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アフガニスタン王国は、サファヴィー朝とムガル帝国に支配されていた。18世紀なかば、アフド=シャーによりドゥッラーニー朝が独立し、中央アジアとインドを結ぶ要地カーブルを都とした。1832~42、78~80、1919 ロシアの南下に対抗し、イギリスはインド権益を防衛する目的でアフガニスタンを侵略する。これがアフガン戦争である。第一次でイギリスはカーブルを占領したが、抵抗により撤退する。第二次で親英政権をたて、アフガニスタンを事実上保護国化する。第三次で独立は回復された。戦争は3ヶ月ほどでおわった。1919年、第三次アフガン戦争によって、ラワルピンディー条約が結ばれる。これにより、アフガニスタン王はインド政府からの年金を廃し、独立を回復する。しかし独立したが、ソ連の支援を得た王アマヌッラー=ハーンの改革は性急にすぎたため、内乱状態となった。29年に、ナーディル=ハーンが内乱を鎮定した。