
- その他…豚を食べることの禁止、飲酒の禁止など
- 神の前の平等…聖職者の存在を認めない。このためイスラーム教を教え導くのは、ウラマーと呼ばれるイスラ―ム知識人である。
- イスラーム法(シャリーア)…個人の内面的生活から社会、国家の在り方まで含む宗教法。
- 旧約聖書、新約聖書はイスラム教に先立つ神の啓示の書とされ、キリスト教、ユダヤ教は「啓典の民」といって他の異教徒より優遇され、税を払えば信仰の自由や自治が認められていた。
- アラブの統治は異民族・異教徒に寛容で「コーランか、貢納か、剣か」という言葉に代表されるように征服のための戦いは最終手段であった。
- 聖典コーランはアラビア語で書かれ、他の言語に訳するのを禁じたため信者はアラビア語でコーランを読めなければいけない。
イスラム教の宗派
大きく分けて多数派のスンナ派、少数派のシーア派に分かれる。 シーア派とは、第四代カリフのアリーとその子孫のみを正当なカリフと認める少数派(約10%)で、主にイラン地方中心である。 スンナ派(スンニ派ともいう)はムスリムの約9割を占める多数派で、正統カリフ以下の全てのカリフを認める。コーラン・スンニ(ムハンマドの言行にもとづく模範・先例・行為規範)を重視する。 この二つの宗派は宗教上の実践では大差がない。 また、日本におけるイスラム教のネガティブなイメージは、第二次世界大戦後興ったイスラム復興運動(イスラム原理主義)の中でも過激派のテロ活動などによる。しかし、イスラム原理主義が必ずしも過激派なわけではなく、正当な政治参加を目指す組織もある。
イスラム教と女性
現代ではイスラム圏での女性差別は深刻な問題として議論されている。 しかし、もともとは女性というのは弱く守られるものとしてイスラーム法にも規定してある。 男尊女卑だと誤解を招きやすい一夫多妻制でも、もともとは弱者救済の意味を持っている。例えば、妻を扶養する力の無い男性・平等に愛せない男性は複数の妻を持てないとされている。しかし、若さを失った女性は性的な価値が減るからという男性本位の性欲充足手段として一夫多妻がとらえられているという側面もある。 また、女性の服装問題や、主に強姦罪においての女性の圧倒的不利など国際的に批判されている問題もまだまだある。
イスラム文化
契約の重要性・相互の信義を重視している。生活面では、豚肉を食さないことが挙げられる。宗教的な面においては、コーランを神の言葉そのものと称し唯一の統一的な聖典としている。聖俗の区別はない。偶像崇拝を禁じている。イスラム教には、神と人は上下の遠い関係にあり、神は預言者を通して人に直接語りかける、という考えがある。
補足:生活面でのムスリムが守るべき義務として有名なのが、左手は用便の時に後始末をするのに使われる不浄な手であり、普段は物の受け渡しに使ってはいけないという決まりである。このように、「イスラム」とは神への絶対的帰依を意味しているので、神の命令に従い正しく生活するために具体的な生活規範まで示されているのである。
参考文献(補足部分) 『一冊でわかるイスラーム マリーズ・リズン』 訳菊池 達也、解説山内 昌之 2004年3月23日発行 発行所岩波書店
『物語・世界史への旅』 大江 一道、山崎利男 1981年8月 発行所山川出版社