インディアン3
出典: Jinkawiki
2014年7月28日 (月) 20:26の版 Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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②カナダ政府は、これらの土地の権利を奪い、彼らの資源を搾取する法の制定と実施をこれ以上行わないこと | ②カナダ政府は、これらの土地の権利を奪い、彼らの資源を搾取する法の制定と実施をこれ以上行わないこと | ||
③条約と協定に関する国連調査が全面的に支持されること、そしてカナダ政府は先住民族がともに条約とその他の協定に伴う自分たちの責任にしたがい、それを尊重すること | ③条約と協定に関する国連調査が全面的に支持されること、そしてカナダ政府は先住民族がともに条約とその他の協定に伴う自分たちの責任にしたがい、それを尊重すること | ||
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基本情報
カナダのインディアンは、認定インディアン・イヌイット、メティス、非認定インディアンから構成されている。
577の部族で約32万6000人の認定インディアンたちの中で、約23万人の人たちが2200の保護区で生活をしている。北極圏では、約2万5000人にイヌイットが生活している。
*認定インディアンとは、1880年の原住民法で規定された人々にことである。また彼らは、保護区で登録され社会福祉やある種の税金の対象外となる恩恵をこうむっている。
教育問題
インディアンの教育は、17世紀からカトリック派のキリスト教宣教師の手でなされていたが、それは「文明化」をするという目的であった。しかし、1759年にフランスがケベックでイギリスに敗れると、イギリス政府に教育はゆだねられることになる。そして、「白人レベルに引き上げる」ための教育が実施されることになる。
1867年からは先住民族の統治と教育の責任はカナダ連邦政府が請け負うこととなる。そして連邦政府は各部族との個別の条約を結び、部族は自治行政機関(バンド)を組織するとともに、土地の権利を放棄し「居留地」に入り様々なサービスを受けることとなった。それから教育の大部分は、牧師の手で行われることになるのだが、同化政策に反抗する先住民族の抵抗や教会と国との間での紛争が発生してしまった。
第二次大戦後に連邦政府は、インディアンの児童たちを非インディアン児童の学校に入学させて同化政策を続けたのだが、批判や不満が発生し、1970年代になって教育はインディアン自身に任されるようになった。 そのころのカナダでは、1963年から「二言語・二文化主義」政策が打ち出されたのだが、80年代になると移民の増大と先住民族の自治権要求などから多元主義を模索し出すようになり、1989年7月になると「多文化主義法」が制定されて移民を含む少数民族教育の大幅な改善が準備されるようになった。しかし、これは民族の生活圏の危機に関する問題であった。世界先住民族会議の議論もこの点を重視するようになり、カナダ先住民族政策として以下のような宣言が政府に対して出された。
①カナダ政府(及びアメリカ合衆国政府)は、自治権と自治を認めること ②カナダ政府は、これらの土地の権利を奪い、彼らの資源を搾取する法の制定と実施をこれ以上行わないこと ③条約と協定に関する国連調査が全面的に支持されること、そしてカナダ政府は先住民族がともに条約とその他の協定に伴う自分たちの責任にしたがい、それを尊重すること
参考文献
『世界の先住民族』 明石書店
『歴史の転換と民族問題』 御茶の水書房
HN:ken