ソマリアの海賊
出典: Jinkawiki
2016年7月30日 (土) 13:37の版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
2016年7月30日 (土) 13:38の版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) (→世界の被害事例) 次の差分へ → |
||
11 行 | 11 行 | ||
===世界の被害事例=== | ===世界の被害事例=== | ||
- | ◈2005年 6月10月にインド洋大津波の被災者への支援物資を運送中のチャーター船が、海賊らに乗っ取られた。 | + | ◈2005年 6月10月にインド洋大津波の被災者への支援物資を運送中のチャーター船が、海賊らに乗っ取られる事件が発生。 |
- | + | ||
- | ◈2005年 11月には、バハマの客船がロケット弾と思われる火器によって攻撃を受けた。 | + | ◈2005年 11月には、バハマの客船がロケット弾と思われる火器によって攻撃を受ける事件が発生。 |
◈2008年 4月フランス籍の豪華客船がアデン湾で海賊らに制圧された。 | ◈2008年 4月フランス籍の豪華客船がアデン湾で海賊らに制圧された。 | ||
26 行 | 26 行 | ||
◈2009年 10月中国籍の貨物船(乗客25人)と英国人夫妻の搭乗するヨットが、それぞれインド洋ソマリア沖で海賊によって制圧された。 | ◈2009年 10月中国籍の貨物船(乗客25人)と英国人夫妻の搭乗するヨットが、それぞれインド洋ソマリア沖で海賊によって制圧された。 | ||
- | ◈2009年 11月米国籍の貨物船が襲撃されるも、民間の警備会社が交戦し、撃退に成功した。 | + | ◈2009年 11月米国籍の貨物船が襲撃される事件が発生するも、民間の警備会社が交戦し、撃退に成功した。 |
◈2010年 3月中国の漁船2隻が、バカシ島(カメルーン)付近で襲撃され、船員の中国人7人が人質として拘束された。(カメルーン政府と中国政府間での協議中 | ◈2010年 3月中国の漁船2隻が、バカシ島(カメルーン)付近で襲撃され、船員の中国人7人が人質として拘束された。(カメルーン政府と中国政府間での協議中 |
2016年7月30日 (土) 13:38の版
目次 |
ソマリアの海賊とは
1991年、ソマリア民主共和国で内戦が勃発し、ソマリアの国土は大きく分断されてしまった。エチオピア軍の支援を受けた暫定政府が、首都であるモガディシュを制圧したが、依然として実質的には、無政府状態が続いており、現在でも、ソマリア国土は、南、北、北東の3つの分断されたままになってしまっている。長らく、無政府状態が続いていることで、治安維持組織が機能しておらず、略奪や、強盗、海賊の出現など、ソマリアでは治安の悪化が進んでしまっている。彼ら(ソマリア沖の海賊ら)は、ソマリア周辺の海域のアデン湾とインド洋をおもな活動拠点としている。スエズ運河、紅海を経由し、地中海、インド洋間を往来する貨物船や、商船をおもな標的としている。ソマリア沖の海賊は、おもな使用武器として、AK-47(旧ソ連軍が公式に採用していた自動小銃)や、携帯型ロケットランチャーなどで武装しており、移動や襲撃の際には、小型のモーターボートを改造した物を使用している。ソマリア沖の海賊は、元々漁師と言うこともあり、潮の流れや近海の事情には非常に詳しく、貨物船や、商船、客船が逃げる切ることは、非常に難しいとされている。
ソマリアの海賊の誕生の背景
海賊の大半が、もともと漁師などの漁業によって生計をたてていた。モハメド・シアド・バーレが政権を握っていた時代には、ヨーロッパや日本も漁船や港の整備など、ソマリアの漁業に対して援助を行っていた。しかし、1991年にバーレ政権が崩壊して以降は、内戦の影響で漁業が行えなくなり、魚の輸出が困難になってしまった。さらに、そこに目をつけた外国船(おもにヨーロッパの船)が、ソマリア近海で魚の乱獲をおこなったことで、漁業で生計をたてていた人々の生活は、より困窮したものになっていった。さらに、1991年代に締結した「ソマリア周辺の沿岸に産業廃棄物の投棄を認める」という条約に基づいて、産業廃棄物が投棄されるようになった。この産業廃棄物には、多量の放射線が含まれており、漁師を中心とする沿岸地域の住民数万人が発病するという事態になった。漁業で生計をたてていた人々の多くは、外国船による魚の乱獲と、発病者の急増による人手不足が影響し、より困窮な生活を強いられるようになってしまった。そのような中で、人々は自ら武器を手に取り、自分たちの漁場を防衛するようになったが、その一部が海賊として、略奪などを行うようになり、それが拡大していき、ソマリア周辺では海賊による事件が多数発生するようになった。ある一部の見解として、困窮から海賊になったとすれば、ロケットランチャーや自動小銃を手に入れたり、ボートを改造するほどの資金を持ってないのではないか。彼らが海賊になるにあたり、武器やボートの提供を行ったり、背後で何らかの組織が手を貸しているのではないかという見解も存在する。
おもな襲撃方法
彼らは、襲撃の際は必ず、複数の高速の小型ボートを使用しておこなう。高速ボートで、タンカーや貨物船、観光船などを乗っ取り、制圧した上で人質をとり、非常に高額な身代金を要求する。彼らの目的は、あくまでも身代金をとることであって、無駄な殺傷を行ったりしない。制圧した船から、不必要な人質を解放することもあり、彼らは人質に暴力を加えることをそれ程しないと言われている。彼らは、漁船を使用することがよくあり、海上で漁師と海賊の判別することが非常に難しいとされている。
おもな被害事例
世界の被害事例
◈2005年 6月10月にインド洋大津波の被災者への支援物資を運送中のチャーター船が、海賊らに乗っ取られる事件が発生。
◈2005年 11月には、バハマの客船がロケット弾と思われる火器によって攻撃を受ける事件が発生。
◈2008年 4月フランス籍の豪華客船がアデン湾で海賊らに制圧された。
◈2008年 8月ソマリア沖で、2日間で日本企業のタンカーが3隻制圧される事件が発生。
◈2008年 9月ベリーズ籍で弾薬や、戦車などを積載したウクライナ貨物船が制圧された。(多額の身代金により現在は解放)
◈2009年 4月米国籍のコンテナ船が制圧された。船員らが船体の奪回には成功したが、船長が身代金目的で拉致された。(後に、米海軍によって船長は救出され、 4人の実行犯のうち、3には米海軍によって射殺、残る1人は拘束され、裁判にかけられた。)
◈2009年 10月中国籍の貨物船(乗客25人)と英国人夫妻の搭乗するヨットが、それぞれインド洋ソマリア沖で海賊によって制圧された。
◈2009年 11月米国籍の貨物船が襲撃される事件が発生するも、民間の警備会社が交戦し、撃退に成功した。
◈2010年 3月中国の漁船2隻が、バカシ島(カメルーン)付近で襲撃され、船員の中国人7人が人質として拘束された。(カメルーン政府と中国政府間での協議中 であり、現在も解決には至っていない。)
◈2010年 4月イラクからルイジアナ(米国)に向かっていた韓国の原油タンカーが襲撃され、韓国人5人フィリピン人11人が人質として拘束された。 同月ドイツ籍の貨物船を襲撃しようとした海賊10人が、オランダ海軍によって拘束された。(その後、ドイツに引き渡され、裁判が行われた後、禁固15年となった。)
◈2010年 7月オマーン領海のホルムズ海峡で、日本企業の商船が攻撃を受けた。(国際テロ組織アルカイダ系の組織が犯行声明を出している。)
◈2011年 1月北朝鮮の船舶が、2010年3月以降ソマリアの海賊に拘束されていると、米国放送局のラジオが報道した。
日本のおもな被害事例
・2007年10月 パナマ籍のケミカルタンカーが制圧され、人質の身代金として100万ドルが支払われた。(支払い後、人質は解放され保護された。)
・2008年4月 日本郵船の大型タンカーが韓国から、サウジアラビアまで空荷を積載し、回送運行中に、ロケット弾数発で攻撃され、被弾する事故が発生した。
・2008年7月 日本の海運会社が運航する貨物船が襲撃を受け、人質21人が拘束された。その後、身代金として200万ドルが支払われた。
・2008年8月 「興洋海運社」が運航する貨物船が襲撃を受け、人質19人が拘束された。その後、身代金として150万ドルが支払われた。(支払い後、人質は全員解放された)
・2008年9月 日本の海運会社が運航する香港籍のケミカルタンカーが襲撃され、22人が人質となり、身代金150万ドル~200万ドルが支払われた。
・2008年11月 日本の「イイノマリンサービス社」が運航するパナマ籍ケミカルタンカーが襲撃された。
・2009年3月 商船三井の自動車運搬船2隻が、小型のボートから、発砲などの攻撃を受けたが、乗組員に死傷者などは出なかった。(国土交通省公表)
・2011年3月 商船三井の運航するバハマ籍タンカーが制圧されかけているところを、米軍、トルコ警備艇が阻止し、4人を拘束した。乗組員などに怪我はなかった。
国際社会の見解
国連の見解
・2008年6月 国連安保理で安全確保のための「必要なあらゆる措置」として、武力の行使を認める安保理決議が、採択された。(国連安保理第1816号) なお、上記の安保理決議は、ソマリア暫定政府から国連への要請によるもの。
・2008年12月 国連安保理で、海賊行為の防止に向け沿岸部での空爆を含む「領空を含める、ソマリア本土で必要とされる様々な措置取ることを可能にする」米国の提案からの決議案を受け、「ソマリア国内において、必要とされるあらゆる措置を取ること」を可能にする国連安保理決議が採択された。(国連安保理第1851号)