アカデメイア
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- | Ⅰ 概要 | + | == 概要 == |
アカデメイアとは、紀元前387年、古代ローマ・ギリシア時代のころ、アテナイの北西郊外にある公共体育場アカデメイアを利用するかたちでプラトンによって開設された学園である。学問の内容としては数論、幾何学、天文学などが最重要の予備学として教授研究されていたとされる場所である。学園の究極目的は哲学研究にあったが、衰えつつあったギリシア諸国家を救うための、哲学的訓練に基づく理想的な政治家の養成が重要な実践的目的とされていたことも注目される。このアカデメイアにおける学問の純理論的数学的性格と実践的性格は、以後のヨーロッパ的学問の伝統的性格を規定し、形成したといわれる。このアカデメイアは哲人と呼ばれた名だたる哲学者たちが主催したものである。しかしながら、ここで行われていた教育は国家には所属をしない私塾であり、師と仰ぐ諸先生方のもとに興味のある者たちが集まり、サロン的に意見を交わしていた場所であった。 | アカデメイアとは、紀元前387年、古代ローマ・ギリシア時代のころ、アテナイの北西郊外にある公共体育場アカデメイアを利用するかたちでプラトンによって開設された学園である。学問の内容としては数論、幾何学、天文学などが最重要の予備学として教授研究されていたとされる場所である。学園の究極目的は哲学研究にあったが、衰えつつあったギリシア諸国家を救うための、哲学的訓練に基づく理想的な政治家の養成が重要な実践的目的とされていたことも注目される。このアカデメイアにおける学問の純理論的数学的性格と実践的性格は、以後のヨーロッパ的学問の伝統的性格を規定し、形成したといわれる。このアカデメイアは哲人と呼ばれた名だたる哲学者たちが主催したものである。しかしながら、ここで行われていた教育は国家には所属をしない私塾であり、師と仰ぐ諸先生方のもとに興味のある者たちが集まり、サロン的に意見を交わしていた場所であった。 | ||
このあとアカデメイアは意見を交わす場所ではなくなり、学校の基礎を作っていくこととなる。つまり、アカデメイアは現在の学校の前身であるということができるのである。 | このあとアカデメイアは意見を交わす場所ではなくなり、学校の基礎を作っていくこととなる。つまり、アカデメイアは現在の学校の前身であるということができるのである。 | ||
- | Ⅱ アカデメイアの終焉 | + | |
+ | == アカデメイアの終焉 == | ||
アカデメイアは、九〇〇年あまりの長きにわたって存続したが、後五二九年のユスティニアヌス帝(在位五二七-五六五年)の勅令によってその最後をむかえる。この年をもってアカデメイアの、あるいは古代思想そのものの終焉とするのが常識のように考えられている。しかし、この勅令はそこまで強制的なものでなかったとも考えられている。なぜならアカデメイアに所属していた人間はアカデメイアを離れはするものの各地で思想を展開していったということがわかっているからである。アカデメイアが本当に消滅してしまったのはこの勅令のせいではないのである。考えられる理由としてはキリスト教の思想が大きくなり民衆に浸透していった結果、徐々に姿を消していったのだと考えられる。 | アカデメイアは、九〇〇年あまりの長きにわたって存続したが、後五二九年のユスティニアヌス帝(在位五二七-五六五年)の勅令によってその最後をむかえる。この年をもってアカデメイアの、あるいは古代思想そのものの終焉とするのが常識のように考えられている。しかし、この勅令はそこまで強制的なものでなかったとも考えられている。なぜならアカデメイアに所属していた人間はアカデメイアを離れはするものの各地で思想を展開していったということがわかっているからである。アカデメイアが本当に消滅してしまったのはこの勅令のせいではないのである。考えられる理由としてはキリスト教の思想が大きくなり民衆に浸透していった結果、徐々に姿を消していったのだと考えられる。 | ||
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概要
アカデメイアとは、紀元前387年、古代ローマ・ギリシア時代のころ、アテナイの北西郊外にある公共体育場アカデメイアを利用するかたちでプラトンによって開設された学園である。学問の内容としては数論、幾何学、天文学などが最重要の予備学として教授研究されていたとされる場所である。学園の究極目的は哲学研究にあったが、衰えつつあったギリシア諸国家を救うための、哲学的訓練に基づく理想的な政治家の養成が重要な実践的目的とされていたことも注目される。このアカデメイアにおける学問の純理論的数学的性格と実践的性格は、以後のヨーロッパ的学問の伝統的性格を規定し、形成したといわれる。このアカデメイアは哲人と呼ばれた名だたる哲学者たちが主催したものである。しかしながら、ここで行われていた教育は国家には所属をしない私塾であり、師と仰ぐ諸先生方のもとに興味のある者たちが集まり、サロン的に意見を交わしていた場所であった。 このあとアカデメイアは意見を交わす場所ではなくなり、学校の基礎を作っていくこととなる。つまり、アカデメイアは現在の学校の前身であるということができるのである。
アカデメイアの終焉
アカデメイアは、九〇〇年あまりの長きにわたって存続したが、後五二九年のユスティニアヌス帝(在位五二七-五六五年)の勅令によってその最後をむかえる。この年をもってアカデメイアの、あるいは古代思想そのものの終焉とするのが常識のように考えられている。しかし、この勅令はそこまで強制的なものでなかったとも考えられている。なぜならアカデメイアに所属していた人間はアカデメイアを離れはするものの各地で思想を展開していったということがわかっているからである。アカデメイアが本当に消滅してしまったのはこの勅令のせいではないのである。考えられる理由としてはキリスト教の思想が大きくなり民衆に浸透していった結果、徐々に姿を消していったのだと考えられる。
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